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リリー・クラウス(Lili Kraus)|モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番ハ短調 , K.491
モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番ハ短調 , K.491
(P)リリー・クラウス:スティーヴン・サイモン指揮 ウィーン音楽祭管弦楽団 1965年5月13日~15日録音
Mozart:Concerto No. 24 In C Minor For Piano And Orchestra, K. 491 [1.Allegro]
Mozart:Concerto No. 24 In C Minor For Piano And Orchestra, K. 491 [2.Larghetto]
Mozart:Concerto No. 24 In C Minor For Piano And Orchestra, K. 491 [3.(Allegretto)]
今まで聞いたことがないような深遠な美しさ
モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番ハ短調 , K.491
モーツァルトのピアノ協奏曲の中では、この作品だけは特別な位置を占めています。同じ短調で書かれたコンチェルトと言うことで、この作品は K.466のニ短調ソナタとセットで語られることが多いのですが、その中味は全く異なります。
確かに、ニ短調のコンチェルトではモーツァルトは大きな飛躍を果たすのですが、その飛躍は結果として最終楽章のアレグロのロンドによって今までの約束事の範疇に押し返されます。つまりは、それは結果として「短調でコンチェルトを書いてみる」という趣向の枠の中に押し込まれてしまったのです。
そして、その後もモーツァルトは緩徐楽章を短調で書くという試みを22番や23番のコンチェルトでも行っているのですが、それもまた一つの「趣向」の域を出る者ではありませんでした。
ところが、このハ短調のコンチェルトにおいては、モーツァルトは何かの情動に突き動かされるように、聞き手への慰めなどは捨て去った短調の世界を最後まで貫いてしまうのです。しかし、この作品はウィーンのプルク劇場において、モーツァルトが収入を得るために開いた演奏会で演奏された事はほぼ間違いなく、この嵐のような激情の世界を多くの聞き手は受け入れたようなのです。
それから、この作品のオーケストラの編成はモーツァルトの協奏曲の中では最も規模の大きなものとなっています。それは、見方を変えればピアノ独奏付きの交響曲のような外観を呈しています。
第1楽章の嵐のような激情はニ短調のコンチェルトのように最後は美しい青空に向かって走り抜けることはなく、続く緩徐楽章でも木管楽器を中心として愁いの影を消すことはないのです。そして、聞き手の多くは最終楽章でこそは気分を一新してくれることを期待したのでしょうが、始まるのは再び重々しいハ短調による変奏曲だったのです。
おそらく、耳の肥えた「身分の高い人たち」の中には、そこに今まで聞いたことがないような深遠な美しさを感じた人もいたでしょうが、さすがにこれにはつき合いきれないと劇場をあとにした人もいたことは否定できないでしょう。
それにしても、不思議に思うのは「何」がモーツァルトを突き動かしてこのような作品が生まれ出たのでしょうか。
モーツァルトのような作曲にとって実生活のあれこれの出来事と作品を結びつけるのは全くもって正しくありません。しかし、おそらくは、そう言う生活における「具体」的な出来事ではなくて、例えば芥川龍之介が「漠然とした不安」に駆られて自殺をしたような感情に近いものがあったのかもしれません。
それは、おそらくは政治的なことに関してはまったく疎いモーツァルトだったと思うのですが、その鋭敏な感性は時代が大きく動こうとしていることを深く感じとっていたのかもしれません。そして、その鋭敏な感性が感じとったある種の「不安」のような者を五線譜に向かって書き込んでいく内にこのような世界が立ちあらわれたのではないでしょうか。
