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ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14

シャルル・ミュンシュ指揮 パリ管弦楽団 1967年10月録音

Berlioz:Symphonie fantastique in C minor, H 48 [1.Reveries - Passions. Largo - Allegro agitato e appassionato assai - Religiosamente]

Berlioz:Symphonie fantastique in C minor, H 48 [2.Un bal. Valse. Allegro non troppo

Berlioz:Symphonie fantastique in C minor, H 48 [3.Scene aux champs. Adagio]

Berlioz:Symphonie fantastique in C minor, H 48 [4.Marche au supplice. Allegretto non troppo]

Berlioz:Symphonie fantastique in C minor, H 48 [5.Songe dune nuit de sabbat. Larghetto - Allegro]




ベートーベンのすぐ後にこんな交響曲が生まれたとは驚きです。

私はこの作品が大好きでした。「でした。」などと過去形で書くと今はどうなんだと言われそうですが、もちろん今も大好きです。なかでも、この第2楽章「舞踏会」が大のお気に入りです。

よく知られているように、創作のきっかけとなったのは、ある有名な女優に対するかなわぬ恋でした。
相手は、人気絶頂の大女優であり、ベルリオーズは無名の青年音楽家ですから、成就するはずのない恋でした。結果は当然のように失恋で終わり、そしてこの作品が生まれました。

しかし、凄いのはこの後です。
時は流れて、立場が逆転します。
女優は年をとり、昔年の栄光は色あせています。
反対にベルリオーズは時代を代表する偉大な作曲家となっています。
ここに至って、漸くにして彼はこの恋を成就させ、結婚をします。

やはり一流になる人間は違います。私などには想像もできない「しつこさ」です。(^^;
しかし、この結婚はすぐに破綻を迎えます。理由は簡単です。ベルリオーズは、自分が恋したのは女優その人ではなく、彼女が演じた「主人公」だったことにすぐに気づいてしまったのです。

恋愛が幻想だとすると、結婚は現実です。
そして、現実というものは妥協の積み重ねで成り立つものですが、それは芸術家ベルリオーズには耐えられないことだったでしょう。
「芸術」と「妥協」、これほど共存が不可能なものはありません。

さらに、結婚生活の破綻は精神を疲弊させても、創作の源とはなりがたいもので、この出来事は何の実りももたらしませんでした。
狂おしい恋愛とその破綻が「幻想交響曲」という実りをもたらしたことと比較すれば、その差はあまりにも大きいと言えます。

凡人に必要なものは現実ですが、天才に必要なのは幻想なのでしょうか?
それとも、現実の中でしか生きられないから凡人であり、幻想の中においても生きていけるから天才ののでしょうか。

私も、この舞踏会の幻想の中で考え込んでしまいます。

なお、ベルリオーズはこの作品の冒頭と格楽章の頭の部分に長々と自分なりの標題を記しています。参考までに記しておきます。

「感受性に富んだ若い芸術家が、恋の悩みから人生に絶望して服毒自殺を図る。しかし薬の量が足りなかったため死に至らず、重苦しい眠りの中で一連の奇怪な幻想を見る。その中に、恋人は1つの旋律となって現れる…」


  1. 第1楽章:夢・情熱
    「不安な心理状態にいる若い芸術家は、わけもなく、おぼろな憧れとか苦悩あるいは歓喜の興奮に襲われる。若い芸術家が恋人に逢わない前の不安と憧れである。」

  2. 第2楽章:舞踏会
    「賑やかな舞踏会のざわめきの中で、若い芸術家はふたたび恋人に巡り会う。」

  3. 第3楽章:野の風景
    「ある夏の夕べ、若い芸術家は野で交互に牧歌を吹いている2人の羊飼いの笛の音を聞いている。静かな田園風景の中で羊飼いの二重奏を聞いていると、若い芸術家にも心の平和が訪れる。無限の静寂の中に身を沈めているうちに、再び不安がよぎる。
    『もしも、彼女に見捨てれられたら・・・・』
    1人の羊飼いがまた笛を吹く。 もう1人は、もはや答えない。
    日没。遠雷。孤愁。静寂。」

  4. 第4楽章:断頭台への行進
    「若い芸術家は夢の中で恋人を殺して死刑を宣告され、断頭台へ引かれていく。その行列に伴う行進曲は、ときに暗くて荒々しいかと思うと、今度は明るく陽気になったりする。激しい発作の後で、行進曲の歩みは陰気さを加え規則的になる。死の恐怖を打ち破る愛の回想ともいうべき”固定観念”が一瞬現れる。」

