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Home|マルケヴィッチ(Igor Markevitch)|ワーグナー:「タンホイザー」序曲

ワーグナー:「タンホイザー」序曲

イーゴリ・マルケヴィチ指揮:ラムルー管弦楽団 1958年6月12日~13日録音



Wagner:Tannhauser Overture


男の身勝手

オペラのストーリーというのは男の身勝手というものが前面に出ているものが多いのですが、その最たるものがワーグナーでしょう。そのワーグナーの中でも、とりわけ「酷い」なあ・・・!!と感心させられるのがタンホイザーです。
誰かが似たようなことを書いていたような気がするのですが、このお話を現代風に翻案してみればこんな風になります。

『都会に出て行って風俗のお店通いに狂ってしまった男とそんなアホ男を田舎でひたすら待ちわびる純情な娘、そしてそんな娘に密かに心を寄せる堅気の田舎青年・・・というのが基本的な人間関係です。

この男、一度は改心したかのように見えて田舎に戻ってきます。ところが、村の祭りで例の堅気の青年が「徳」だの「愛」だのとほざくのを聞いて心底うんざりしてしまって、「やっぱり町の風俗の姉ちゃんが一番だ!」なんどと叫んでしまいます。

驚いたのは村の衆であり、とりわけその純情娘の親や親戚から総スカンを食って再び村にはおれなくなってしまいます。
しかし、それでも世間知らずの純情娘はそのアホ男のことが忘れられず、必死で彼のことをとりなします。

仕方がないので、一族の連中は、「そんならハローワークに言ってまともな仕事について堅気の生活をするなら許してやる。(ローマ法王の許しを得るなら許してやる)」といいます。
男は仕方なくハローワークに通うのですが(ローマ巡礼)、基本的に考えが甘いので上手く職を得ることなど出来るはずもなく「世間の連中はどうせ俺のことなんか何も分かってくれないんだ!やっぱり俺には風俗の姉ちゃんが一番だ!!」と叫んで男は再び都会に出て行こうとします。

ところが、嫌と言うほど裏切り続けられたにもかかわらず、その純情娘はそれでもアホ男のことを忘れられず、最後は自分の命を投げ出して彼を救ってくれるのです。
さすがのアホ男もその娘の献身的な愛のおかげでようやくにして目覚め、おまけに、世間の人もその娘の心を思ってアホ男を許します。』

・・・という、男の身勝手を絵に描いたようなお話です。

あらためて指摘するまでもないことですが、このアホ男とは疑いもなくワーグナー自身のことです。
彼は己のアホさ加減と身勝手さを嫌と言うほど知っていました。
でも、そんなあほうな自分でもいつか命をかけてでも愛して救ってくれる純情な女性が現れることを本気で信じていたのもワーグナーという男でした。


プロ的な冷静さよりはアマチュア的な熱さを感じる演奏

フランスのオケというのは隙さえ見せれば手を抜こうとする習性があるようで、指揮者にとっては困った存在だったようです。ただし、クリュイタンスのように絶妙の手綱さばきで数多くの名録音を残した指揮者もいるのですが、それは通常の指揮者に求められる資質とはまた違った特別な能力の賜物だったようです。
彼の有名なエピソードとして、ウィーンフィルとのブラームスの2番のリハーサルに現れた彼が「あなた方はこの曲をよく知っている。私もよく知っています。では明日」と言ってそのまま帰ったというのは有名な話です。それは、言うことを聞かないという点ではウィーンフィルはフランスの性悪なオケと似たり寄ったりではあるものの、それでも彼らの能力が優れている事への信頼もあったので、あえて練習を強いないほうが本番で彼らの実力が十分発揮できることをよく知っていたからでしょう。
つまりは、クリュイタンスという人は決して自分というものを表に出してそれをオケに強いるのではなくて、オケの自主性を最大限に尊重しながら彼らの美点を巧み引き出す能力を持ってた指揮者なのです。

ところが、そんな性悪オケの代名詞とも言うべきラムルー管が何処でどう間違ったのか、1957年にイーゴリ・マルケヴィチを首席指揮者にむかえます。前任のジャン・マルティノンはフランス音楽を得意としていた指揮者であり、ドイツ系アルザス人の血を引いてたからと言う単純な話ではないのでしょうが、そのドイツ音楽への解釈に対しても評価の高かった人物でした。
その後任に、彼らは何故か「猛獣使い」とも言うべきマルケヴィッチを自分たちのボスとしてむかえたのです。そして、ラムルー管のメンバーにとって「地獄」とも言うべき日々が幕を開けることになります。

しかし、それは聞き手の側から見れば、「これがあのラムルー管なのか??!!!」と驚きを禁じ得ないほどの素晴らしい録音を残していくことになるのです。
とりわけ、「マルケヴィッチ版」と呼ばれる楽譜を使って録音を開始したベートーベンの交響曲は実に素晴らしいものでした。そして、それは本来は「全集」として完結するはずだったのですが、遂にマルケヴィッチの厳しさに耐えきれなくなったオケのメンバー達は1961年にマルケヴィッチを追い出したことによって未完に終わってしまったのは返す返すも残念なことでした。

そして、そう言うマルケヴィッチとラムルー管との厳しい緊張感はこのワーグナーの管弦楽曲の録音からもはっきりと伝わってきます。
ラムルー管の名前はそのオケの創設者であるシャルル・ラムルーに由来するのですが、そのシャルル・ラムルーの最大の貢献はフランスにワーグナーの音楽を普及したことです。ですから、ラムルー管にはシャルル・ラムルー以降の伝統があるはずなのですが、マルケヴィッチはそう言う伝統のようなものには目もくれず、自分の解釈を徹底的に押し通しています。

実はマルケヴィッチはコンサートでも録音でも良くワーグナーの管弦楽曲を取り上げていて、その解釈に関しては確固たるものを持っていました。その解釈は1954年にベルリン・フィルと録音した演奏を聞いても、一点の揺るぎもないことが分かります。
彼はワーグナーの音楽を重厚な響きによってうねるような巨大さを実現しようなどと言う気持ちは欠片も持っていません。彼が注目するのは、その楽曲の内部構造であって、その仕組みが誰の耳にも届くように知的に、そして明晰に表現することだけを求めていました。その意味では、私が深く敬愛しているジョージ・セルとクリーブランド管によるワーグナー録音と方向性はほぼ同じです。
しかし、クリーブランド管とラムルー管ではその機能に大きな違いがありますから、その響きの質というか手触りはかなり異なります。しかしながら、マルケヴィッチにあってセルにないのはある種の「野蛮さ」のようなものです。
マルケヴィッチの鞭でしばくような棒に死にものぐるいでついて行こうとするラムルー管からは、そう言うマルケヴィッチの持つ「野蛮さ」のようなものがまざまざと感じ取れて、異様なまでの熱気のようなものが伝わってきます。

それは、ラムルー管に対して失礼な物言いになるかもしれないのですが、そこにはプロ的な冷静さよりはアマチュア的な熱さを感じるのです。
そう言えば、彼がロンドン響を指揮して録音したリムスキー=コルサコフのスペイン奇想曲もそれとよく似たような雰囲気になっていました。

ただし、こういう感じで日々リハーサルと本番が繰り返されれば、それはオケのメンバーにとってはたまったものではないだろうなと言うことは察せられます。そして、遂に最後の手段として彼らがマルケヴィッチを追い出してしまったのも仕方のないことであり、同時にそうなってしまわざるをえなかったあたりに、指揮者という稼業の難しさも感じてしまいます。

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