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チャイコフスキー:眠れる森の美女, Op.66 (抜粋)

ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1961年2月12日録音



Tchaikovsky:The Sleeping Beauty, Op.66 [1.Introduction]

Tchaikovsky:The Sleeping Beauty, Op.66 [2.Pas de six (Prologue)]

Tchaikovsky:The Sleeping Beauty, Op.66 [3.Act1 Valse]

Tchaikovsky:The Sleeping Beauty, Op.66 [4.Act2 Pas d'action "'Rose' Adagio"]

Tchaikovsky:The Sleeping Beauty, Op.66 [5.Act3 Panorama]

Tchaikovsky:The Sleeping Beauty, Op.66 [6.Act3 Marche]

Tchaikovsky:The Sleeping Beauty, Op.66 [7.Act3 Pas de quatre]

Tchaikovsky:The Sleeping Beauty, Op.66 [8.Act3 Pas de caractere]

Tchaikovsky:The Sleeping Beauty, Op.66 [9.Act2 Pas de quatre]

Tchaikovsky:The Sleeping Beauty, Op.66 [10.Act3 Pas de deux]

Tchaikovsky:The Sleeping Beauty, Op.66 [11.Act3 Apotheosis]


バレエ・クラシックの頂点を築いた作品

「白鳥の湖」の大失敗で、二度とバレエ音楽は書かないと心に決めていたチャイコフスキーにもう一度バレエ音楽を書かせたのは、マリンスキー劇場の監督官だったウセヴォロジェスキーなる人物でした。

この見識あふれる監督官は、口当たりのいい伴奏音楽しか書かない座付きの作曲家がロシアバレエを堕落させている原因だと断定し、チャイコフスキーに作曲の依頼をすることにしたのです。
彼は、この「眠れる森の美女」の台本でチャイコフスキーの興味と意欲をかきたて、さらには「くるみ割り人形」も依頼し、さらには「白鳥の湖」の復活にも尽力したのですから、私たちは彼に多大なる感謝の念を捧げるべきでしょう。

チャイコフスキーはこの監督官の情熱に押し切られるような形で「眠れる森の美女」の作曲を承諾し、大変な多忙の中でスケッチをはじめます。
そして、草稿が完成したときに彼は手紙の中で「この作品は私の生涯でもっともすぐれた作品の一つになると思います。」と述べています。

その後オーケストレーションも完成して、総譜は振り付け師のプティパの手に渡り、入念な稽古の末に皇帝臨席のもとに初演が行われました。
しかし、結果は予想外に芳しくなく、皇帝は「結構でした。」と一言述べただけだったと伝えられています。

原因としては、未だにバレエというものは踊り手の妙技を楽しむものであって、音楽はあくまでも添え物としての伴奏にすぎないという従来からのスタイルに慣れきった宮廷に人々には「難しすぎた」と言うこともあるでしょう。
当時の新聞には「チャイコフスキーの音楽は演奏会用作品でまじめすぎ、重厚すぎた」と書かれています。

さらに言えば、振り付け師のプティパ自身も、音楽が持っている全体的な統一感よりは、個々の小さなシーンを一つずつ完結するようにする従来からのやり方を踏襲したために、両者の間に不調和が生じたためだとも言われています。
しかし、後に「ロシア芸術の祭典」とも讃えられることになる魅力的な旋律ときらびやかな響きは少なくない人々の心をとらえたことは間違いなかったようです。

やがて、音楽と演出の不整合な部分も次第に修正が加えられて、ついにはバレエ・クラシックの頂点を築いた作品としての評価を築き上げていくことになります。
最後に全くの余談となりますが、今から20年ほど前、とあるコンサートに行ったときに入り口でもらったチラシの中に「眠れぬ森の美女」というのが入っていました。

今から思えば、記念として保存しておくべきでした。

<お話のあらすじ>
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

プロローグ
フロレスタン14世の娘、オーロラ姫の誕生により、盛大な洗礼の式典が行われている。6人の妖精たちの一行が招待を受けて、彼女の名付け親となるべくやってくる。夾竹桃の精、三色ヒルガオの精、パンくずの精、歌うカナリアの精、激しさの精、そして一番偉い善の精、リラの精である。まず国王が妖精たちに贈り物をし、妖精たちがそれぞれオーロラ姫に授け物をする(正直さ、優雅さ、繁栄、美声、および寛大さなどを授けた、とする改訂版もある)。

