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フルトヴェングラー|ベートーベン:交響曲第6番 「田園」
ベートーベン:交響曲第6番 「田園」
フルトヴェングラー指揮 ベルリンフィル 1947年5月25日 ティタニア・パラストでのライブ録音
Beethoven:交響曲第6番「田園」 第1楽章
Beethoven:交響曲第6番「田園」 第2楽章
Beethoven:交響曲第6番「田園」 第3?5楽章
標題付きの交響曲

よく知られているように、この作品にはベートーベン自身による標題がつけられています。
第1楽章:「田園に到着したときの朗らかな感情の目覚め」
第2楽章:「小川のほとりの情景」
第3楽章:「農民の楽しい集い」
第4楽章:「雷雨、雨」
第5楽章:「牧人の歌、嵐のあとの喜ばしい感謝の感情」
また、第3楽章以降は切れ目なしに演奏されるのも今までない趣向です。
これらの特徴は、このあとのロマン派の時代に引き継がれ大きな影響を与えることになります。
しかし、世間にはベートーベンの音楽をこのような標題で理解するのが我慢できない人が多くて、「そのような標題にとらわれることなく純粋に絶対的な音楽として理解するべきだ!」と宣っています。
このような人は何の論証も抜きに標題音楽は絶対音楽に劣る存在と思っているらしくて、偉大にして神聖なるベートーベンの音楽がレベルの低い「標題音楽」として理解されることが我慢できないようです。ご苦労さんな事です。
しかし、そういう頭でっかちな聴き方をしない普通の聞き手なら、ベートーベンが与えた標題が音楽の雰囲気を実にうまく表現していることに気づくはずです。
前作の5番で人間の内面的世界の劇的な葛藤を描いたベートーベンは、自然という外的世界を描いても一流であったと言うことです。同時期に全く正反対と思えるような作品を創作したのがベートーベンの特長であることはよく知られていますが、ここでもその特徴が発揮されたと言うことでしょう。
またあまり知られていないことですが、残されたスケッチから最終楽章に合唱を導入しようとしたことが指摘されています。
もしそれが実現していたならば、第五の「運命」との対比はよりはっきりした物になったでしょうし、年末がくれば第九ばかり聞かされると言う「苦行(^^;」を味わうこともなかったでしょう。
ちょっと残念なことです。
フルトヴェングラーの歴史的な復帰演奏会のライブ録音
要望の強かったフルトヴェングラーの歴史的なライブ録音です。
ご存じのようにフルトヴェングラーはナチス協力者として戦後の演奏活動を禁止されます。この辺の経緯については百家争鳴ですし、この短いスペースでユング君の意見を述べることは不可能ですからこれについてはここでは一切ふれません。
ただ、カラヤンのような正真正銘のナチス党員が何の咎もうけずにベルリンフィルのシェフにおさまったことを考えれば、この制裁はたぶんに政治的な意味合いを含んでいたのかもしれません。
しかし、同様の制裁で戦後のキャリアを全く棒に振ってしまったコルトーやメンゲルベルグ、そしてR.シュトラウスなどと比べればフルトヴェングラーは恵まれていました。
メニューヒンなどの尽力もあって連合国は彼への制裁を解除せざるを得なくなり、47年5月25日に歴史的な復帰演奏会が行われることになります。ベルリン市民はこのコンサートを熱狂的に迎え入れ、チケットは瞬く間に完売したと言われています。
さて、そのコンサートでの演奏ですが、はじめて聴いたときは「随分慎重な演奏だな!」と感じたのですが、今回改めて聴き直して身もやはり同様の感想を持ちました。至る所にフルトヴェングラーらしい微妙な表情付けを行っているのは確かですが、その一つ一つが確かめるような雰囲気で事が運ばれていきます。
やはり、フルトヴェングラーといえども、この歴史的な演奏会には緊張感もあったのでしょう。後半で演奏された第5番と比べるといささか精彩に欠けることは否めません。
もちろん凡百の指揮者による演奏と比べれば大したものなのですが、いつもとびっきりの名演を求められるフルトヴェングラーの辛いところだと言えます。
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