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モーツァルト:交響曲第38番 ニ長調 「プラハ」 K.504


ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1954年11月録音


パリ旅行からザルツブルグとの訣別、そしてウィーン時代の作品・・・後期交響曲

「飛躍」を成し遂げたモーツァルトは、交響曲を「連作」することは不可能になります。
「モーツァルトの胸中には、シンフォニー的なものの新しい概念が発展したからである。この概念は、もはや「連作」作曲を許さず、単独作品の作曲だけを可能にするのである」(アインシュタイン)

モーツァルトは73年から74年にかけての多産の時期を過ぎると交響曲に関してはぴたりと筆が止まります。それは基本的には領主であったコロレードがモーツァルトの演奏旅行を「乞食のように歩き回っている」として制限をかけたことが一番の理由ですが、内面的には上述したような事情もあったものと思われます。
そんなモーツァルトが再び交響曲を書き出すのは、日々強まるコロレードからの圧力を逃れるための「就職先探し」の旅が契機となります。
モーツァルトとコロレードの不仲は1777年に臨界点に達し、ついにクビになってしまいます。そして、モーツァルトはこのクビを幸いとして就職先探しのための旅に出かけます。
しかし、現実は厳しく、かつては「神童モーツァルト」としてもてはやした各地の宮廷も、ザルツブルグの大司教に遠慮したこともあって体よく就職を断られていきます。期待をしたミュンヘンもマンハイムも断られ、最後の望みであったパリにおいても神童であったモーツァルトには興味は持ってくれても、大人の音楽家となったモーツァルトには誰も見向きもしてくれませんでした。そして、その旅の途中で母を亡くすという最悪の事態を迎え、ついにはコロレードに詫びを入れて復職するという屈辱を味わうことになります。
しかし、この困難の中において、モーツァルトは己を売り出すためにいくつかの交響曲を書きます。

<パリ・ザルツブルグ(1778年~1780年)>

交響曲第31番 ニ長調 "Paris" K.297
交響曲第32番 ト長調 K.318
交響曲第33番 変ロ長調 K.319
交響曲第34番 ハ長調 K.338

通称「パリシンフォニー」と呼ばれるK297のシンフォニーは典型的な2管編成の作品で、モーツァルトの交響曲の中では最も規模の大きな作品となっています。それは、当時のパリにおけるオーケストラの編成を前提としたものであり、冒頭の壮大なユニゾンもオケの力量をまず初めに誇示するために当時のパリでは常套手段のようにもいられていた手法です。また、この作品を依頼した支配人から転調が多すぎて長すぎると「ダメ出し」がだされると、それにしたがって第2楽章を書き直したりもしています。
何とかパリの聴衆に気に入られて新しい就職先を得ようとするモーツァルトの涙ぐましい努力がかいまみられる作品です。
しかし、先に述べたようにその努力は報いられることはなく、下げたくない頭を下げてザルツブルグに帰って教会オルガニストをつとめた79年から80年にかけての2年間は、モーツァルトの生涯においても精神的に最も苦しかった時代だと言えます。その証拠に、モーツァルトの生涯においてもこの2年間は最も実りが少ない2年間となっています。そのため、この2年間に書かれた32番から34番までの3曲は再び「序曲風」の衣装をまとうことになります。おそらくは、演奏会などを開けるような状態になかったことを考えれば、これらの作品はおそらくどこかの劇団からの依頼によって書かれたものと想像されています。

<ウィーン(1782年~1788年)>

交響曲第35番 ニ長調 "Haffner" K.385
交響曲第36番 ハ長調 "Linz" K.425
交響曲第38番 ニ長調 "Prague" K.504
交響曲第39番 変ホ長調 K.543
交響曲第40番 ト短調 K.550
交響曲第41番 ハ長調 "Jupiter" K.551