その時、邪悪な妖精カラボスがやってくる。カラボスは自分が洗礼に招待されなかったことに怒り狂い、オーロラ姫に次のような呪いをかける。

「オーロラ姫は、20回目(改訂版では16回目)の誕生日に彼女の指を刺して、死ぬでしょう。」

しかし幸運にも、リラの精だけはまだ姫に何も授けていなかったため、次のように宣言する。

「カラボスの呪いの力は強すぎて、完全に取り払うことはできません。したがって姫は指を刺すでしょうが、死ぬことはありません。100年間の眠りについたあと、いつか王子様がやってきて、彼の口づけによって目を覚ますでしょう。」

第1幕
オーロラ姫はすくすくと成長し、20歳(16歳)の誕生日を迎えた。その誕生日に編み物をしている娘たちを見て国王は激怒する。オーロラ姫を守るために編み物・縫い物は禁止していたためだ。めでたい祝いの日なので国王は怒りを鎮めて祝宴をはじめる。

オーロラ姫には4人の求婚者がおり、彼らがバラを姫に手渡したそのすぐ後、姫は何者かからつむを贈られる。彼女は尖ったものに気をつけるようにという両親の忠告にも関わらず、それを持ったまま楽しそうに踊る。そして誤って指を刺してしまう。

カラボスは、すぐに邪悪な本性を明かしながら、勝ち誇り、驚く賓客の前で姿を消す。同時にリラの精が約束通りやってきて、王と王妃、そして賓客たちに、オーロラ姫は死ぬのではなく眠りにつくのだということを思い出させる。リラの精は城にいた全員に眠りの魔法をかける。オーロラ姫が目覚めるその時に、目を覚ますように、と。

第2幕
それから100年が経った頃、デジレ王子が一行を率いて狩りを行っていた。王子は狩りが楽しくなかったため、一人になりたいと申し出て、一行から離れる。そこに突然リラの精が現れて、オーロラ姫の幻を見せられた王子はその美しさの虜となる。王子はリラの精にオーロラ姫の元へ連れて行くよう頼み込み、今や太いツルが伸び放題でからみついている城にたどり着く。リラの精はオーロラ姫の名づけ親だが、デジレ王子の名づけ親でもあった。

王子は城の中に入り、中で眠っているオーロラ姫を発見し、王子のキスによってオーロラ姫は目を覚ます(原作は非暴力的で愛すること・考えることを重視するが、改訂版では邪悪なカラボスを打ち負かす、といった展開もある)。彼女が目を覚ましたため、城にいた全員が目を覚ます。王子は姫への愛を告白し、結婚を申し込む。

第3幕
婚礼の仕度は整った。祝祭の日にさまざまな妖精たちが招かれている。結婚を祝福するのは、金の精、銀の精、サファイアの精、ダイヤモンドの精である。リラの精もカラボスも出席している。「長靴をはいた猫」や「白猫」などのおとぎ話の主人公たちも来賓として居合わせている。

華麗なダンスが次々に踊られる。4人の(宝石・貴金属の)妖精のパ・ド・カトル、2匹の猫のダンス、青い鳥とフロリナ王女のパ・ド・ドゥ、赤ずきんちゃんとおおかみの踊り、シンデレラ姫とチャーミング王子のダンスが披露され、(一般的には省略されるサラバンドの後を受けて、)オーロラ姫とデジレ王子のパ・ド・ドゥが続き、最後にマズルカで締め括られる。オーロラ姫と王子は結婚し、(リラの精が2人を祝福する、という改訂版もあるが、原作では)妖精たちを讃えるアポテオーズの中で人々は妖精たちに感謝を表し、リラの精やカラボスなどの妖精たちが人々を見守るうちにバレエは終わる。



まずはお聞き遊ばせ

ジョン・ウィリアムズの作品がウィーン・フィルによって取り上げられたと言うことが少しばかり世間で話題になっているようです。レコード会社が宣伝しているように「歴史的なコンサート」かどうかは分かりませんが多少は興味をひかれたのでテレビで放送があったので見てみました。
率直に言って、そこで聞くことのできた音楽はどこか「薄さ」みたいなものを常に身にまとっていました。

ただし、ジョン・ウィリアムズがロンドン響やボストン・ポップス・オーケストラを指揮した録音と比較してみれば、その「薄さ」みたいなものは大幅に回避されていたことは事実です。
そして、その「薄さ」は決して否定的な意味を持つものでないことにも気づかされました。

考えてみれば、映画音楽というのは音楽だけで自立するものではありません。
より強くいえば音楽として自立してはいけない存在です。
何故ならば、それは常に映像と合わさることによって一つの世界として完結することが求められるのであって、音楽だけが前面に出て強く自己主張をし始めるのは決して誉められた話ではないのです。

