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カークパトリック(Ralph Kirkpatrick)| J.S.バッハ :平均律クラヴィーア曲集 第2巻(BWV 876‐BWV 881)
J.S.バッハ :平均律クラヴィーア曲集 第2巻(BWV 876‐BWV 881)
(Clavichord)ラルフ・カークパトリック:1967年5月~6月録音
Bach:The Well-Tempered Clavier Book2 in E-flat major, BWV 876
Bach:The Well-Tempered Clavier Book2 in E-flat minor, BWV 877
Bach:The Well-Tempered Clavier Book2 in E major, BWV 878
Bach:The Well-Tempered Clavier Book2 in E minor, BWV 879
Bach:The Well-Tempered Clavier Book2 in F major, BWV 880
Bach:The Well-Tempered Clavier Book2 in F minor, BWV 881
クラヴィーア奏者たちの旧約聖書
バッハの平均律に関しては「成立過程やその歴史的位置づけ、楽曲の構造や分析などは私がここで屋上屋を重ねなくても、優れた解説がなされたサイトがありますのでそれをご覧ください。」としていたのですが、すでにリンク先が無くなっていたりしますので、少しばかり自分なりの紹介を書いておきます。
まずは、この作品は基本的には練習曲であることは間違いありません。それはこの作品の成立過程からも明らかです。
注目すべきは、バッハが自分の長子のために書き始めた「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集」です。
この作品はその名の通り、フリーデマンの教育のために書かれた作品集で、フリーデマンが9才を少しこえた「1720年1月22日にはじめる」と記されています。このフリーデマンはバッハがもっとも期待していた息子であり、息子の成長につれて1曲ずつ書き込んでいったと思われます。
そして、何年にわたって書き込まれたかは不明ですが、結果的には62曲から成り立っています。そして、その62曲の中には、後に「インヴェンションとシンフォニア」と題されることになる全30曲や「平均律クラヴィーア曲集第1巻」のプレリュードのうちの11曲が含まれています。
「平均律クラヴィーア曲集第1巻」は1722年に、そして、「インヴェンションとシンフォニア」と1723年にまとめられたことになっているのですが、それはそれらの年に一気に書かれたものではなく、おそらくは「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集」に代表されるような息子や、おそらくは弟子たちのために書きためられた作品をある種の意図を持ってその年にまとめられたと見るべきものなのです。
そして、バッハがそう言う過去の作品の中から「平均律クラヴィーア曲集第1巻」としてまとめようとした意図は、自筆譜に記された「標題」から明らかです。
平均律クラヴィーア曲集、または、長3度すなわちドレミも、短3度すなわちレミファも含むすべての全音と半音を用いた前奏曲とフーガから成る。
音楽の学習を志す若者が有益に利用するために、また、この学習に熟達した人びとが特別の慰めを得るために
ついでにあげておけば、「インヴェンションとシンフォニア」の序文には次のように記しています。
クラヴィーア愛好家、とりわけ学習希望者が、2声部をきれいに演奏するだけでなく、さらに上達したならば、3声部を正しくそして上手に処理し、それと同時にすぐれた楽想(inventiones)を身につけて、しかもそれを巧みに展開すること、そしてとりわけカンタービレの奏法を習得し、それとともに作曲の予備知識を得るための、明瞭な方法を示す正しい手引き。
つまりは、バッハはこれらの作品にはたんなる練習曲だけでなく、それらの作品を通してより幅広い音楽的な感性を養うことを求めたのです。そして、「平均律クラヴィーア曲集」には「学習に熟達した人びとが特別の慰めを得るために」という深い言葉も付しています。
さらに、「平均律クラヴィーア曲集」には「平均律」という鍵盤楽器のための新しい調律法に挑むという意気込みもあったようです。
言うまでもなく、鍵盤楽器はオクターブを12の音階に等分します。しかし、単純に12等分すると、その等分の出発点とする音階によって上手く響かない調が出来てしまいます。これは受け売りなのですが、出発点を「C」に設定すると「ハ長調」は素晴らしく美しく響くのですが「ホ長調」はどうしようもなく穢く響くそうです。
その事は、ハ長調の作品でホ長調に転調すると困ったことになると言うことにも繋がります。
そこで、この不都合を何とか解決してどの「調」も綺麗に響くために、完璧を目指すのではなくて、多少の狂いは目を瞑ってお互いに折り合いをつけることが必要になるのです。
その時に、重要なのは、人間の耳がもっとも敏感に聞き取る「オクターブ」と「完全5度」「長3度」の響きの取り扱いでした。
つまりは、この人間の耳が敏感に感じとる響きにどの程度の犠牲を強いるかと言うことで、「長3度」に重きをおくか「完全5度」に重きをおくかの意見の違いがあったのです。
バッハの時代には「長3度」を大切にしてそれを出来るだけ狂いなく響かせることを重視し、その代わりに「完全5度」に犠牲を押しつけるやり方が一般的でした。しかし、そのやり方に真っ向から異議を唱え、「完全5度」をより純正に保てば「長3度」は多少ずれてもそれほど目立たないと主張したのがバッハです。
そして、その主張の正しさを作品でもって証明して見せたのが、この「平均律クラヴィーア曲集第1巻」だったのです。
