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モーツァルト:セレナーデ第4番 ニ長調 K.203

ペーター・マーク指揮 ロンドン新交響楽団新交響楽団 1955年1月録音



Mozart:セレナーデ第4番 ニ長調 K.203 「第1楽章」

Mozart:セレナーデ第4番 ニ長調 K.203 「第2楽章」

Mozart:セレナーデ第4番 ニ長調 K.203 「第3楽章」

Mozart:セレナーデ第4番 ニ長調 K.203 「第4楽章」

Mozart:セレナーデ第4番 ニ長調 K.203 「第5楽章」

Mozart:セレナーデ第4番 ニ長調 K.203 「第6楽章」

Mozart:セレナーデ第4番 ニ長調 K.203 「第7楽章」

Mozart:セレナーデ第4番 ニ長調 K.203 「第8楽章」


ディヴェルティメントの概要

ディヴェルティメントというのは18世紀に流行した音楽形式で、日本語では「嬉遊曲」と訳されていました。しかし、最近ではこの怪しげな訳語はあまり使われることがなく、そのままの「ディヴェルティメント」と表示されることが一般的なようです。
さて、このディヴェルティメントとよく似た形式としてセレナードとかカッサシオンなどがあります。これらは全て貴族などの上流階級のための娯楽音楽として書かれたものだと言われていますが、その区分はあまり厳密ではありません。

ディヴェルティメントは屋内用の音楽で、セレナードは屋外用の音楽だったと説明していることが多いのですが、例えば有名なK.525のセレナード(アイネク)がはたして屋外での演奏を目的に作曲されたのかと聞かれればいたって疑問です。さらに、ディヴェルティメントは6楽章構成、セレナードは8楽章構成が典型的な形と書かれていることも多いのですが、これもまた例外が多すぎます。
さらに言うまでもないことですが、19世紀以降に書かれたセレナード、例えばチャイコフスキーやドヴォルザークなどの「弦楽ためのセレナード」などは、18世紀おけるセレナードとは全く違う種類の音楽になっています。ディヴェルティメントに関しても20世紀になるとバルトークの「弦楽のためのディヴェルティメント」のような形で復活するのですが、これもまた18世紀のものとは全く異なった音楽となっています。
ですから、これらは厳密なジャンル分けを表す言葉として使われたのではなく、作曲家の雰囲気で命名されたもの・・・ぐらいに受け取っておいた方がいいようです。

実際、モーツァルトがディヴェルティメントと命名している音楽だけを概観してみても、それは同一のジャンルとしてくくることに困難を覚えるほどに多様なものとなっています。
楽章構成を見ても6楽章構成にこだわっているわけではありませんし、楽器構成を見ても管楽器だけによるもの、弦楽器だけのもの、さらには両者を必要とするものと多種多様です。作品の質においても、「卓上の音楽」にすぎないものから、アインシュタインが「音楽の形式をとった最も純粋で、明朗で、この上なく人を幸福にし、最も完成されたもの」と褒めちぎったものまで、これもまた多種多様です。アインシュタインは、全集版において「ディヴェルティメント」という名前がつけられていると言うだけで、騎馬バレーのための音楽と繊細この上ない室内楽曲がひとまとめにされていることを強く非難しています。ですから、彼は全集版にしたがって無造作に分類するのではなく、作品を一つ一つ個別に観察し、それがどのグループに入るかを決める必要があると述べています。

新モーツァルト全集においては、アインシュタインが指摘したような「無情」さは幾分は改善されているようで、楽器構成を基本にしながら以下のような3つのカテゴリーに分類しています。

<第1部> オーケストラのためのディヴェルティメント、カッサシオン
<第2部> 管楽器のためのディヴェルティメント
<第3部> 弦楽器と管楽器のためのディヴェルティメント

ユング君にはこれらの作品を一つ一つ詳細に論じる力はありませんので、偉大なるアインシュタインがこれらの作品に寄せた賛辞を抜粋することで紹介に変えたいと思います

<第3部> 弦楽器と管楽器のためのディヴェルティメント


アインシュタインが「音楽の形式をとった最も純粋で、明朗で、この上なく人を幸福にし、最も完成されたもの」と評価したのは「K247・K287・K334」の3つの作品のことで、新全集では第3部の「弦楽器と管楽器のためのディヴェルティメント」のカテゴリに分類されています。さらに、姉ナンネルの誕生日のために書かれたK251(アインシュタインは「他の3曲よりもやや急いで投げやりに書かれた」と評しています)や、彼がこのような室内楽的な繊細さの先駆けと評したK205もこのカテゴリにおさめられています。
ただし、このカテゴリにはいくつかの断片作品の他にK.522:音楽の冗談 ヘ長調「村の音楽家の六重奏曲」がおさめられているのは謎です

