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バルトーク:管弦楽のための協奏曲 Sz.116

ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1963年10月13日録音

Bartok:Concerto for Orchestra Sz.116 [1st movement "Introduzione"]

Bartok:Concerto for Orchestra Sz.116 [2nd movement "Giuoco delle coppie"]

Bartok:Concerto for Orchestra Sz.116 [3rd movement "Elegia"]

Bartok:Concerto for Orchestra Sz.116 [4th movement "Intermezzo interrotto"]

Bartok:Concerto for Orchestra Sz.116 [5th movement "Finale"]


ハンガリーの大平原に沈む真っ赤な夕陽

 この管弦楽のための協奏曲の第3曲「エレジー」を聞くと、ハンガリーの大平原に沈む真っ赤な夕陽を思い出すと言ったのは誰だったでしょうか?それも、涙でにじんだ真っ赤な夕陽だと書いていたような気がします。
 上手いことを言うものです。音楽を言葉で語るというのは難しいものですが、このように、あまりにも上手く言い当てた言葉と出会うとうれしくなってしまいます。そして、この第4曲「中断された間奏曲」もラプソディックな雰囲気を漂わせながらも、同時に何とも言えない苦い遊びとなっています。ユング君はこの音楽にも同じような光景が目に浮かびます。

 バルトークが亡命したアメリカはシェーンベルグに代表されるような無調の音楽がもてはやされているときで、民族主義的な彼の音楽は時代遅れの音楽と思われていました。そのため、彼が手にした仕事は生きていくのも精一杯というもので、ヨーロッパ時代の彼の名声を知るものには信じがたいほどの冷遇で、その生活は貧窮を極めました。
 そんなバルトークに援助の手をさしのべたのがボストン交響楽団の指揮者だったクーセヴィツキーでした。もちろんお金を援助するのでは、バルトークがそれを拒絶するのは明らかでしたから、作品を依頼するという形で援助の手をさしのべました。
 そのおかげで、私たちは20世紀を代表するこの傑作「管弦楽のための協奏曲」を手にすることができました。(クーセヴィツキーに感謝!!)

 一般的にアメリカに亡命してから作曲されたバルトークの作品は、ヨーロッパ時代のものと比べればはっきりと一線を画しています。その変化を専門家の中には「後退」ととらえる人もいて、ヨーロッパ時代の作品を持ってバルトークの頂点と主張します。確かにその気持ちは分からないではありませんが、ユング君は分かりやすくて、人の心の琴線にまっすぐ触れてくるようなアメリカ時代の作品が大好きです。
 また、その様な変化はアメリカへの亡命で一層はっきりしたものとなってはいますが、亡命直前に書かれた「弦楽四重奏曲第6番」や「弦楽のためのディヴェルティメント」なども、それ以前の作品と比べればある種の分かりやすさを感じます。そして、聞こうとする意志と耳さえあれば、ロマン的な心情さえも十分に聞き取ることもできます。
 亡命が一つのきっかけとなったことは確かでしょうが、その様な作品の変化は突然に訪れたものではなく、彼の作品の今までの延長線上にあるような気がするのですが、いかがなものでしょうか。
<追記>
一度アップしてあったのですが、その後作品そのものの著作権が切れていないことが判明したので急遽削除した音源です。ところが、最近調べてみると、なぜか著作権が消滅していることが判明しました。
バルトークに関わる戦時加算の適用はきわめて複雑なようです。(よく分かりません^^;)
でも、無事にこの作品もパブリックドメインの仲間入りをしたようなので、再びアップしておきます。


能動的ニヒリズム

オーマンディという指揮者は実に不思議な指揮者です。
これが彼の録音を集中して聞き続けた後に残った率直な思いです。

私にとってオーマンディという指揮者は遠い存在でした。

既に何回も繰り返していますが、吉田大明神がベートーベンのエロイカの録音を引き合いに出して、セルを「文化のクリエーター」、オーマンディを「文化のキーパー」と切って捨てた一言が大きく影響していたからです。
さらに言えば、その「キーパー」という言葉と「フィラデルフィア・サウンド」という言葉が私の頭の中で勝手に合体して、どこか効果だけを狙った底の浅い音楽をやった人という図式が出来上がってしまったのです。

しかし、実際に彼が残した録音を集中的に聞いてみれば、彼の演奏がただの保守者でないことは明らかですし、響きの華やかさだけを狙った底の浅い音楽でないことは明らかでした。