ですから、バッハが晩年にまとめた「平均律クラヴィーア曲集第2巻」はその成立過程は1巻とは大きく異なります。
まず、「平均律クラヴィーア曲集第2巻」の自筆譜には「24の前奏曲とフーガ」としか記されていません。また、作品がまとめられたのはバッハの晩年にあたる1742年なのですが、そこには晩年の作品だけでなく、1巻がまとめられる以前に作曲された作品も多く含まれていて、それこそバッハの創作力がもっとも旺盛だったおよそ20年間の作品の中から選択されたものをもとに整理されているのです。
ですから、作品全体には1巻のようなまとまりに欠ける面はあるのですが、多様性という点では目を瞠るものがあるのです。
まさにハンス・フォン・ビューローが「平均律クラヴィーア曲集のプレリュードとフーガはクラヴィーア奏者たちの旧約聖書であり、ベートーベンのソナタは新約聖書である」と言ったのは見事なまでにそれらの作品の本質を言い当てているのです。
クラヴィコードによる貴重なる平均律の演奏
今まで聞いたことがないようなバッハの平均律です。それは、何とも可憐な響きが大きな要因です。例えてみれば、それは岩場に咲く高山植物のようです。繊細でいながら気高く、そして時には凛とした美しさをたたえています。
そして、この録音を聞いて、バッハがこの作品の自筆譜の標題の意味を初めて実感として感じることが出来ました。
平均律クラヴィーア曲集、または、長3度すなわちドレミも、短3度すなわちレミファも含むすべての全音と半音を用いた前奏曲とフーガから成る。
音楽の学習を志す若者が有益に利用するために、また、この学習に熟達した人びとが特別の慰めを得るために
現アンハルト=ケーテン侯の楽長、宮廷楽団の監督
ヨーハン・セバスティアン・バッハ作
重要なのは「音楽の学習をこころざす若い人々の有益な使用のために」としながら、あわせて「すでにこの学習に習熟せし人々の特別な慰みのために」とも記している事です。
この「特別な慰みのために」という言葉の意味を、この演奏ほど、実感として聞き手に感じさせてくれるものはありません。
ここにあるのは聴衆のためではなくて、まさに自分のために演奏された平均律であるように感じられるのです。
これは実に不思議なことです。それは、カークパトリックと言えばすぐに思い出すモダン・チェンバロの響きとは全く異なるのです。
あのモダン・チェンバロの、とりわけモンスター級のランドフスカモデルのチェンバロがもつ独特な響きには閉口することがあるのですが、これはそう言う響きとは全く次元の異なる響きです。
そこで、調べてみて分かったのは、カークパトリックが1959年に録音した平均律の第1巻の録音ではチェンバロではなくてクラヴィコードを使っているという事です。
チェンバロもクラヴィコードも同じ鍵盤楽器ですが、その仕組みは全く異なります。
チェンバロは弦を弾くことで音を出します。
それに対してクラヴィコードはタンジェントと呼ばれる金具で弦を突き上げることで音を出します。
ですから、チェンバロと違って音に強弱をつけることが出来ます。
しかしながら、下からタンジェントという真鍮板を突き上げて音を出すので、チェンバロと較べても音量ははるかに小さくなります。チェンバロはピアノと較べればはるかに小さな音しか出せないのですが、そのチェンバロよりもはるかに小さな音しかでないのがクラヴィコードです。ですからその音は「蚊の鳴くような」とか「蜂の羽音」等と言い表されてきたものです。
しかしながら、タッチの微妙な変化がダイレクトに弦に伝えることができます。と言うか、そう言う微妙なタッチの違いがすぐに響きの違いとして露呈してしまうと言う「恐い」楽器でもあるようです。
さらに、音が出ている間にタンジェントに指の振動を伝えるとヴィブラートをかけることもできます。
つまりは、指先の微妙なタッチがすぐに響きに結びつくので、一切の小手先の誤魔化しを許さない楽器なのです。
あまり、専門的なことは分からないのですが、タンジェントのポジショニングがそのまま音響に反映されるクラヴィコードでは、指が鍵盤にすい付いたように一体化する必要があるようなのですが、それは口で言うほど容易いことではないようです。
それ故に、多彩な強弱と音色を表現することが可能なので、ポリフォニックなバッハの音楽をより立体的なものとして造形する事が可能なのです。
ただし、クラヴィコードという繊細な楽器を操って、そう言うことを実際の音楽として実現するには超絶的な技巧が必要です。
ですから、そう言う極めて扱いにくい楽器を相手にして、ほぼ完璧と言えるほどの完成度でバッハの作品を演奏しているのですから、カークパトリックの演奏者としての技量は並外れたものだと言わざるを得ません。
そして、その微妙で繊細であっても、蚊の鳴くような音しか出ないクラヴィコードの響きを見事にすくいきった録音陣もあっぱれです。
ところが、どうしたわけか、この数年後に、カークパトリックはチェンバロを使ってもう一度この平均律の第1巻を録音しています。そして、第2巻の方もまずはチェンバロで録音を行い、最後にクラヴィコードを使って第2巻を録音しています。
彼が、どうしてそう言う二種類の楽器を使い分けて、この膨大な平均律の音楽を2回も録音したのか、不思議と言えば不思議です。
そのあたりのことは、チェンバロを使ったを録音を紹介するときにじっくりと考えてみたいと思います。
なお、この録音に使われた楽器はArnold Dolmetsch(アーノルド・ドルメッチ)が1910年代の作成したクラヴィコードではないかと言われているらしいのですが、残念ながら確証は得られませんでした。
第2巻の時にはドルメッチの弟子にあたるJohn Challis(ジョン・シャリス)制作の楽器を使ったようです。
このあたりも随分吟味をしたものと思われます。
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