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ヤッシャ・ホーレンシュタイン(Jascha Horenstein)|マーラー:交響曲第1番 ニ長調 「巨人」
マーラー:交響曲第1番 ニ長調 「巨人」
ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮 ウィーン交響楽団 1953年録音
Gustav Mahler:Symphony No.1 [1.Langsam. schleppend]
Gustav Mahler:Symphony No.1 [2.Kraftig, bewegt, doch nicht zu schnell]
Gustav Mahler:Symphony No.1 [3.Feierlich und gemessen, ohne zu schleppen]
Gustav Mahler:Symphony No.1 [4.Sturmisch bewegt]
マーラーの青春の歌

偉大な作家というものはその処女作においてすべての要素が盛り込まれていると言います。作曲家にあてはめた場合、マーラーほどこの言葉がぴったり来る人はいないでしょう。
この第1番の交響曲には、いわゆるマーラー的な「要素」がすべて盛り込まれているといえます。ベートーベン以降の交響曲の系譜にこの作品を並べてみると、誰の作品とも似通っていません。
一時、ブルックナーとマーラーを並べて論じる傾向もありましたが、最近はそんな無謀なことをする人もいません。似通っているのは演奏時間の長さと編成の大きさぐらいで、後らはすべて違っているというか、正反対と思えるほどに違っています。
基本的に淡彩の世界であるブルックナーに対してマーラーはどこまで行っても極彩色です。
基本的なベクトルがシンプルさに向かっているブルックナーに対して、マーラーは複雑系そのものです。
そう言えば、この作品も完成までには複雑な経路を辿っています。もっとも、作品の完成に至る経路というのはブルックナーもひどく複雑なのですが、その複雑さの性質が二人の間では根本的に異なっています。
この作品のいわゆる「初稿」と思われるものは、1889年にブダペストでの初演で用いられたものでした。その「初稿」は「花の章」と名づけられたアンダンテ楽章を含む5楽章構成であり、全体が二部からなる「交響詩」とされていました。
しかしながら、マーラーは実際の演奏を通して不都合を感じるとこまめに改訂を行い、そのために最終的に筆を置いた時点で「決定稿」となる人でした。
その辺りが、ブルックナーとは根本的に作品と向き合うスタンスが異なるのです。
つまりは、うじうじと書き直すことで必ずしも「良くなる」とは限らないブルックナーでは「初稿」やそれぞれの「改訂稿」にも意味を与えなければいけません。しかし、マーラーの場合の「初稿」や「改訂稿」というものは、その後必要となった訂正が行われていない「未完成版」と言う意味しかもたないのです。
ですから、ブルックナーの新全集版では改訂されたすべての稿を独立して出版する必要に迫られるのですが、マーラーの場合はシンプルに最後の決定稿だけが出版されて事たれりとなっているのです。
しかしながら、この第1番だけはいささか複雑な経路を辿って決定稿に至っています。
マーラーはブダペストでの初演ではかなり不満を感じたようで、1894年のワイマールでの再演に際して大幅な手直しを行っています。そして、その時点で、マーラーはこの作品を「花の章」を含む5楽章構成の交響曲として「ティターン(巨人)」というタイトルを与えたのです。
その手直しは主に2,3,5楽章に集中していたようで、とりわけオーケストレーションにはかなり大幅な手直しがされたと伝えられています。
しかしながら、ブダペストでの初演で使われた初稿は現在では失われてしまっているので、その相違を細かく比較することは出来なくなっているようです。
ところが、何があったのかは不明ですが、1896年にベルリンで演奏したときには「花の章」を省く4楽章構成で演奏し、1899年にこの作品を出版するときにもその形が採用されました。また、「ティターン(巨人)」というタイトルや楽章ごとにつけられた「標題」なども削除されたようです。
また、終楽章にも小さな訂正が加えられました。