最近の研究によると、この自筆スコアにはモーツァルトとは思えないような苦闘のあとが刻み込まれていることが分かってきました。それは、自筆譜と言っても殆ど浄書されたような外観を呈するモーツァルトにしては極めて珍しいことであり、とりわけ最終楽章の第3変奏では幾つかの草稿譜が書き並べられているだけで決定稿には達していないのです。その創作に苦闘する姿は、彼に続くベートーベンの作曲スタイルを想起させるものです。
そして、それ故に、19世紀にはいるとこの作品だけが大きく評価され、そのロマン主義好みの評価軸によって彼の協奏曲全体が次第に評価されることに事につながっていくのです。
確かに、モーツァルトの協奏曲の中で1曲選べと言われれば多くの人はこのハ短調コンチェルトを選ぶでしょう。しかし、それを基準とすることで、取り分け初期、中期の作品群を軽視する誤りは避けなければならないでしょう。
今回、クラウスの演奏で彼のコンチェルトを少年時代の作品から順番に聞き通すことでその事強く感じることが出来たのは、私にとっては大きな収穫でした。
ウィーン時代後半のピアノコンチェルト
- 第20番 ニ短調 K.466:1785年2月10日完成
- 第21番 ハ長調 K.467:1785年3月9日完成
- 第22番 変ホ長調 K.482:1785年12月16日完成
- 第23番 イ長調 K.488:1786年3月2日完成
- 第24番 ハ短調 K.491:1786年3月24日完成
- 第25番 ハ長調 K.503:1786年12月4日完成
9番「ジュノーム」で一瞬顔をのぞかせた「断絶」がはっきりと姿を現し、それが拡大していきます。それが20番以降のいわゆる「ウィーン時代後半」のコンチェルトの特徴です。
そして、その拡大は24番のハ短調のコンチェルトで行き着くところまで行き着きます。
そして、このような断絶が当時の軽佻浮薄なウィーンの聴衆に受け入れられずモーツァルトの人生は転落していったのだと解説されてきました。
しかし、事実は少し違うようです。
たとえば、有名なニ短調の協奏曲が初演された演奏会には、たまたまウィーンを訪れていた父のレオポルドも参加しています。そして娘のナンネルにその演奏会がいかに素晴らしく成功したものだったかを手紙で伝えています。
これに続く21番のハ長調協奏曲が初演された演奏会でも客は大入り満員であり、その一夜で普通の人の一年分の年収に当たるお金を稼ぎ出していることもレオポルドは手紙の中に驚きを持ってしたためています。
この状況は1786年においても大きな違いはないようなのです。
ですから、ニ短調協奏曲以後の世界にウィーンの聴衆がついてこれなかったというのは事実に照らしてみれば少し異なるといわざるをえません。
ただし、作品の方は14番から19番の世界とはがらりと変わります。
それは、おそらくは23番、25番というおそらくは85年に着手されたと思われる作品でも、それがこの時代に完成されることによって前者の作品群とはがらりと風貌を異にしていることでも分かります。
それが、この時代に着手されこの時代に完成された作品であるならば、その違いは一目瞭然です。
とりわけ24番のハ短調協奏曲は第1楽章の主題は12音のすべてがつかわれているという異形のスタイルであり、「12音技法の先駆け」といわれるほどの前衛性を持っています。
また、第3楽章の巨大な変奏曲形式も聞くものの心に深く刻み込まれる偉大さを持っています。
それ以外にも、一瞬地獄のそこをのぞき込むようなニ短調協奏曲の出だしのシンコペーションといい、21番のハ長調協奏曲第2楽章の天国的な美しさといい、どれをとっても他に比べるもののない独自性を誇っています。
これ以後、ベートーベンを初めとして多くの作曲家がこのジャンルの作品に挑戦をしてきますが、本質的な部分においてこのモーツァルトの作品をこえていないようにさえ見えます。
明るく華やかで無垢なモーツァルト
私の知人で、リリー・クラウスの最後の来日公演を聴いたことがあるという人がいます。彼の言によれば、その演奏会は惨憺たるもので二度と思い出したくもないような代物だったようです。
演奏家の引き際というものは難しいものです。
