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ハイドン 交響曲第94番 ト長調 Hob.I:94 「驚愕」

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団1956年10月7日録音

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Haydn:Symphony No.94 in G major, Hob.I:94 [1.Adagio - Vivace assai]

Haydn:Symphony No.94 in G major, Hob.I:94 [2.Andante]

Haydn:Symphony No.94 in G major, Hob.I:94 [3.Menuetto (Allegretto) - Trio]

Haydn:Symphony No.94 in G major, Hob.I:94 [4.Finale (Presto ma non troppo)]




ザロモン演奏会の概要

エステルハージ候の死によって事実上自由の身となってウィーンに出てきたハイドンに、「イギリスで演奏会をしませんか」と持ちかけてきたのがペーターザロモンでした。
彼はロンドンにおいてザロモンコンサートなる定期演奏会を開催していた興行主でした。
当時ロンドンでは彼の演奏会とプロフェッショナルコンサートという演奏会が激しい競争状態にありました。そして、その競争相手であるプロフェッショナルコンサートはエステルハージ候が存命中にもハイドンの招聘を何度も願い出ていました。しかし、エステルハージ候がその依頼には頑としてイエスと言わなかったために、やむなく別の人物を指揮者として招いて演奏会を行っていたという経緯がありました。
それだけに、ザロモンはエステルハージ候の死を知ると素早く行動を開始し、破格とも言えるギャランティでハイドンを口説き落とします。
そのギャラとは、伝えられるところによると、「新作の交響曲に対してそれぞれ一曲あたり300ポンド、それらの指揮に対して120ポンド」等々だったといわれています。ハイドンが30年にわたってエステルハ?ジ家に仕えることで貯蓄できたお金は200ポンドだったといわれますから、これはまさに「破格」の提示でした。
このザロモンによる口説き落としによって、1791年1792年1794年の3年間にハイドンを指揮者に招いてのザロモン演奏会が行われることになりました。そして、ハイドンもその演奏会のために93番から104番に至る多くの名作、いわゆる「ザロモンセット」とよばれる交響曲を生み出したわけですから、私たちはザロモンに対してどれほどの感謝を捧げたとして捧げすぎるということはありません。

第1期ザロモン交響曲(第93番?98番)

1791年から92年にかけて作曲され、演奏された作品を一つにまとめて「第1期ザロモン交響曲」とよぶのが一般化しています。この6曲は、91年に作曲されて、その年に初演された96番と95番、91年に作曲されて92年に初演された93番と94番、そして92年に作曲されてその年に初演された98番と97番という三つのグループに分けることが出来ます。

<第1グループ>

  1. 96番「奇跡」:1791年作曲 1791年3月11日初演

  2. 95番:1791年作曲 1791年4月1日or4月29日初演



<第2グループ>

  1. 93番:1791年作曲 1792年2月17日初演

  2. 94番「驚愕」:91年作曲 1792年3月23日初演



<第3グループ>

  1. 98番:1792年作曲 1792年3月2日初演

  2. 97番:1792年作曲 1792年5月3日or5月4日初演



91年はハイドンを招いての演奏会は3月11日からスタートし、その後ほぼ週に一回のペースで行われて、6月3日にこの年の最後の演奏会が行われています。これ以外に5月16日に慈善演奏会が行われたので、この年は都合13回の演奏会が行われたことになります。
これらの演奏会は「聴衆は狂乱と言っていいほどの熱狂を示した」といわれているように、ザロモン自身の予想をすら覆すほどの大成功をおさめました。また、ハイドン自身も行く先々で熱狂的な歓迎を受け、オックスフォード大学から音楽博士号を受けるという名誉も獲得します。
この大成功に気をよくしたザロモンは、来年度もハイドンを招いての演奏会を行うということを大々的に発表することになります。

92年はプロフェッショナルコンサートがハイドンの作品を取り上げ、ザロモンコンサートの方がプレイエルの作品を取り上げるというエールの交換でスタートします。
そして、その翌週の2月17日から5月18日までの12回にわたってハイドンの作品が演奏されました。この年は、これ以外に6月6日に臨時の追加演奏会が行われ、さらに5月3日に昨年同様に慈善演奏会が行われています。

第2期ザロモン交響曲(第99番?104番)

1974年にハイドンはイギリスでの演奏会を再び企画します。
しかし、形式的には未だに雇い主であったエステルハージ候は「年寄りには静かな生活が相応しい」といって容易に許可を与えようとはしませんでした。このあたりの経緯の真実はヤブの中ですが、結果的にはイギリスへの演奏旅行がハイドンにとって多大な利益をもたらすことを理解した候が最終的には許可を与えたということになっています。
しかし、経緯はどうであれ、この再度のイギリス行きが実現し、その結果として後のベートーベンのシンフォニーへとまっすぐにつながっていく偉大な作品が生み出されたことに私たちは感謝しなければなりません。

この94年の演奏会は、かつてのような社会現象ともいうべき熱狂的な騒ぎは巻き起こさなかったようですが、演奏会そのものは好意的に迎え入れられ大きな成功を収めることが出来ました。
演奏会はエステルハージ候からの許可を取りつけるに手間取ったために一週間遅れてスタートしました。しかし、2月10日から始まった演奏会は、いつものように一週間に一回のペースで5月12日まで続けられました。そして、この演奏会では99番から101番までの三つの作品が演奏され、とりわけ第100番「軍隊」は非常な好評を博したことが伝えられています。