  5. 第5楽章:ワルプルギスの夜の夢「若い芸術家は魔女の饗宴に参加している幻覚に襲われる。魔女達は様々な恐ろしい化け物を集めて、若い芸術家の埋葬に立ち会っているのだ。奇怪な音、溜め息、ケタケタ笑う声、遠くの呼び声。
    ”固定観念”の旋律が聞こえてくるが、もはやそれは気品とつつしみを失い、グロテスクな悪魔の旋律に歪められている。
    地獄の饗宴は最高潮になる。
    ”怒りの日”が鳴り響く。魔女たちの輪舞。
    そして両者が一緒に奏される・・・・」



ミンシュの爆発は作品の構造を無視しているわけではないのですが、そこに色濃く「主情」がにじみ出ている


ベルリオーズの幻想交響曲といえばこの録音が定番となっています。
しかし、振り返ってみれば、ミンシュはこの作品を何度も録音しています。

例えば、長年にわたって彼の手兵であったボストンのオケとは2度のセッション録音を行っています。


  1. ボストン交響楽団 1954年11月14・15日録音

  2. ボストン交響楽団 1962年4月7日録音



そして、一番最初の54年録音でさえも優れたステレオ録音だったのですから、ミュンシュという指揮者は録音運に恵まれた人でした。

話は横道にそれますが、54年の録音があのクオリティで残るのならば、フルトヴェングラーの最後の録音もその可能性はあったわけです。例えばこの年のベートーベンの第9や運命・田園あたりがこのレベルで残っていれば、聞き手にとってもフルトヴェングラーにとってもどれほどの幸せだったことでしょう。
ミンシュ(1891年生まれ)とフルトヴェングラー(1886年生まれ)は年にすれば5才しか違わないのですが、この録音運の違いもあってか、フルトヴェングラーはミンシュよりも何世代も古い人のように感じてしまいます。

そして、ミンシュは最後の最後に、フランスが国の威信をかけて設立したパリ管の首席指揮者に招かれてこの録音が残せたのですから、実に運のあった人です。
率直に言って、この録音に関しては、今さら何も付け加える必要はありません。それこそ、多くの人がこの録音を俎上に上げて様々な視点から語り尽くされています。

しかしながら、それで終わりというわけにもいきませんから、一言くらいは付け加えておかなければいけないでしょう。

それは、こうしてミンシュの情念が爆発するような録音を聞いていると、同じようにフルトヴェングラーの演奏においても感情が爆発するのですが、その「爆発」の質が全く異なることに気づかされる事です。

おかしな言い方になるかも分かりませんが、フルトヴェングラーの爆発は、作品そのものに内在する「構造」がもたらす「必然」として爆発します。ですから、その「爆発」は必然性に支えられているためにいつ聞いても新しく感じるのですが、その興奮から冷めて眺め直してみれば常に同じように爆発していることに気づかされます。

ところが、ミンシュの爆発は作品の構造を無視しているわけではないのですが、そこに色濃く「主情」がにじみ出ています。
ですから、その「主情」ゆえに、ある人にとっては「あざとさ」を感じてしまうこともあるのですが、その反面として爆発の様相は常に同一ではありません。
そして、その事はボストンとパリのオケによる3回のセッション録音を聞き比べてみれば容易に納得できることです。

再生装置のクオリティが今ひとつだった時代には54年録音を「行儀の良い演奏」などと書いてしまったのですが、それなりのシステムで再生すれば、深い情念のこもったピアニシモの表現からとてつもない妄想の爆発までが見事に表現されていることに気づきます。
それでも、このパリ管との録音を聞き比べてみればその爆発は未だ一つの節度の中に収まっていました。

人間というのは年を重ねれば丸くなると言われるのですが、昨今は病院や銀行の窓口で怒鳴っている年寄りをよく見かけます。それは、加齢によって丸くなるのではなくて、感情をコントロールする力が矮小化してしまう人が少なくないことを意味しています。
もちろん、ミンシュのほとばしるような情念の爆発と、窓口で怒鳴り散らしている年寄りの情念の爆発を同列にする気などは毛頭ないのですが、それでも、そこでどの程度のコントロールが効いていたのかは問い直してみる必要はあるでしょう。

人というのは弱い生き物で、10人がいて10人が「良い」と言えば、自分の感情がそれに反していても「良い」と言ってしまうものです。

確かに、ここでのミンシュの感情がほとばしり爆発する演奏は素晴らしいものではあるのですが、果たしてそれを手放しで称賛していいのかと言うくらいの批判力は保持しておくべきでしょう。
一般的に芸の世界で足して二で割るというのはろくな結果にはならないのですが、それでもミンシュのような気質の指揮者においては、62年盤の持っている意義は大きいと思うのですが、いかがなものでしょうか。

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