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クナッパーツブッシュ(Hans Knappertsbusch)|ブルックナー:交響曲第3番「ワーグナー」
ブルックナー:交響曲第3番「ワーグナー」
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 バイエルン国立歌劇場管弦楽団 1954年10月11日録音
Bruckner:交響曲第3番「ワーグナー」 「第1楽章」
Bruckner:交響曲第3番「ワーグナー」 「第2楽章」
Bruckner:交響曲第3番「ワーグナー」 「第3楽章」
Bruckner:交響曲第3番「ワーグナー」 「第4楽章」
ブルックナーというのは試金石のような存在でした。

吉田秀和氏が50年代に初めてヨーロッパを訪れたときのことを何かに書いていたのを思い出します。
氏は、「今のヨーロッパで聞くべきものは何か」とたずねると、その人は「まず何はおいてもクナッパーツブッシュのワーグナーとブルックナーは聞くべきだ」と答えます。そこで、早速にクナが振るブルックナーを聞いてみたのですが、これがまたえらく単純な音楽が延々と続きます。とりわけスケルツォ楽章では単調きわまる3拍子の音楽が延々と続くので、さすがにあきれてしまって居眠りをしてしまいました。ところが、再び深い眠りから覚めてもまだ同じスケルツォ楽章が演奏されていたのですっかり恐れ入ってしまったというのです。
そして、その事をくだんの人に正直に打ち明けると、その人は、「日本人にはベートーベンやブラームスが精一杯で、ブルックナーはまだ無理だろう」と言われたというのです。
50年という時の流れを感じさせる話ですが、ことほど左様にブルックナーの音楽を日本人が受容するというのは難しいことでした。いや、歴史をふりかえってみれば、ヨーロッパの人間だってブルックナーを受容するのは難しかったのです。
あまりにも有名なエピソードですから今さらとも思われるのですが、それでも知らない人は知らないわけですから簡潔に記しておきましょう。
初演というのは怖いもので、数多のスキャンダルのエピソードに彩られています。その中でも、このブルックナーの3番の初演は失敗と言うよりは悲惨を通り越した哀れなものでした。
ブルックナーはこの作品をワーグナーに献呈し、献呈されたワーグナーもこの作品を高く評価したためにウィーンフィルに初演の話を持ち込みます。そして、友人のヘルベックの指揮で練習が始められたのですが、わずか1回で「演奏不可能」としてその話は流れてしまいます。しかし、指揮者のヘルベックはあきらめず、ワーグナー自身も第2楽章のワーグナー作品の引用などを大幅にカットすることによって作品を凝縮させることで、再び初演に向けた動きが現実化し始めます。ところが、そんな矢先にヘルベックがこの世を去ってしまいました。そこで、仕方なくブルックナー自身の指揮で初演を行うようになってしまったのです。
ブルックナーの指揮はお世辞にも上手いといえるようなものではなく、プロの指揮者のもとで演奏することになれていたウィーンフィルにとってはまさに「笑いもの」といえるような指揮ぶりだったようです。そんな状態で初演の本番をむかえたわけですから演奏は惨憺たるもので、聴衆は一つの楽章が終わるごとにあきれ果てて席を立っていき、最終楽章が終わったときに客席に残っていたのはわずか25人だったと伝えられています。そして、その25人の大部分もその様な酷い音楽を聴かせたブルックナーへの抗議の意志を伝えるために残っていたのでした。ウィーンフィルのメンバーも演奏が終わると全員が一斉に席を立ち、一人残されたブルックナーに嘲笑が浴びせかけられました。
ところが、地獄の鬼でさえ涙しそうなその様な場面で、わずか数名の若者が熱烈にブルックナーを支持するための拍手を送りました。その中に、当時17才だったボヘミヤ出身のユダヤ人音楽家がいました。彼の名はグスタフ・マーラーといいました。
あまりにも有名なエピソードです。
この、なんだか訳の分からないブルックナーの音楽を日本に紹介する上で最も大きな功績があったのが朝比奈と大フィルとのコンビでした。彼らは、マーラーブームやブルックナーブームがやってくるずっと前から定期演奏会でしつこく何度もブルックナーを演奏していました。そして、その無謀とも思える試みの到達点として1975年のヨーロッパ演奏旅行における伝説の聖フローリアンでの演奏が生まれます。
このヨーロッパ演奏旅行で自信を深めた彼らはその帰国後にジャンジャンという小さなレーベルで2年をかけてブルックナーの交響曲全集を完成させます。このレコードはその後「幻のレコード」として中古市場でとんでもない高値で取引されるようになり、普通の人では入手が困難になっていたのですが、数年前に良好な状態でCD化されてようやくユング君の手元にも届くようになりました。そして、手元に届いたジャンジャン盤のCDの中からユング君真っ先にとりだして聞いてみたのがこのブルックナーの3番「ワーグナー」でした。
理由は簡単です。ユング君が生まれて初めて生で聞いたブルックナーが朝比奈&大フィルによるブル3だったからです。