吉田が切って捨てたエロイカにしても、セルと較べればはるかに流麗でありながらも締めるべきべきところはしっかりとエッジを効かせていて、十分に存在価値のあるベートーベンになっていました。
オペラを振らなかったオーマンディの事をストラヴィンスキーが「ヨハン・シュトラウスの理想的指揮者」と鼻であしらったというエピソードも残されているのですが、例えばリヒャルト・シュトラウスの「薔薇の騎士」組曲を聴いてみればまさに「薔薇の騎士」のダイジェスト版、その語り口の上手さに驚かされました。
また、オーマンディのレパートリーは非常に広く、多様性に満ちた音楽を高いクオリティで外れ無しに演奏できました。

つまりは、彼は指揮者に求められるあらゆる資質において、疑いもなく超一流だったのです。
しかし、それは考えてみれば当たり前のことで、それだけの資質がなければアメリカのトップオケであるフィラデルフィアに40年も君臨できるはずはないのです。

しかし、その事を全て認めた上で、それでも彼の残した演奏には、聞き手の記憶に何時までも残るような「強さ」が希薄なのです。
彼の演奏を聴けば、作品のフォルムをゆがめるような恣意性は皆無ですし、オケの全てのパートはこの上もなく整然と、そして完璧に鳴り響いています。その意味では、この時代を席巻した新即物主義の流れの中にあることは疑いないのです。しかし、それではその潮流の本家であるトスカニーニ、ライナー、セルという流れと較べてみればその音楽の佇まいは明らかに異質なのです。

その違いは何処にあるのだろうかと思案してみて気づいたのは、「自己喪失」という言葉です。
トスカニーニしてもライナーにしても、もちろんセルにしても、彼らは楽譜に忠実であれといいながら、そして実際に楽譜には限りなく忠実でありながら、その枠の中で抑えがたい「自己」があふれ出しています。そして、そう言う「自己」表出に出会うことで、聞き手はそこにトスカニーニならではの、ライナーならではの、そしてセルならではの音楽に出会って心を揺さぶられるのです。

それと比べてみれば、オーマンディの音楽は驚くほどにニヒリスティックです。この上もなく高いレベルでオケ鳴らしきりながら、その中で音楽の統率者であるべき指揮者の姿がなかなか見えてこないのです。オケの全てのパートは、その様な指揮者の気配を消すかのごとくに、完璧なまでに等価に鳴り響いているだけです。

そう言えば、この世の中には「能動的ニヒリズム」とか「積極的ニヒリズム」という便利な言葉があるようです。

「すべてが無価値・偽り・仮象ということを前向きに考える生き方。つまり、自ら積極的に「仮象」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きるという態度」

おオー、まさにこれこそオーマンディの指揮姿ではないですか!!

そう言えば、彼は本当は指揮者になんかなりたくなかったというエピソードが残されています。

ユージン・オーマンディを聴く

若きオーマンディが最初に就いた職は、無声映画時代の映画館でのヴァイオリン奏者でした。そのヴァイオリン奏者として就職して5日目にソロ・コンサートマスターが解任されたためににコンマスに抜擢されまう
そして、ある日、運命の歯車が回り始めます。
演奏の始まる5分前に指揮者が病気で来られなくなくなり、代わりの副指揮者も全て不在であったので、仕方なしに指揮台に立ったのです。それは全く持って仕方無しのことで、彼は指揮なんて本当にはやりたくなかったのです。しかし、25ドルの給料アップと引き替えに嫌々ながら副指揮者に就任したのが彼の指揮者としてのキャリアの出発点になったのです。
この出発点で感じた「指揮なんてものはすべてが無価値・偽り・仮象」でしかないという思いは、フィラデルフィアのシェにに登りつめても変わることがなったのではないでしょうか。

しかし、彼はその無価値なことを前向きにとらえ、指揮という活動を通して、一瞬一瞬を一所懸命生きたのです。あの作品のフォルムを一切ゆがめることなく、それでいながらオーケストラの全てのパートが整然と均等に、そして完璧に鳴り響く姿を聞くときに、オーマンディという指揮者のなかの深い能動的ニヒリズムを感じてしまうのです。

指揮者という仕事は基本的には強烈な自己表出が求められます。ところが、そう言うスタンスとは真逆なところに自分を置き続けてトップオケに40年も君臨したのがオーマンディでした。
おそらくこんな指揮者はオーマンディが初めてだったのではないでしょうか。
しかし、こういう指揮者は最近は少しずつ増えているような気はします。蒸留水のような演奏を聴かされるたびにその思いは強くなってきています。

それがいいかどうかはひとまず脇におくとして、もしかしたら、そう言う意味において彼は時代を先駆けた存在だったのかもしれません。

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