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R.シュトラウス 交響詩「ドンファン」 作品20

セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1957年3月29〜30日録音




シュトラウスの交響詩第1作

交響詩の歴史を振り返ってみると、ベルリオーズに源を発し、それをリストが引き継いで、リヒャルト・シュトラウスが完成させたといっていいでしょう。そんな、完成者シュトラウスの交響詩第1作となったのがこの「ドン・ファン」です。もっとも、作品そのものとしてはすでに「マクベス」が完成していたのですが、ビューローの忠告で改訂することとなったために、この「ドン・ファン」が最初の完成作品となったわけです。

ドン・ファン伝説はスペインで生まれたものですが、その後ヨーロッパ全体に広がっていき、ついにはあのモーツァルトでさえオペラの題材として取り上げるまでになります。もちろん、音楽の分野だけでなく、詩や戯曲にも幅広く取り上げられていくようになります。
言うまでもなく、ドン・ファンとは好色な貴族として描かれ、それは17世紀のスペイン宮廷の色と欲に満ちた権力者たちへの痛烈な皮肉・風刺として生み出されたものでした。
しかし、そのドン・ファン伝説は時代とともに次第に変容していきます。特に、19世紀に入って、ドイツの詩人レーナウが描いた「ドン・ファン」は、求めても求め得ない至高の女性を追い求める理想主義的な人物として描かれるようになります。ですから、レーナウの描くドン・ファンはモーツァルトのオペラのように地獄に落ちるのではなく、「薪は尽きたり。炉辺は暗く寒くなれり」と呟いて、一人寂しくこの世を去っていくことになります。

シュトラウスがその物語に共感して音楽化を思い立ったドン・ファンは好色な貴族としてのドン・ファンではなく、レーナウが描く寂しい理想主義者としてのドン・ファンでした。ですから、モーツァルトのように華々しい「地獄落ち」でクライマックス!!・・・と言うことはなく、静かに消え入るように音楽は閉じられます。
専門家の言によると、シュトラウスの交響詩は「客観化」の時代から「主観化」の時代、そして最後に「普遍化」の時を過ぎて、次の「オペラ」の時代へと遷移していくそうです。何だか、よく分からない話ですが、要は、交響詩を作り始めた初期の時代は、作品と私生活の間にはあまり関連性がないと言うことです。
確かに、「死と変容」にしても、彼は死の危険を感じるような重病を経験したわけでもありませんし、この「ドン・ファン」にしても理想の女性を追い求めて破滅的な人生に陥る危険に遭遇したわけでもありません。
一説によると、この作品には、将来彼の妻となるパウリーネとの関係が投影していると言われますが、二人はこの後目出度くゴールインして終生幸福な結婚生活をおくるようになるのですから、あまり深読みは禁物かもしれません。
個人的には、後の自己顕示欲の塊みたいな「英雄の生涯」なんかを書くようになるシュトラウスよりは、音楽のドラマとしてスマートに、そして客観的に描ききった初期作品の方が好みです。

セルとシュトラウス


セルのキャリアを考える上で忘れてならないのは、リヒャルト・シュトラウスとの出会いです。ベルリンの宮廷歌劇場に招かれたシュトラウスが、当時ベルリンでそのキャリアをスタートさせたばかりのセルの才能に着目してスタッフに加えたのです。
セルは、シュトラウスのもとで歌手の練習から始まってピアニストとして、さらには練習指揮者として大活躍をすることになります。セル自身もシュトラウスのもとで多くのことを学んだことを後に語っており、シュトラウスに対する尊敬は終生変わらぬものでした。
ただし、音楽よりもカード遊びの方が大好きだったシュトラウスのことを回想しながら、演奏の最中に時計を見て、このままでは約束のカードの時間に間に合わないとみて、突如テンポを上げてあっという間に終えてしまった・・・というエピソードなんかもうれしそうに語っていますから、おそらく「いろんな事」を学んだのでしょう。ちなみに。のだめの中に登場する「マエストロ、シュトレーゼマン」はずいぶん誇張されたキャラクターのように思われるかもしれませんが、意外と偉大な音楽家というのは基本的にあんな人が多いようですね。

さて、そうしてシュトラウスのもとで修行に励んでいたセルに、シュトラウスは自分のもとを離れてどこかの地方の歌劇場のシェフになることをすすめます。つまりは、自分の歌劇場をもってそこで腕を磨けと言うことです。尊敬すべきシュトラウスからの忠告ですから、結局はわずか2年でシュトラウスのもとを去りストラスブールの歌劇場へ向かいます。セル19歳の時です。
その後のセルはヨーロッパ各地の歌劇場でキャリアを積み上げ、その後第二次大戦の勃発でアメリカに腰を据えて活動を展開したことはよく知られていることです。

そう言うキャリアを持つセルですから、シュトラウスの作品は彼にとって終生変わらぬ重要なレパートリーでした。ニューヨークのメトロポリタンでは薔薇の騎士を取り上げていますし、ニューヨークフィルとのコンサートでも頻繁にシュトラウスの交響詩などを取り上げています。
このスタンスは、やがて彼がクリーブランドの音楽監督に就任しても変わることはなく、そう言うセルの活動に対してシュトラウスは遠く失意のヨーロッパから「もう私はいつ死んでも思い残すことはない。このような若者が私の跡を継いでくれるのだから」とエールを送りました。

セルの簡潔であるものの明確な指揮のスタイルは明らかにシュトラウスからの強い影響を受けています。そして、そう言うセルの棒から紡ぎ出される音楽にシュトラウスは全幅の信頼を寄せていました。
しかし、以前にも少しふれたことがあるのですが、そう言う師弟の関係であってもセルはシュトラウスを盲信していたわけではありませんでした。
例えば、ここで紹介しているティルにおいても彼は大胆なスコアの改変を行っています。詳しくはこちらをご覧あれ。
なかなかこの二人の関係には面白いものがあります。

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