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ユージン・オーマンディ(Eugene Ormandy)|セルゲイ・プロコフィエフ:交響曲第1番ニ長調 作品25 「古典交響曲」
セルゲイ・プロコフィエフ:交響曲第1番ニ長調 作品25 「古典交響曲」
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1961年3月26日録音
Prokofiev:Symphony No.1 in D major, Op.25 "Classical Symphony" [1.Allegro]
Prokofiev:Symphony No.1 in D major, Op.25 "Classical Symphony" [2.Intermezzo. Larghetto]
Prokofiev:Symphony No.1 in D major, Op.25 "Classical Symphony" [3.Gavotte. Non troppo allegro]
Prokofiev:Symphony No.1 in D major, Op.25 "Classical Symphony" [4.Finale. Molto vivace]
ハイドンという枠組み

プロコフィエフは音楽院の時代に書いたホ短調の交響曲を自分自身のファースト・シンフォニーにするつもりだったようです。しかし、最終的には「未熟」な作品と判断してこの「古典交響曲」をファースト・シンフォニーとしています。
何となくそりの合わないプロコフィエフの交響曲なのですが、これだけは最初から面白く聞くことができました。
やはり、古典派の枠組みの中で作られているので、私のような古い人間でも聞きやすいのです。
聞けば分かるように、音楽の形はすっきりとした古典的なもので、ピアノを打楽器のように扱うことで新境地を開いた野蛮さとは全く無縁です。
ただ、古典的なシンフォニーと言っても、彼が枠組みとして設定したのはベートーベンではなくてハイドンだったことに、ふと気づかされるものがありました。
ベートーベンは音を使ったドラマを完成させたのですが、それはプロコフィエフにとっては興味をひくものではなかったようです。
それに対して、ハイドンは音を使ってタペストリーのような織物としての音楽を作り上げた人だと思うのですが、その様な職人の技にこそプロコフィエフは強い共感を抱いたのでしょう。
おそらく、私がプロコフィエフの交響曲とそりが合わないのは、彼の交響曲が徹底的にベートーベン的な方法論を拒絶したところで成り立っているからでしょう。
そして、その傾向を、彼は一番最初にこのような形で宣言していたのです。
彼はこの作品のことを、「もしもハイドンが今でも生きていたら書いたであろう作品」と述べているのです。
それをさらに深読みをすれば、これに続く交響曲もまた、ハイドンのような職人がその実験的精神を生かして20世紀という時代の中で創作活動を続けていれば、「こんな作品になったのではないか」、という主張が見え隠れするような気がするのです。
そう考えれば、私の中にベートーベンの影がこんなにも色濃く染み込んでいたのかと驚かされます。
- 第1楽章 Allegro ニ長調
- 第2楽章 Larghetto イ長調
- 第3楽章 Gavotta (Non troppo allegro) ニ長調
- 第4楽章 Finale (Molto vivace) ニ長調
それで何の問題があるのでしょうか
オーマンディという男は本当に奇をてらわない奴です。
彼が最も配慮するのはオケの響きであって、あとは作品の基本的な形をオーソドックスに造形することに徹しています。これだけ魅力的な響きで、作品のあるがままの姿を提示すれば何の問題があるのでしょうか、と言う呟きが聞こえてきそうです。
シュトラウスの交響詩をまるでミュージカルのように演奏していたスタイルなんかはその典型でしょうか。
そう言う呟きに、全くおっしゃるとおり、何の問題もありませんというスタンスを取れば、彼の演奏のどれをとってもそれほど大きな不満は感じないはずです。
それほどに、彼の演奏と録音の完成度は高いのです。
しかし、そう言う演奏を聴いている狭間に、例えば第二次大戦中のフルトヴェングラーの録音を聞いてしまったりすると、そう言う枠組みの部分だけをキッチリしつらえるだけでは何かが足りないのよね、と思ってしまう人もいるのです。