その後、1906年に別の出版社から出版されるときに第1楽章のリピートなどが追加され、さらに1967年の全集版では、その後マーラーが実演において指示した訂正や書き込み等を収録して、それが今日では「決定稿」と言うことになっています。
いささか煩雑なので、整理しておくと以下のように経緯となります。
- 1889年:ブダペストでの初演で使われた初稿:「花の章」を含む5楽章からなる2部構成の交響詩
- 1894年:ワイマールの再演で使われた第2稿:「初稿」に大幅な改訂を施した、「花の章」を含む5楽章構成の交響曲
- 1889年:ヴァインバーガー社から刊行された初版で第3稿にあたる。1896年のベルリンでの演奏家では「花の章」を省いた4楽章構成の交響曲として演奏されたスタイルをもとにしている。改訂時期は不明とされている。また、「ティターン(巨人)」というタイトルや楽章ごとにつけられた「標題」も削除された
- 1906年:ユニバーサル社から刊行された決定稿:第1楽章のリピートなどが追加されている。
- 1967年:全集版として刊行された決定稿の再修正版:マーラーが実演で採用した最終的な書き込みを反映させた。
そうなると、一番の問題は何故に途中で「花の章」を省いたのかという事が疑問として浮かび上がってきます。
もっとも、こういう事はあれこれ論を立てることは出来ても、最終的にはマーラー自身が何も語っていない以上は想像の域を出るものではありません。
ただ、明らかなことは、マーラーはその章を削除して「決定稿」としたという事実だけです。
そうであれば、この「花の章」を含んだ第2稿を持って、それこそがマーラーの真意だった、みたいな言い方をするのは根本的に間違っていると言うことです。
そして、先にも述べたように、その辺りこそがマーラーとブルックナーとの根本的な違いなのです。
外連味たっぷりのマーラーです
マーラーの第9番の録音を紹介したときにもふれたのですが、長時間収録が可能となったLPレコードの黎明期に、マーラーの交響曲をセッション録音を行ったVoxレーベルの意欲には敬意を表します。
Voxは最初はクレンペラーを起用して録音をはじめた(大地の歌)様なのですが、その後、クレンペラーがレッグによってEMIに引き抜かれたためにホーレンシュタインが引き継いだ形となったようです。しかしながら、調べてみると、ホーレンシュタインのVoxでのマーラー録音も9番と1番、そして歌曲集の「亡き子をしのぶ歌」と「さすらう若者の歌」だけで終わっているようです。
まあ、時代を考えれば仕方のないことなのでしょう。それだけに、この第1番「巨人」の録音は貴重です。
録音の方もモノラル録音がようやく成熟してきた時期だけに、マーラーの巨大編成が生み出す響きを十分に観賞に堪えるレベルでとらえています。
ただし、昨今のオケと較べれば、いかにウィーン交響楽団といえどもアンサンブル的にはかなり荒っぽい面は否定できません。と言うか、こういう作品を精緻なアンサンブルで仕上げるべきだなどと言うことは発想がなかったのかも知れません。そんなのはなっから無理ってもんですよ、みたいな感じで。(^^v
ただし、そう言う荒さが故にもたらされる温かな手触りの響きというものがあることも事実です。
そして、そう言う響きで、この交響曲の歌うべき部分を入念に歌い上げる、いや恣意的と言っていいほどに歌い上げるホーレンシュタインのスタイルと出会うとき、何とも言えない魅力があふれ出してきます。今の時代、こういうふうにポルタメントをかけまくって演奏するように指示したら、指揮者は即失職でしょう。
それにしても、これはもう最初の楽章から最後のコーダまでやりたい放題です。何しろ、頭の部分でポルタメントをかけまくる姿からして驚かされ、その姿勢は最後の最後のコーダに至っても恣意的と言っていいほどの表情づけをするのですから、おそらくはマーラーの楽譜などはほとんど無視されて、ホーレンシュタインのやりたい放題が味わえる録音です。
これが可能だったのもVoxという新興レーベルだったこともあるでしょうし、録音チームにとってもマーラーの交響曲なんてほとんど指揮者にまかせるしかないほどにマイナーだったことが功を奏した(^^;のでしょう。
まさに、ホーレンシュタインによる徹底的な「俺さま演奏」です。
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