最近の例で言えば、見事な引き際を見せてくれたのがマリア・ジョアン・ピリスでした。わたしは幸運にもその引退コンサートの一つを大阪のシンフォニー・ホールで聴く機会を得たのですが、それは見事なベートーベン演奏でした。ステージに現れた姿は颯爽としており、彼女の指から紡ぎ出されるベートーベンの音楽は、わたしが生で聞いたベートーベンのピアノ・ソナタとしては最上のものの一つでした。
「演奏家」というのはどれほどの醜態をさらしても最後までステージにしがみつく種族ですから、その引き際の見事さはは希有なものだったと言えます。それは、彼女の言動を見れば、引退のきっかけが自らの演奏能力に対する疑問ではなくて、ビジネスとしてのクラシック音楽界のあり方への絶望感に起因してたからかもしれません。
二人の女性が歩いている。
若い女性は麗しい。
齢を重ねた女性はさらに麗しい。
話がいささかいらぬ方向にそれたのですが、このクラウスのコンチェルトの全集もまた、彼女のピアニストとしての衰えをはっきりと聞き取ることが出来ます。
それは、彼女が54年に録音したソナタの全集と聞き比べてみれば一目(一聴?)瞭然です。あのソナタ全集では、モーツァルトの音楽が持つ微妙なニュアンスが見事なまでに表現されていました。しかし、このコンチェルトの演奏では、そう言う微妙なニュアンスを表現しきる能力がすでに失われていることは明らかです。
しかしながら、それでは全体としてつまらぬ演奏なのかと言えばそうとも言いきれない部分があるので困ってしまうのです。
ここでのクラウスのピアノの響きに微妙で多彩な表情を求めることは出来ないのですが、逆に、驚くほど華やかで明るく、そしてチャーミングな響きで最初から最後まで貫徹しています。これは1番から27番まで一気に聞き通したので自信を持って言い切ることが出来ます。
おそらく己の能力を自覚した上で、それでもその限界の中で実現可能なモーツァルトの姿を探求した結果かもしれません。
そして、そう言う衰えたクラウスを必死でサポートしたのが指揮者のスティーヴン・サイモンでした。オーケストラの「ウィーン音楽祭管弦楽団」というのは怪しげな存在のように聞こえるのですが、その実態はウィーン交響楽団からの選抜メンバーであったことはすでに知られています。
ところが、どういう訳か、世間一般では衰えたクラウスを持ち上げて、逆にオーケストラ伴奏を批判する人が多いのです。
曰く、「響きが薄い」、曰く、「表情が平板に過ぎる」等々です。
しかし、そう言う批判は本当に的を射ているのでしょうか。
わたしには、指揮者であるサイモンがクラウスの衰えを敏感に感じとり、その衰えに最も相応しいやり方で伴奏を付けたがゆえに、明るく華やかで、そして無垢な姿のモーツァルトが実現したのではないかと考えます。
モーツァルトのピアノ協奏曲には19番と20番の間に大きな断層が存在していることがよく指摘されます。しかし、このコンビによる演奏で聞いてみれば、そこに大きな断層を聞き取ることは難しいかもしれません。そして、その事の責をオーケストラ伴奏に求めるのでしょうが、聞けばすぐに分かるようにクラウスのピアノにはロマン派好みのバイアスがかかったような微妙な陰影を描き出す能力はすでに失われています。
スティーヴン・サイモンにしてみれば、20番以降の作品群においても、それ以前と同じようなスタイルで伴奏を付けるしかなかったのです。
しかし、漏れ聞くところによると、そう言うサイモンのオーケストラ伴奏にクラウスはたびたび不満を申し立てていたようです。ということは、もしかしたら彼女は自らの「衰え」を自覚できていなかったのかもしれません。
もしも、このエピソードが事実ならば、それこそ「演奏家」という種族が陥らざるをえない「誤解」だと言わなければなりません。そして、それが「誤解」であったとすれば、その「誤解」を「美しき誤解」に仕立て直した功績はスティーヴン・サイモンとウィーン交響楽団からの選抜メンバーで構成された「ウィーン音楽祭管弦楽団」にこそあったのかもしれません。
そして、クラウスもこの辺りを潮時として第一線から身を引いていれば、彼女にも「齢を重ねた女性はさらに麗しい。」という言葉を捧げることができたのかもしれません。
<追記>
