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ケンプ(Wilhelm Kempff)|シューベルト:ピアノ・ソナタ第18番 ト長調 D.894「幻想」(Schubert:Piano Sonata in G major, D.894)
シューベルト:ピアノ・ソナタ第18番 ト長調 D.894「幻想」(Schubert:Piano Sonata in G major, D.894)
(P)ヴィルヘルム・ケンプ:1965年2月録音(Wilhelm Kempff:Recorded on February, 1965)
Schubert:Piano Sonata No.18 in G major, D.894 (Op.78) "Fantasie" [1.Fantasia: Molto Moderato Cantabile]
Schubert:Piano Sonata No.18 in G major, D.894 (Op.78) "Fantasie" [2.Andante]
Schubert:Piano Sonata No.18 in G major, D.894 (Op.78) "Fantasie" [3.Allegro Moderato - Trio]
Schubert:Piano Sonata No.18 in G major, D.894 (Op.78) "Fantasie" [4.Allegretto]
「幻想曲」として知られている
![](../Jacket_record/Wilhelm_Kempff/Kempff_Schubert_Piano_Sonata_No18_16_65.jpg)
この作品は「幻想曲」として知られています。
それは、この作品を出版したときに、業者がこの4つの楽章をそれぞれ「ファンタジー」「アンダンテ」「メヌエット」「アレグロ」という4つの小品として出版したからです。おそらく、そうした方が「売れる」と業者は判断したのでしょうが、それでも第1楽章はソナタ形式で書かれているものの「ファンタジー(幻想曲)」と呼ばれるに相応しい歌に満ちています。その意味では、この作品全体を「幻想曲」と読んでもそれほど的外れではないとも言えます。
さらに言えば、ピアノ・ソナタにおいて、ここまでシューベルト的な歌に満ちた作品がこの時期に生み出されたことについては注目すべき事だと思います。彼のピアノ・ソナタは先行するベートーベンのソナタなどの模倣から始まり、それを乗りこえていくための労苦が刻み込まれています。その意味では、これは彼の最後のソナタとなったロ短調のソナタに真っ直ぐ結びついていくものだったと言えます。
第1楽章(Molto moderato e cantabile)
おそらく、この冒頭の歌はシューベルト以外の作曲家には絶対に書くことのできないものです。この叙情歌で始まることを持ってこれを幻想曲と呼ぶことに躊躇いはなくなるでしょう。
そして、この主題が次第にぼかされるようにして繰り返されると第2主題が登場します。この時右手は第1主題を奏していて、二つの主題が実にもって見事に統合されています。シューマンがこの作品を評して「有機的かつ生命に満ちている」と語ったのもこういう部分を見て取ったのでしょう。
第2楽章(Andante)
変奏的技法を用いた緩徐楽章であり、穏やかで優しい旋律が印象的です。しかし、その美しい主題が時々荒々しい和音で中断されるところは美しいだけでないシューベルトの歌の闇を感じさせます。そして、そういう闇こそがもう一つのシューベルト的なのだと再認識させられます。
第3楽章(Menuetto. Allegro moderato - Trio)
一応はメヌエットとはなっているのですが、そう言う実用的な舞曲をそのままの形で取り入れるようなことはしていません。トリオでは同じ調性で書かれているのは従来の作品では見られないことで、さらにそのトリオは精緻な室内楽的な処理が為されていて極めて美しい音楽になっています。
第4楽章(Allegretto)
ロンド形式であり、第1部は明解なロンド主題で始まります。第2部はそれほど明確な主題を用いないでリズミカルな伴奏音型の上で自由な楽句がおかれるだけです。続く第3部では第1部の構成を踏襲し、第4部はそれ自体が3部形式をとっていて最後は大きなクライマックスを築くのではなくて静かに曲が閉じられます。
悲しみと告白に寄りそう
ブレンデルはケンプのことを「エオリアン・ハープ」にたとえました。
「エオリアン・ハープ」とは自然に吹く風によって掻き鳴らされるハープのことで、神のはからいでそれが上手く鳴ったときは、誰もかなうものがないほどに見事に鳴り響くと言われています。
つまり、ケンプもまた、神のはからいで上手く鳴り響いたときは、それこそ誰もかなうものがないほどに素晴らしい音楽を聴かせてくれるピアニストだと言うことなのです。
そして、そう言うケンプの素晴らしさが見事にあらわれているのが1960年代のシューベルトのピアノ・ソナタ全集でしょう。
その全集録音は1965年に始まって1970年に完了しています。
つまりは、残念なことにその全集の少なくない部分がパブリック・ドメインからこぼれ落ちてしまったと言うことです。法改訂によって1967年までにリリースされたものしかパブリック・ドメインにならないので、このサイトで紹介できるのは以下の録音だけです。
- シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D.960 (P)ヴィルヘルム・ケンプ:1967年1月録音
- シューベルト:ピアノ・ソナタ第18番 ト長調 D.894「幻想」 (P)ヴィルヘルム・ケンプ:1965年2月録音
- シューベルト:ピアノ・ソナタ第16番 イ短調 D.845 (P)ヴィルヘルム・ケンプ:1965年2月録音
- シューベルト:ピアノ・ソナタ第15番 ハ長調 D.840 (P)ヴィルヘルム・ケンプ:1967年1月録音
- シューベルト:ピアノ・ソナタ第13番 イ長調 D.664 (P)ヴィルヘルム・ケンプ:1967年1月録音
しかし、欲を言えばきりがないのであって、5曲だけでもパブリック・ドメインとしてすくい上げることが出来たことを慶ぶべきでしょう。
言うまでもないことですが、ここには聞いてすぐに分かる華やかさはありません。ケンプはシューベルトのソナタについて常にこのように語っていたようです。
大部分のピアノソナタは、巨大なホールの光輝くライトの下で演奏されるべきものではない。これらのソナタは、とても傷つきやすい魂の告白だからです。もっと正確にいいますと、独白だからです。
静かに囁きかけるため、その音は、大きなホールでは伝わりません。
そうです、ケンプの演奏はシューベルトにかかわらず、常に静けさに満ちているのです。最近、聞いた60年代のモーツァルトやベートーベンの協奏曲であっても、そこには静けさと吹き渡る風のような自然さに満ちています。
ですから、ケンプの晩年の演奏に対してテクニックの衰えなどを指摘しても何の意味もないのです。
彼は常に作品と向き合って、真摯にその悲しみと告白に寄りそうことだけを大切にしています。ですから、聞き手は彼の紡ぎ出す響きの中にそれを聴き取る努力を求めます。それは何気ないテンポの揺らぎであり、意味深い休止符の提示であったりします。そして、それは決して聞く人の耳をすぐにとらえる華やかさとは無縁です。シューベルトは、そのピアニッシモに自分の心の奥底の秘密を託しているのです。
しかし、一度そのケンプの嘆きとシューベルトの嘆きが共鳴していることを聞き取る瞬間があれば、おそらくこの一連のソナタの演奏は人生の宝物となることでしょう。
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