K205:ディヴェルティメント 第7番 ニ長調
「5、6人の演奏者が行進曲とともに登場、退場し、庭にのぞんだ蝋燭の光に明るい広間で、本来のディヴェルティメントが演奏するさまが想像される。」
K247:ディヴェルティメント 第10番 ヘ長調「第1ロドロン・セレナーデ」
「二つの緩徐楽章の第1の方はアイネ・クライネのロマンツェを予感させる。」
K251:ディヴェルティメント 第11番 ニ長調「ナンネル・セプテット」
「なぜオーボエを使うのか?それはオーボエが非常にフランス的であるからである。ヴォルフガングはお姉さんの前でフランス風に振る舞いたかったのである。おそらくそれは、パリで一緒に住んでいた日々の思い出のためであろう。」
K287:ディヴェルティメント 第15番 変ロ長調「第2ロドロン・セレナード」
「2番目のアダージョはヴァイオリン・コンチェルトの純正で情の細やかな緩徐楽章となる。そして、フィナーレは、もはや「結末」ではなく、一つの偉大な、全体に王冠をかぶせる終楽章になっている。」
K334:ディヴェルティメント 第17番 ニ長調「ロビニッヒ・ディヴェルティメント」
「2番目の緩徐楽章はヴァイオリンのためのコンチェルト楽曲であって、独奏楽器がいっさいの個人的なことを述べたてるが、伴奏も全然沈黙してしまわないという「セレナード」の理想である。」

<第2部> 管楽器のためのディヴェルティメント


アインシュタインは管楽器のためのディヴェルティメントのことを「われわれは、これらの管楽器のためのディヴェルティメントを一つ一つ扱う必要はない。」と述べています。そして、「それらは純粋の庭園音楽であり、・・・気むずかしい案出もなく緊張もない、形式の遊びである」と言い切った作品が、この第2部にまとめられています。
しかし、アインシュタインはそういいきりながら、「この求めるところのない作品の系列の最後には、今度もまた非常にすぐれた3つの作品があり、この系列ばかりでなく、このジャンル全体の頂点と見なされるべきもの」と賛辞を送っています。
その3つの作品というのは、「K361・K375・K388」です。

K361:セレナード 第10番 変ロ長調「グランパルティータ」
「作品の直接の魔力は、単なる音響そのものから発する。それはトゥティと独奏の絶え間ない交替であり、新しい組み合わせの饗宴がある。」
「モーツァルトが最初の緩徐楽章で第1ホルンと第2ホルンだけを使っていることは、彼のこの上ない芸術的叡智を証している。それは恋する若者の高鳴る胸から、憧れと嘆きと愛とが息吹のようにあえぎ出る、あの星空のもとのローミオの情景である。」
K375:セレナード 第11番 変ホ長調
「第1楽章はソナタ形式の理想的な行進曲に他ならず、ここの楽器のどれものための、華やかな旋律的、装飾的な生命に満ちている。これを吹奏することは喜びである!」
K388:セレナード 第12番 ハ短調「ナハトムジーク」
「ハ短調という暗い調性はモーツァルトの社交音楽の中では唯一無二のものである。ト短調がモーツァルトにおける宿命の調性ならば、ハ短調は劇的な調性であり、いわば、叙情的なものがたえず陰気な発作に襲われるのである。この第1楽章はハ短調ピアノコンチェルト(K491)への道を開いていると同時に、ベートーベンの第5シンフォニーへの道も開いている。」

<第1部> オーケストラのためのディヴェルティメント、カッサシオン


アインシュタインは、このジャンルにおける最後のカテゴリとして、シンフォニーとヴァイオリン・コンチェルトとに同時に近づく作品群をあげています。このカテゴリにおける最も有名なものがK250の「ハフナー・セレナード」であり、アインシュタインは「一対のホルンを持つ室内楽曲でもなく、吹奏楽でもなく、コンチェルタントなものへの傾向を持つオーケストラ楽曲であり、シンフォニー楽曲である」と述べています。
新全集では主要な作品として以下がおさめられています。

K113:ディヴェルティメント 第1番(協奏曲)変ホ長調
「管楽セレナードと、初期のイタリア化したシンフォニーの中間に位置する作品である。弦楽器群と管楽器群はシンフォニーのようにコントラストをなしているが、全体は決定的に野外音楽に傾いており、理想的な庭園音楽である。」
K131:ディヴェルティメント 第2番 ニ長調
「ややのちに、これらのセレナーデは、明白な結婚式の音楽、つまり少なくとも八ないし九楽章を持つ、ざわめくような性格の晴れがましいシンフォニーとなる。」
K185:セレナード 第3番 ニ長調「アントレッター」
「旋律的な風刺に富み、結婚式の時のならわしどおり、思い切ってあからさまなエロティックな風刺もたっぷりある。」
K203:セレナーデ 第4番 ニ長調
挿入されたヴァイオリンコンチェルトは全く成熟しきっていて、作品の中の真正の作品であって、ただのエピソードではない。
K204:セレナーデ 第5番 ニ長調
「この曲は全般にのんびりと上機嫌に聴いていられる。最後のアレグロではもう儀式らしさが感じられない。」
K239:セレナーデ 第6番 ニ長調「セレナータ・ノットゥルナ」
「音響と旋律法の点で、モーツァルトの初期の作品中最も魅惑的な1曲であって、われわれは三つの楽章に補充を加える要求を感じない。」
K250:セレナーデ 第7番「ハフナー」
「一対のホルンを持つ室内楽曲でもなく、吹奏楽でもなく、コンチェルタントなものへの傾向を持つオーケストラ楽曲であり、シンフォニー楽曲である」
K286:セレナード 第8番 ニ長調「4つのオーケストラのためのノットゥルノ」
「ザルツブルグ近郊のミラベルにおける庭園の戯れと庭園の不思議のための、真の夜の音楽といえるだろう。」
K320:セレナーデ 第9番「ポストホルン」
「第1楽章では、モーツァルトと大司教の関係が、単に音楽的=象徴的にであるとはいえ、はっきりとユーモラスに描かれている。」
アレグロは戦闘的な性格を持っており、「戦闘的性格は第二主題で完全に対立に発展する。これはヴォルフガングの懇願をいっさい頑固にはねつける大司教である。なにも気づかない大司教にこれを聴かせ、この肖像によって理想的な復讐をしてやろうということが確かにモーツァルトの頭の中にはある。」
K525:セレナーデ 第13番 ト長調「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
「四つの楽章は全く簡潔である。音符一つ付けくわえることも不可能であろう。個人的すぎることはいっさい言わない。これは極度に小さな枠に収められた傑作中の傑作である。」