最初にも指摘したように、この時のクラウスのピアノの響きに微妙で多彩な表情を求めることは出来なくなっています。しかし逆に、驚くほど華やかで明るく、そしてチャーミングな響きで全ての協奏曲を最初から最後まで貫徹しています。
そして、その事を持ってこのクラウスの演奏を低く評価する向きもあるのですが、それは一面ではモーツァルトの作品をロマン派好みの視点から、言葉をかえればロマン的なバイアスがかかった視点で捉えようとすことから来る批判でもあります。そして、そん批判は、確かに20番咽喉の、つまりはモーツァルトが大きな飛躍を遂げた後の作品では認めざるを得ない批判かもしれません。
しかし、このような華やかなウィーンの社交界で人気を得ていた時代の作品に関しては、このようなクラウスの響きで紡ぎ出される音楽は決して悪くはありません。逆に、あまりにも濃厚な表情を付けすぎるよりはかえって好ましいと思われます。
もっとも、それはモーツァルトの作品からロマン派的なバイアスを排除しようとしたピリオド演奏的な要素から生まれたものではありません。
それは、疑いもなく隠しようもない衰えを自覚しながら、しかし、その衰えの中にあっても必死で己のモーツァルトの姿を模索した結果です。
ですから、最後にもう一度この言葉を彼女に捧げたいと思います。
二人の女性が歩いている。
若い女性は麗しい。
齢を重ねた女性はさらに麗しい。
<追記の追記>
最初にも述べたのですが、この協奏曲全集においてクラウスに微妙で多彩な表情を求めることは出来ないのですが、逆に、驚くほど華やかで明るく、そしてチャーミングな響きで最初から最後まで貫徹しています。その事に不満を感じる人も多いのですが、それでも20番までの作品に関してであるならば、それも一つのアプローチかなと思える部分はありました。
モーツァルトの協奏曲では20番以降とそれ以前では録音の数は全く異なりますから、その数少ない20番以前の演奏を録音、演奏両面においてもそれなりのクオリティでまとめて聞くことのできるパブリック・ドメインとしては貴重な存在でした。
しかし、それが20番以降の作品となると、その陰影に乏しいピアノの響きには物足りなさを感じてしまいます。そして、それは私だけではなく、このクラウスの全集に寛容な態度を取る人の中でもそれが多数を占める意見でした。
ところが、この全集を紹介するにあたって、彼の協奏曲を一つずつ検証してみてあらためて気づかされたのは、20番以降の協奏曲に関しては20世紀を待つまでもなくロマン派の時代に多くのすぐれた音楽達によって「発見」されていて、それ故にその作品解釈に関しては「ロマン派的な広大な感情の領域」を彷徨う作品としてとらえられていきました。
そして、その解釈には「天才モーツァルト」への敬意も込めた正当な者であり、さらに20世紀に入って再びモーツァルトが「発見」されるようになると、多くのピアニスト達は腕によりをかけてその広大な感情の領域を行き来するモーツァルトを表現しました。そして、その事は決して不当ものではありませんでした。
しかし、肝心のモーツァルトは確かにこのジャンルにおいて新しい挑戦を続けていたのですが、そこには「ロマン主義」的な意味合いを持たせようなどという意図はありませんでした。それは間違いありません。
ですから、おそらく演奏会において、モーツァルトと自身は昨今のピアニストのように陰影に富んだ表現でもって自作を演奏しなかったはずです。
そう思えば、このクラウスのスタイルは18世紀末のウィーンの社交界で演奏をしていたモーツァルトの姿がふと浮かび上がってくるような錯覚に襲われる瞬間があります。
もちろん、そこには、後のピリオド演奏への先駆け等という意図は欠片もなかったでしょうが、結果としてクラウスのピアノにモーツァルトの姿がだぶるような錯覚に襲われる瞬間があるのです。
そして、これだけは強調しておきたいのですが、モーツァルトの最後のピアノ協奏曲となった変ロ長調の協奏曲だけは、何故かこのクラウスの響きと相性が良いのです。その、一切の感傷や感情を排したように聞こえるクラウスのピアノは、それ故にモーツァルトの「悲しみ」を誰よりも聞き手の心に迫ってくるのです。
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