1781年にモーツァルトは再びコロレードと決定的な衝突を引き起こし、ついにザルツブルグと訣別してウィーンへと向かいます。今度は以前のようにどこかで就職先を得ようというのではなく、全くのフリーの音楽家として腕一本で生きていくことを決意しての旅立ちでした。
この時に、本当の意味で「音楽家モーツァルト」が誕生したと言えます。
そして、「音楽家モーツァルト」が残した最後の6つの交響曲は、ハイドンが到達した地点よりもはるか先へと進んでしまったことは疑いありません。そして、最後の3つのシンフォニーにおいて、音楽はついに何かの目的のために生み出される機会音楽ではなくて、音楽それ自体に存在価値があると訴える芸術作品へと飛躍していったのです。
「モーツァルトは最後の3曲のシンフォニーを指揮したことも、聞いたこともなかったかもしれない。しかし、そのことはおそらく、音楽と人類の歴史におけるこれらのシンフォニーの位置を象徴する事実である。もはや注文もなく、直接の意図もない。あるのは永遠への訴えである」(アインシュタイン)

全盛期のベームは素晴らしい


ベームという人は存命中はオーストリアの音楽監督と称されるほどの絶大な権威をもった存在でした。しかし、1956年にウィーン国立歌劇場の音楽監督の地位を退いてからは特定のオケや歌劇場のポストに就任すると言うことは一度もありませんでした。
ウィーンの国立歌劇場は戦争中の爆撃によって瓦礫の山となってしまいます。その歌劇場が昔の姿でよみがえったのは1955年のことでした。
そのこけら落としではベートーベンのフィデリオが上演され、その指揮をしたのがベームでした。
戦争中のナチスへの協力疑惑でひっそりと活動を再開せざるを得なかったベームにとっては、まさにその様な過去の負の遺産を精算して、新しい時代に向けての華々しいスタートの第一歩となる晴れ舞台でした。さらに、ベームは活動の範囲を広げて翌年にはアメリカ各地を客演して回り、そして、再びウィーンに帰ってきてフィデリオの舞台に立ちます。
ところがその時思いもよらないような事態が起こります。ベームにとっては世界各地に活躍の場を広げまさに凱旋の思いでかえってきたはずなのに、観客席からは一斉に批難の口笛が巻き起こったのです。それは、行儀が良くておとなしいことで有名なシュタッツオパーでの出来事ですから、まさに前代未聞のスキャンダルでした。
その批難は、ウィーンを留守にしてアメリカやヨーロッパ各地を飛び回るベームに対する批難の表明だったと言われていますが、今では、この伏魔殿とも言うべきシュタッツオパーで常に繰り返されてきた権力闘争に巻き込まれた結果だと誰もが信じています。
ベームはこのスキャンダルに心を痛めて4年もの契約を残して辞任することを表明します。驚いたウィーンの聴衆は彼の翻意を期待し、マスコミもその事をかきたてたのですが、歌劇場当局はすでにカラヤンと契約した事を発表します。そのあまりの手際の良さに、一部ではこのスキャンダルをカラヤン派の陰謀という人もいるようですが今となっては真相は藪の中です。しかし、この出来事がベームを深く傷つけたことは確かで、彼自身もこの出来事を生涯克服できなかったと述べています。つまり、何らかのポストに就くことを自ら拒否してしまったのです。

ベームの業績を振り返ってみると、この50年代の録音が最も優れているように思います。確かに、ウィーンフィルと何回か来日し、そのうちの何度かは信じがたいほどの名演を聞かせてくれたベームですが、自分の手兵とも言うべきオケをもたない彼にとって、本当に己の理想とするような演奏が出来たのかは疑問です。
それは、カラヤンとベルリンフィル、ムラヴィンスキーとレニングラードフィル、セルとクリーブランド、さらに言えばオーマンディとフィラデルフィアであっても(オーマンディファンの人、ごめんなさい^^;)そこには彼らの信ずるものがしっかりと刻印された業績が残されています。その事を思えば、ウィーンでは日常茶飯事のように繰り返される愚かな権力闘争は、もしかしたら私たちからかけがえのないものを奪ったかもしれないのです。
そんな愚にもつかないことが頭をよぎるほどに、この50年代の全盛期のベームは素晴らしいです。

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