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ベートーベン:弦楽四重奏曲第15番 イ短調 OP.132

ブダペスト弦楽四重奏団 1942年4月13日~14日録音



Beethoven:String Quartet No. 15 in A Minor, Op. 132 [1.Assai sostenuto - Allegro]

Beethoven:String Quartet No. 15 in A Minor, Op. 132 [2.Allegro ma non tanto]

Beethoven:String Quartet No. 15 in A Minor, Op. 132 [3.Canzona, di ringraziamento, molto adagio]

Beethoven:String Quartet No. 15 in A Minor, Op. 132 [4.Alla Marcia, assai vivace]

Beethoven:String Quartet No. 15 in A Minor, Op. 132 [5.Allegro appassionato]


病癒えた者の神に対する聖なる感謝のうた

ハイドンやモーツァルトが築き上げた「高み」からスタートして、その「高み」の継承者として創作活動をスタートさせた「前期」、そして、その「高み」を上り詰めた極点において真にベートーベンらしい己の音楽を語り始めた「中期」、やがて語り尽くすべき己を全て出力しきったかのような消耗感を克服し、古典派のスタイルの中では誰も想像もしなかったような深い瞑想と幻想性にあふれる世界に分け入った「後期」という区分です。

ベートーベンという人はあらゆるジャンルの音楽を書いた人ですが、交響曲とピアノソナタ、そして弦楽四重奏はその生涯を通じて書き続けました。
とりわけ、弦楽四重奏というジャンルは第10番「ハープ」と第11番「セリオーソ」が中期から後期への過渡的な性格を持っていることをのぞけば、その他の作品は上で述べたそれぞれの創作時期に截然と分類することができます。さらに、弦楽四重奏というのは最も「聞き手」を意識しないですむという性格を持っていますから、それぞれの創作時期を特徴づける性格が明確に刻印されています。
そういう意味では、彼がその生涯において書き残した16曲の弦楽四重奏曲を聞き通すと言うことは、ベートーベンという稀代の天才の一番奥深いところにある心の内面をたどることに他なりません。

後期の孤高の作品


己の中にたぎる「何者」かを吐き出し尽くしたベートーベンは、その後深刻なスランプに陥ります。そこへ最後の失恋や弟の死と残された子どもの世話という私生活上のトラブル、さらには、ナポレオン失脚後の反動化という社会情勢なども相まってめぼしい作品をほとんど生み出せない年月が続きます。
その様な中で、構築するベートーベンではなくて心の中の叙情を素直に歌い上げようとするロマン的なベートーベンが顔を出すようになります。やがて、その傾向はフーガ形式を積極的に導入して、深い瞑想に裏打ちされたファンタスティックな作品が次々と生み出されていくようになり、ベートーベンの最晩年を彩ることになります。これらの作品群を世間では後期の作品からも抽出して「孤高期の作品」と呼ぶことがあります。
「ハンマー・クラヴィーア」以降、このような方向性に活路を見いだしたベートーベンは、偉大な3つのピアノ・ソナタを完成させ、さらには「ミサ・ソレムニス」「交響曲第9番」「ディアベリ変奏曲」などを完成させた後は、彼の創作力の全てを弦楽四重奏曲の分野に注ぎ込むことになります。
そうして完成された最晩年の弦楽四重奏曲は人類の至宝といっていいほどの輝きをはなっています。そこでは、人間の内面に宿る最も深い感情が最も美しく純粋な形で歌い上げられています。

弦楽四重奏曲第15番 イ短調 OP.132

「ガリツィン四重奏曲」の中では2番目に作曲された作品です。この作品は途中で病気による中断というアクシデントがあったのですが、その事がこの作品の新しいプランとして盛り込まれ、第3楽章には「病癒えた者の神に対する聖なる感謝のうた」「新しき力を感じつつ」と書き込まれることになります。
さらには、最終楽章には第9交響曲で使う予定だった主題が転用されていることもあって、晩年の弦楽四重奏曲の中では最も広く好まれてきた作品です。


ブダペスト弦楽四重奏団の「全体像」を愛でようと思えば古いSP盤の録音も視野に入れる必要がある

ブダペスト弦楽四重奏団が残したベートーベンの弦楽四重奏曲の録音は、クラシック音楽の20世紀の録音史に輝く金字塔であることを否定する人はいないでしょう。ただし、彼らのどの時代の録音をもって「金字塔」とするかに関しては意見が分かれるかもしれません。
一般的には、1958年から1961年にかけてステレオ録音された「全集」を持ってその業績を代表するのでしょうが、1951年から1952年にかけてモノラルで録音された全集の方を高く評価する人もいるでしょう。