  1. 99番:1793年作曲 1794年2月10日初演

  2. 101番「時計」:1794年作曲 1794年3月3日初演

  3. 100番「軍隊」:1794年作曲 1794年3月31日初演



フランス革命による混乱のために、優秀な歌手を呼び寄せることが次第に困難になったためにザロモンは演奏会を行うことが難しくなっていきます。そして、1795年の1月にはついに同年の演奏会の中止を発表します。しかし、イギリスの音楽家たちは大同団結をして「オペラコンサート」と呼ばれる演奏会を行うことになり、ハイドンもその演奏会で最後の3曲(102番?104番)を発表しました。
そのために、厳密にいえばこの3曲をザロモンセットに数えいれるのは不適切かもしれないのですが、一般的にはあまり細かいことはいわずにこれら三作品もザロモンセットの中に数えいれています。
ただし、ザロモンコンサートが94年にピリオドをうっているのに、最後の三作品の初演が95年になっているのはその様な事情によります。
このオペラコンサートは2月2日に幕を開き、その後2週間に一回のペースで開催されました。そして、5月18日まで9回にわたって行われ、さらに好評に応えて5月21日と6月1日に臨時演奏会も追加されました


  1. 102番:1794年作曲 1795年2月2日初演

  2. 103番「太鼓連打」:1795年作曲 1795年3月2日初演

  3. 104番「ロンドン」:1795年作曲 1795年5月4日初演



ハイドンはこのイギリス滞在で2400ポンドの収入を得ました。そして、それを得るためにかかった費用は900ポンドだったと伝えられています。エステルハージ家に仕えた辛苦の30年で得たものがわずか200ポンドだったことを考えれば、それは想像もできないような成功だったといえます。
ハイドンはその収入によって、ウィーン郊外の別荘地で一切の煩わしい出来事から解放されて幸福な最晩年をおくることができました。ハイドンは晩年に過ごしたこのイギリス時代を「一生で最も幸福な時期」と呼んでいますが、それは実に納得のできる話です。

音符一つもおろそかにしない精緻さへの指向


ジュリーニとフランクの交響曲は相性が悪そうな気がするのですが、調べてみると3回も録音を残しています。1959年と1986年はスタジオ録音ですが、最後の1993年は時の流れで「ライブ録音」です。


  1. フィルハーモニア:1957年録音

  2. ベルリン・フィル:1986年録音

  3. ウィーン・フィル:1993年録音



ジュリーニという人は不思議な人で、レパートリーが狭いようでいながら、あれっ、こんな曲も録音しているの?みたいなところがあります。
狭いというのは、これほどの大家でありながらベートーベンの好局を全集としてまとめて録音していないこと。もちろん残され食べーt-べんの交響曲はどれもみんな見事なもので、とりわけロスフィルとの「田園」なんかはまさに「裏名盤」(いや、表だ!と言う声もあり)です。
そして、晩年にスカラ座のオケと全集を目指したものの、最後に「第9」を残してあの世に逝かれてしまいました。

逆の「あれっ、こんな曲も?」の個人的筆頭はドビュッシーの「海」であり、このフランクの交響曲なんかもその「あれ?」の中に入ります。(ボッケリーニの交響曲なんかも吃驚です。)
もちろん、今さら何を言っているの?と言う方もおられるでしょうが、個人的にはその通りだったのです。

そして、ジュリーニ30代の頃の主要なパートナーであったフィルハーモニアとの録音では、まさに音符一つといえどもおろそかにしない精緻な演奏を、適切な(^^vテンポでグイグイと引っ張っていきます。
おそらく、このやり方でもっとも効果が上がっているのがドビュッシーの「海」だと言い切れます。それから、作品との相性もあって、スイスの時計職人ラヴェルの作品(ダフニスとクロエ第2組曲)も見事なのですが、それはいわゆる「想定の範囲内」という奴で感心はしても驚きはしません。
それから、この時期に何故かハイドンの94番「驚愕」なんかも録音してるのですが、本当に見事な造形で、毎度の物言いで申し訳ないのですが、その後からベートーベンが顔を覗かせているのがはっきりと見て取れます。

それらにたいして、同じドビュッシーでも「海」よりはさらにパステルな感じが強い「夜想曲(Nocturnes)」みたいな作品になると、いささか苦労している感があります。
そして、このフランクの交響曲なんかも、非常にソリッドで推進力に見た演奏なので、それはそれで聴き応えがあるのですが、はて、それがフランクが求めたものだったのかと言えばいささか疑問は残るでしょう。おそらく、フランクがイメージした音楽はこのような直線で区切られたものではなくて、もう少しこまめにギヤチェンジをしながら込み入った曲線路を行くものだったのではないでしょうか。

その意味で言えば、音符一つをおろそかにしないというスタンスは同じでも、ベルリンフィルとの80年代の録音の方がよりフランク的な感じがします。(90年代のウィーンフィルとの録音は未聴)

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