そのときのコンサートの感動は今も胸の中に残っています。
クラシック音楽を聴き始めた頃のユング君にとって吉田大明神の文章はまさにバイブルでしたから、「ブルックナーというのは難しい音楽だ」という身構えた気持ちで出かけました。ところが、朝比奈と大フィルが作り出す音楽には難しさや晦渋さなどは全く感じませんでした。それどころか、そこで展開された音楽はヨーロッパの大聖堂を思わせるような「壮麗」の一言に尽きるような素晴らしいものでした。ユング君はその一夜の経験ですっかりブルックナーが大好きになってしまい、その後次々とブルックナーのLPを買いあさるようになったのでした。
そんな思い出を懐かしみながら再生したジャンジャン盤のブル3はお世辞にも上手いとはいえない演奏でした。しかし、その演奏にはブルックナーへの深い愛と献身が満ちていました。こういう演奏に技術的な批評など何の意味もありません。
これより上手いブルックナー演奏なら掃いて捨てるほどあります。ブルックナーに対する深い尊敬を感じさせる演奏も少なくはありません。しかし、これほど深い献身を感じさせる演奏は私は知りません。
初演の舞台で嘲笑をあびながら一人孤独に立ちつくしたブルックナーが、それから100年を経た東洋の島国でこのような演奏がなされたことを知れば、どれほどの深い感謝を捧げたことでしょう。そして、その様な朝比奈&大フィルのコンビとともにクラシック音楽に親しんでこれたことが、ユング君にとっても最も幸福な思い出の一つとなっています。
いつもいつも名演とは限らない・・・
クナのブルックナーといえば水戸黄門の印籠のようなものと思われがちですが、あれこれのライブ録音を聞く限りではいつもいつも名演だとは限らなかったようです。吉田氏が50年代の初めにクナのブル7を聞いて「恐れ入ってしまった」ことは有名な話ですが、そのときもあまり調子のよくない演奏だったのかもしれません。
ここで聞けるブルックナーも出だしはクナにしては少しセカセカした感じであまり好ましくありません。そのテンポも次第に落ち着いてくるのですが、ミュンヘンフィルとの8番やウィーンフィルとの5番のような神がかったほどのスケールの大きさには至らずに終わってしまいます。しかし、それはクナ故の期待の大きさの裏返しであり、凡百の指揮者の演奏と比べれば、これはこれで十分に聞くに値する部分はたくさんある演奏だといえます。
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よせられたコメント
2015-03-10:HIRO
- クナッパーツブッシュのブルックナーというと、すぐに「クナは良いが、楽譜(改訂版)がダメだ…」などと言い出す人が、まだいますが、果たしてダメな楽譜で名演奏をするなんて、そんなことができるのでしょうか。
反対にブルックナーで最もオリジナルに近い原典である「第1稿」での名演、名盤はあるのでしょうか。
企画狙いの指揮者は問題外ですが、ブルックナーで幾つもの名演を聴かせてくれたブロムシュテットが、どういう訳か、第3番で録音でもライブでも「第1稿」を使って熱演しています。
しかし、残念ながら、感動を呼ぶというころまではいきません(少なくとも私には…)。
なぜか?…ブルックナーの「第1稿」がつまらないからです。
ブルックナーは遅咲きの大家で、作品を世に問うことを始められたのは、すでに中年期に入ってからでした。作風からしても、決して器用な作曲家とは言えなかったでしょう。作品も、老人の繰り言よろしく、何度も何度も同じことを繰り返します。
優れた作曲家なら当たり前にするであろう推敲が上手くできません。
それは本人が一番分かっていたことで、見兼ねた弟子たちが意見を言ったり、実際に作業をしたりと、枝葉を落として磨き上げ、「作品」に仕上げました。
各版はその過程を示しており、普通は知る由もない、作曲家の創作の現場を覗き見られるようで、ブルックナーファンには、たまらない魅力です。
同じ曲を数種類の味付けで味わえるなんて、なんて幸せなのでしょう。
どの版を使うかは、その指揮者のブルックナー観をあらわしています。
フルトヴェングラーのハース批判やギュンター・ヴァントのノヴァーク嫌いは有名ですが、クナッパーツブッシュが改訂版を使い続けたのにも当然理由があって、それは彼が残した録音で明らかでしょう。
「改訂版」の見直しはすでに始まっていて、国際ブルックナー協会が第4番の「改訂版」を「Korstvedt版」として、正式に出版し直したのは記憶に新しいことです。
第3番について言えば、セルはいつも「改訂版」を使っていましたし、朝比奈も晩年、第3番を再録音したのは「改訂版」でした。
今の時代、ブルックナーの楽譜はどれも、簡単に手に入ります。
自分で調べてみると、さまざまな発見があります。
「改訂版」を知らずに、ブルックナーは語れません。
レコード会社の表記はいい加減ですし、指揮者が勝手に楽譜に変更を加えているものも数知れません。
古い時代の分解能の低い、不明瞭な録音は尚更、ただ聞いているだけでは、分からないことがたくさんあります。
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