確かに、この二つの録音は性質がかなり異なっています。
モノラル録音の方はカミソリのごとき切れ味でベートーベンを造形していて、そこでは「峻厳」という言葉ですらも物足りないほどの厳しさと切れ味が魅力です。それに対して、ステレオ録音の方にはそこまでの峻厳さは後退して、それよりはゆったりとした余裕を感じさせる音楽に仕上がっています。
モノラル録音を評価する人からすればそれは「緩い」と感じるでしょうし、ステレオ録音を評価する人からすれば、モノラル録音はあまりにも肩に力の入りすぎた窮屈さを感じるのかもしれません。
しかしながら、ベートーベンの音楽は様々なアプローチを許す巨大な存在であり、そう言う存在に対して異なったアプローチによって頂を目指したカルテットというのは他には思い当たりません。ですから、モノラルかステレオかなどと言う了見の狭い「価値判断」はひとまずは脇において、その様な様々なアプローチでベートーベンに迫ったブダペスト弦楽四重奏団の全体像をこそ愛でるべきなのかもしれません。

ただし、彼らがステレオによる全集を完成させた60年代というのは、ジュリアード弦楽四重奏団に代表されるような、より即物的で機能的な演奏スタイルへと変わっていった時代でした。
ですから、おかしな話なのですが、モノラル録音よりもステレオ録音の方がスタイル的には古さを感じさせ、結果としてはその「古さ」のようなものが、他に変わるもののない魅力を持った演奏になっているのです。

実は、あのステレオ録音を紹介したときには、個人的にはモノラルの方を高く評価していたので「このステレオによる録音ならば、これに変わる演奏はいくらも思い当たります。4人の奏者が対等な関係で音楽を築いていく演奏は今では常識ですし、これ以上に緊密なアンサンブルを成し遂げているカルテットはいくつも存在するでしょう」などと書いてしまいました。
率直に言って、これは己の不明を恥じねばなりません。
もちろん、この時代にファースト・ヴァイオリン主導の古いスタイルの演奏が聴けるはずもないので、ここで言っている「古さ」とはその様な類のものではありません。そうではなくて、このステレオ録音によるブダペスト四重奏団の演奏では、楽器の響きも、そして、それが描き出すラインも何処か丸みを帯びたスタイルになっているのです。
そこを、かつての私は「緩さ」と感じたのですが、考えてみればそれこそがこの「全集」が持っている「他に変わるもののない魅力」だったのです。つまりは、即物性と機能性ではこれを上回る演奏はいくらでもあるのですが、それとは違うところで彼らはもう一度ベートーベンの弦楽四重奏曲を見つめ直したのであって、その意義を正確に聞き取ることが出来ていなかったのです。

そして、そう言うブダペスト弦楽四重奏団の「全体像」を愛でようと思えば、もう一つ、1940年代の前半に録音された古いSP盤の録音も視野に入れる必要がある事にも気づかされます。
今さら言うまでもないことですが、このカルテットは1936年以降はほぼメンバーが固定しています。


  1. ファースト・ヴァイオリン:ヨーゼフ・ロイスマン(Josef Roismann):1932年 - 1967年

  2. セカンド・ヴァイオリン:アレクサンダー・シュナイダー(Alexander Schneider):1932年 - 1944年&1955年 - 1967年

  3. ヴィオラ:ボリス・クロイト(Boris Kroyt):1936年 - 1967年

  4. チェロ:ミッシャ・シュナイダー(Mischa Schneider):1930年 - 1967年



セカンド・ヴァイオリンのアレクサンダー・シュナイダーが途中で10年ほど脱けているので、モノラルの全集ではジャック・ゴロデツキーに変わっている程度でしょうか。往々にして、カルテットというのは頻繁にメンバーが替わりますから、それを縦の時系列で比較しても意味のないことが多いのですが、ブダペスト弦楽四重奏団に関しては縦の時系列で比較することに意味があるのです。

すでに、あちこちでも触れているのですが、著作権法の改訂で向こう20年にわたって新しくパブリック・ドメインとなった音源を追加することがなくなってしまったのですが、その見返りとして、今まではフォローしきれなかったこのような古い録音にも手が回るようになりました。もちろん、そんな古い録音なんか願い下げだという人もいるでしょうし、それによって愛想づかしもされるかもしれませんが、なあに、そんなことは知ったことではないのです。(^^;
どんなに古い録音でも、紹介する価値があると信じるものはどんどん紹介していくのです。