人はその一生の間に何と遠くまで歩けるものか

 ペーター・マークと言えば、晩年のイタリアでの地方オケ(パドヴァ・ヴェネト管弦楽団)を相手にしたこの上もなく個性的なモーツァルト演奏で一躍脚光を浴びた人でした。ユング君も、「技術万能の時代に、技術を追い求めるがために見失ってしまった音楽をすることの喜びが、ここからは聞こえてきます。」なんて書いたこともありました。
 しかし、その一事をもって、遅れてきた巨匠みたいな扱いをしたのでは、マークという音楽家の本質を見誤ってしまいます。彼のキャリアをよく見てみると、そんな「晩年になっての麗しい成功話」みたいな一筋縄ではいくような男ではないのです。
 簡単に経歴を振り返ってみると、1947年に地方の歌劇場を振り出しに、56年にはボン歌劇場のシェフへと着実に階段を上り、60年にはついに若くしてデッカという大レーベルから華々しくデビューを飾ります。そして、64年からはウィーンに乗り込んでフォルクスオーパーの監督に就任します。まさに、「70年代のスターの座」は約束されたも同然の順風満帆な音楽家人生を歩んでいたのです。
 ところが、そんな彼が突然にドロップアウトしてしまうのです。ウィーンを去った後も、ニューヨークやメトでの活動を展開していたのが、70年代以降は拠点をイタリアに移し、地方のオケや歌劇場を活動の主要な舞台としてしまうのです。
 この背景には、フォルクスオーパーの監督に就任する前に音楽家を休業して香港の禅寺で2年間を過ごした経歴との関連がよく指摘されます。そして、そこで身も心も「清潔」になったマークはついに音楽界の汚濁に耐えきれなくなってメジャーな舞台から身を退いたと言われます。もちろん、その説は否定しませんが、しかし、その後の彼の録音を聞いてみると、そう言う枯れた雰囲気は全くないのです。それどころか、音楽はより濃厚で、時には「我が儘」と言えるほどのやりたい放題が聞けるのです。件のモーツァルトなどはそう言う「我が儘」がうれしくてみんな注目したのでした。
 私も、気がつけば50の坂を越えてしまいました。
 まわりからの期待にそれなりに応え、それなりの評価も受け、その結果としてそれなりの報酬も得てそれなりに順風な人生を送ってきたわけですが、しかし、果たしてそんなことでたった一度の人生を終えていいのか!!・・・とは、それなりの年齢に達した人なら誰しもが脳裏をかすめる思いでしょう。そして、たった一度の人生ならばもっと自分のやりたいように「我が儘」に振る舞ってのいいのではないかという「悪魔のささやき」を一度や二度は耳元に聞いたことでしょう。
 おそらく、マークはそう言う声に従ったのでしょう。約束された「スターの座」(それは、まわりからの期待に応え続けることを意味します)よりは、自分のやりたい音楽を自分のやりたいようにやれる環境を選んだと言うことなのでしょう。そして、凡百の凡夫がそんな「悪魔のささやき」に従えば、結果として己を甘やかすだけの結果に終わるのですが、マークの場合はその「我が儘」の果てに世界中の人々を唸らせたのですから、やはりただ者ではなかったと言うことです。
 ここで、お聞きいただけるモーツァルトは、そう言う晩年のマークとは全く正反対のベクトルを持つ演奏です。そして、晩年のマークを知っているが故に、まわりの期待に応えて成功への階段を必死で駆け上がろうとしている若者の姿が悲しいまでに浮かび上がってきます。そして、パドヴァ・ヴェネトのオケを相手にした晩年の音楽とこれらの若き日の音楽を聞き比べてみる時、人はその一生の間に何と遠くまで歩けるものかと溜め息が出るのは私だけではないことでしょう。

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2010-09-18:PhiloSophia





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