おそらく両方ともに正しいのだと思います。
そう言えば、シュナーベルが始めてアメリカを訪れて演奏ツアーを行ったときに興行主とトラブルになった話は有名です。
興行主から「あなたは路上で見かける素人、疲れ切った勤め人を楽しませるようなことができないのか」と言われても、「24ある前奏曲の中から適当に8つだけ選んで演奏するなど不可能です」と応じたのは有名なエピソードです。
その結果として、興業は失敗に終わり、興行主から「あなたには状況を理解する能力に欠けている。今後二度と協力することはできない」と言われてしまいます。
24ある前奏曲は確かにそれを最初から最後まで聞き通すのが「芸術」としては正しい姿なのかもしれませんが、時にはその中から幾つかを選んで素敵な時間を提供してほしいと思うのも当然です。疑いもなく、そうやって聞き手に喜びを与えるのもまた芸のうちなのです。
ピアニストでこの芸に徹したのがホロヴィッツでした。猫ほどの知性もないと酷評されても、結果として残った録音を聞けば、そのどれもが光り輝いているのです。
ただ、オーマンディは残念ながら、ホロヴィッツの領域にまで達するこことができなかったようです。(あくまでも私見です。)
おそらく、猫ほどの知性もないという批判を涼しい顔で受け流すのは難しかったのでしょう。(これも、あくまでも私見です。・・・^^;)
この、トレンディドラマで使われてすっかり有名となったラフマニノフの交響曲(第2番)を聞いていて、ふとそんな考えがよぎりました。
もしも、彼がホロヴィッツほどの根性があれば、こんなにも取り澄ましたラフマニノフにはならなかったはずです。プロコフィエフの3つの交響曲もまた同じです。
もっと灰汁の強い表現を追求していれば、その時に何を言われようが、結果として彼の音楽はもっと面白いものになったはずです。
ホロヴィッツが1945年に録音した
プロコフィエフの「戦争ソナタ」を聞けば、この両者の開き直りのレベルが全く違うことがはっきり分かります。
結果として、こういう灰汁の強い部分のある作品に対しては意外なほどに相性が悪いのがオーマンディなんだなと思うようになってきました。その灰汁の部分をシュトラウスのように小綺麗にエンターテイメント化できるときはいいのですが、それができないと驚くほど薄味の音楽になってしまいます。
ただし、聴きやすいことは聞きやすくて、それなりに美しいことには事実ですから、「それで何の問題があるのでしょうか?」と言う呟きは聞こえてきそうです。
<追記>
こうは書いたのですが、しかし、例えばラフマニノフの3番やプロコフィエフの6番のように、音楽そのものが最初からビターなものだと、オーマンディのようにすっきり仕上げてくれるアプローチは悪くはないという感じがします。
ただし、その聞きやすさは元々苦みのある音楽に砂糖を振りかけて口当たりをよくするというのではなくて、すっきりとした苦みに仕立て上げてくれるという性質のものです。いわば、音楽に内在する晦渋さという灰汁をすっきりとした苦みに仕立ててくれているようです。とりわけ、プロコの6番は、始めて最後まで楽しく聞けたような気がします。
そして、その事はこの「古典交響曲」にもあてはまります。元々が「すっきり」としたプロポーションを持っていて、元々がそう言う音楽なのですから、それをすっきりと聞かせてくれて何の問題もないという気にはなります。
意外な感じがするのですが、オーマンディという人は外見とは正反対で、外連味溢れる作品とは帰って相性が悪いのかもしれません。
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よせられたコメント
2022-05-26:望月 岳志
- こちらのサイトで、オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団によるプロコフィエフ古典交響曲の録音を初めて聴かせていただきましたが、素晴らしいですね。
オーマンディの粘っこくないあっさりした品のよい表現、フィラデルフィア管の個々の奏者の巧さとアンサンブルの見事さで、古典交響曲の一つの理想かも知れないと思いました。
そいいえば、ハイドンの精神に基づいたこの作品をこれほど見事に演奏したこのコンビですが、ハイドンの録音も数少ないですが残しているそうですね。
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