しかし、今回のウィーン・フィルとのコンサートでは映像が伴いませんから(テレビ放送では部分的に伴っていましたが)、そう言う背景は無視をして「音楽」だけの作品として演奏しきっていました。それだけに、今までにない魅力を感じたのですが、それでもどこか「薄さ」を完全に払拭できていなかったことも事実です。
しかし、それは決してジョン・ウィリアムズの才能に責を負うものではなくて、それが映画音楽というものが持たざるを得ない宿命みたいなものなのでしょう。

そして、それと似たようなことがバレエ音楽にも言えることに気づかされました。
それもまた、舞台との融合によって成り立つ音楽であり、さらに言えば、その比重はより舞台上で踊りを披露するダンサーの方に重きがおかれれるからです。
それだけに、舞台を伴わずに音楽だけでバレエ音楽を聞かされると、それもまた色々な意味で「薄さ」を感じてしまいます。しかし、そんなバレエ音楽の中でその手の「薄さ」からもっとも縁遠いのがチャイコフスキーでしょう。

そして、それでもなお残る「薄さ」を徹底的に排除して華麗に美しく演奏して見せたのが、このオーマンディとフィラデルフィア管による録音です。

オーマンディは通常の組曲版は使わずに、より多くの音楽を取り込んでいるので録音クレジットとしては「ハイライト版」と記されています。そして、世間的にはこの「ハイライト版」というのはどうも低く見られる傾向があります。いや、もっと積極的に「否定的」な態度を取る人も少なくありません。
しかし、これは考えてみれば不思議な話で、組曲版はそう言うハイライト版よりもさらに曲数を減らしているにもかかわらず、そちらの方は「全曲版」に準ずる正規な作品として受け入れられるのです。
ところが、演奏者が全曲版からより全体像が把握しやすいようにより多くの作品を選び出して演奏すると「ハイライト版」と呼ばれて中途半端な存在として軽視され否定されるのです。

その背景には、組曲版は作曲家自身によってセレクトされたという錦の御旗があり、その錦の御旗が原典尊重が何よりも大切にされる時代にあっては絶対的な意味を持つからでしょう。
しかしながら、チャイコフスキーの場合で言えば、作曲家自身が実際に組曲版に編集したのは「くるみ割り人形」だけです。
それもまた自作によるコンサートが目前に控えているにもかかわらず手元に新作がなかったので、急遽作曲中の「くるみ割り人形」から8曲を抜き出して演奏会用組曲にするという、些か不純な動機に基づくものでした。

また「眠れる森の美女」に関しては、アレクサンドル・ジロティがチャイコフスキーに提案をして、その了承の元にジロティが編集したものです。
さらに、「白鳥の湖」に至っては、「出来が良いものと考えた曲を選んで組曲を作る」という手紙をチャイコフスキーからもらっていたと言うことを根拠に、全くの別人がチャイコフスキーの死後に勝手に編集したものでした。そして、その編集にあたってチャイコフスキーの意志が反映していた可能性は限りなく低いというのが現代の定説です。

ですから、オーマンディのように、演奏する側が全曲版の魅力を伝えるために、自らの判断で選曲するのは決して悪い話ではないのです。
例えば、チャイコフスキーお墨付きの「くるみ割り人形」であっても、私はいつも「花のワルツ」の後に「Pas de deux」が入っていないことが大いに不満でした。嬉しかったのは、あのムラヴィンスキーも同じ事を考えていたのか、彼が録音した「くるみ割り人形」の組曲には「Pas de deux」が追加されていました。
よって、個人的にはその一事だけでも、このオーマンディ版の方を歓迎します。

さらに付け加えれば、舞台を伴わない音楽だけでバレエ音楽を全曲聞き通すというのはかなりの忍耐力を必要とします。とりわけ、オペラなどでも同じ事が言えるのですが、実際の舞台を一度も見たことがない場合はほとんど「苦行」にちかくなります。
さらに言えば、「眠れる森の美女」に至っては短縮版で2時間、カットなしでやれば3時間も要します。
それを音楽だけで聞き通すのはあまりやりたい経験ではありません。
その意味では、選択する曲数を巧みに増やして、「ハイライト版」と言うよりは全曲の「短縮版」のように仕上げたオーマンディのやり方は十分に肯定されるべきものでしょう。

そう言えば、「眠れる森の美女」に関しては上演時間があまりにも長くなるので、これをバッサリと短縮して「オーロラ姫の結婚」というタイトルにして上演したディアギレフのような人もいました。
オーマンディもまた、そう言うディアギレフ的なエンターテイメント性を強くもっていた人なのです。しかしながら、どうにもこうにもそう言う方向性はこの島国ではあまり評価されないのです。

しかしながら、眉間に皺を寄せて聞くだけがクラシック音楽ではないのですから、「ハイライト版」というクレジットだけでスルーすることだけはないように、切にお願いします。
まずはお聞き遊ばせ・・・です。

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