このSP盤による録音を聞いてすぐに分かることは、彼らはすでにファースト・ヴァイオリン主導の古いスタイルから抜け出していることです。そこでは、すでに4人の奏者が対等な関係で音楽を築いていくスタイルが確立されています。これは、同時代のカルテットと較べてみると画期的なことだったはずです。
しかし、モノラル録音による全集のような切れ味抜群の音楽にはなっていません。そう感じる一番の理由は、個々の楽器の響きがSP盤の時代に相応しい妖艶さも湛えているからでしょう。しかしながら、その演奏スタイルはステレオ録音の時のような丸みをおびた余裕のある造形とは異なっています。ならば、モノラル時代のスタイルに近いのかと言えば、基本的にはその通りなのですが、作品によっては何処かギクシャクとした感じがつきまとう「不思議なスタイル」なのです。具体的に言えば、歌えるべき場所、もしくは歌うべき場所が今ひとつ歌いきれていない雰囲気が拭いきれないのです。

そうなってしまった理由として、SP盤の時代によくあった「時間合わせ」という制限がよく指摘されます。リーダーのロイスマンも40年代の録音では時間あわせのために苦労したと述懐しています。
SP盤というのは片面に5分程度しか収録できませんから、その時間内におさまる小品以外はその切れ目の部分を上手く処理する必要がありました。そして、その「処理」は時には音楽的必然性よりも優先されることが多かったのです。
例えば、あるフレーズが終わったところで盤面を切り替えたいときには、そのフレーズが盤面におさまるように演奏を切り上げる必要が生じてしまうのです。SP盤時代の録音を聞いていると、時々とんでもないテンポ設定の演奏に出会うことがあって、それを爆裂演奏として珍重される方もいるのですが、種を明かせばただの時間あわせに過ぎないと言うこともよくあるのです。
言うまでもないことですが、その様な「時間合わせ」を優先すれば、音楽的には何処かギクシャクとした感じになってしまうのです。

しかしながら、例えば第6番のように、そう言う不自然さをほとんど感じない演奏もあります。この第6番のアダージョ楽章は7分近くかけて演奏しているのですが、この演奏時間はSP盤的に言えばかなり不都合な演奏時間です。50年代に入ってテープ録音によるカッティング技術が生み出されて6分を超える収録が可能になるのですが、それでもこの7分近い演奏を片面に収めるのは不可能だったはずです。そして、そのゆったりとしたアダージョは、それに続くスケルツォ楽章との兼ね合いで言えば、そのテンポ設定はどちらもピタリとツボにはまっています。
そして、終楽章は8分を超える演奏なのですが、こちらはほぼ中間部で「La Malinconia. Adagio → Allegretto quasi Allegro」と切り替わりますので、時間制限からは全く自由に演奏できていることは明らかです。

ところが、それが14番のような大曲になると、何とも言えず収まりの悪いぎこちなさを感じるのです。ただし、第6番では収録時間との兼ね合いで不都合が生じそうな歌い回しを行っている場面もありますから、ここでも同じ事がやれたのではないかとも思えるので、それは不思議と言えば不思議です。勘ぐれば、この時代の一つのチャレンジとして取り組んだ、機械的とも言えるほどの即物的な演奏に対する申し開きとして、後になってからロイスマン「時間合わせ」と言うことを持ち出したのかもしれません。

とは言え、注目すべきは、20世紀の前半において彼らがすでに後の時代の主流となる新しい演奏スタイルを身につけていて、それを意味あるものにするだけの機能性も身につけていたという事実です。
つまりは、あの恐ろしいまでの、時代の制約をはるかに超えたようなモノラル録音による「全集」は突然変異のようにあらわれたわけではなかった事を、このSP盤時代の録音は教えてくれるのです。

そして、もう一つ思い出しておきたいのは、第2次大戦下においても、アメリカは敵国ドイツの音楽を躊躇いもなく演奏し、録音していたことです。そして、国民の多くはその事に何の疑問も感じることなくレコードを購買していたのです。
その懐の広さは同時代の日本と較べてみれば、そしてユダヤ人の音楽を徹底的に排除したナチス・ドイツと較べてみても、十分に称賛に値するものです。

その様なアメリカが、今や自国第一主義を声高に叫んで懐の広さを失いつつあるのは実に残念な話です。もちろん、日本もまた同じような偏狭さにとらわれているわけですから他人のことは言えたものでもありません。
攻撃的な「偏狭」さは時には勇ましく思えるのですが、結果としてその様な勇ましさは、穏やかで理知的な「寛容」さを凌駕することは出来ないのです。

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