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ホルスト:「どこまでも馬鹿な男」 バレー組曲(導入部)


マルコム・サージェント指揮 ロイヤルフィル 1961年1月3日録音


ホルストはオペラも書いていたらしい。

それが、「どこまでも馬鹿な男(The Perfect Fool)」という作品で、今日では滅多に演奏される機会もないらしいのですが、その導入部だけは単独でバレー音楽として舞台にかかることがあるようです。

なお、Wikipediaの記述によると、この作品はヴェルディ、ワーグナーの「パルジファル」、そしてドビュッシーの作品を皮肉っているらしいのですが、決してこの3人を「Perfect Fool」と見なしていたわけでもないようです。
この導入部は以下の4つの部分から出来ています。


  1. Andante (祈り)

  2. 地の精の踊り (Moderato - Andante)

  3. 水の精の踊り (Allegro)

  4. 火の精の踊り (Allegro moderato - Andante)



冒頭のAndanteは威勢のいいファンファーレで始まるのですが、魔法使いの登場を暗示しているようです。そして、この魔法使いによって3人の精霊が呼び出されます。
まず最初が「地の精」でコントラバスによって呼び出されます。低弦楽器独特の深い響きが魅力的なのですが、やがてオーケストラが何とも言えないパワフルなリズム(7拍子?)で大地の踊りをはじめます。
同じような要領で、「水の精」はヴィオラによって呼び出されるのですが、こちらはハープやチェレスタの繊細な響きが水の滴りを連想させます。
そして最後の「火の精」では金管楽器とティンパニが大活躍して、最後は和音一発で曲を閉じます。

まあ、あざといまでの「分かりやすさ」です。
ただ、ここで召還される3人の精霊が「The Perfect Fool」ではなさそうなことは分かります。なので、だれが「The Perfect Fool」なのかはこの導入部を聞くだけでは全く分かりませんね。

いわゆる「手の内」に入った音楽


トルトゥリエのエルガー:チェロ協奏曲を聴き直してみて、指揮者がサージェントであることに気づき、懐かしい思いがしました。

高校の同じクラスにクラシック音楽に入れ込んでいる変な奴がいて、カセットデッキを持ち込んでは「これを聴け!」と押しつけるのでみんなから恐れられていたのですが(^^;、何故か私とは波長があったので、その「これを聴け!」という音楽を結構面白く聴いていました。
その友人が「これを聴け!」と押しつけていたのがシベリウスでした。そして、彼はいかにシベリウスという作曲家が偉大な存在であるかを熱っぽく語っていました。

ですから、なけなしの小遣いをはたいてカラヤンの悲愴を買った次に選んだのがシベリウスだったわけです。
ただし、彼が「聴け!」というシベリウスの音楽はいまいちよく分かんないので、できれば一番安いのにしようと言うことで選んだのがニューセラフィムシリーズのサージェント盤だったわけです。

サージェントという人は存命中は結構ブイブイ言わせた人で人気もあり、ビートルズの録音現場にも「ハロー!!」等と訪ねていったりもして話題にもなったりしました。しかし、67年になくなってしまうと急激に認知度は下がってしまい、私がクラシック音楽などというものを聞き始めた70年代中頃には「セラフィムシリーズ」という廉価版の看板指揮者になっていました。そして、世がLPレコードからCDへと移行しはじめた80年代にはいると、本当に過去の人になってしまいました。

さて、どうしてそんな事になったのかと不思議にも思ったので、EMIを中心として残された彼の録音をある程度まとめて聞き直してみました。そして、その結果としてある事実に気づかされました。

サージェントという人はイギリスの作曲家の良き理解者であり支持者でもありました。エルガー、ホルスト、ブリテン等というそれなりに認知度のある作曲家だけでなく、ウォルトンやヴォーン=ウィリアムズ、さらにはアフリカ系イギリス人のサミュエル・コールリッジ=テイラー等の作品も熱心に取り上げています。
また、合唱の指揮者としてスタートしたこともあって、合唱を伴った作品の扱いは得意としていて、メンデルスゾーンの「エリヤ」、ヘンデルの「メサイア」という定番だけでなく、エルガーも「ゲロンティアスの夢」やウォルトンの「ベルシャザールの饗宴」などと言うレアな作品もよく取り上げています。
そして、そう言うレアではあるけれども、彼にとっては「手の内」に入った音楽では、非常にアグレッシブな演奏を聴かせてくれます。言葉をかえれば、自信満々に「自分の音楽」を展開してくれていて聞きごたえは十分にあります。

ところが、それが一転してベートーベンやシューベルトみたいな、いわゆるドイツ・オーストリア系の正統派の音楽になると、急に行儀良くなるのです。例えば、1960年に録音したベートーベンの3番「エロイカ」やシューベルトの「未完成」になると、いわゆる楷書風のさらっとした音楽になってしまっています。それを趣味の良い外連味のない音楽と評することも出来るのでしょうが、こういう二つの顔を見せつけられると「内弁慶」という言葉が頭の上を過ぎらざるを得ません。
そして、クラシック音楽の世界というのは、辺境部分でどんなに素晴らしい演奏を聴かせても、ドイツ・オーストリア系の正統派の部分でそれなりの実績を残さないと、早晩その存在は忘れ去られるという「悲しい現実」に行き当たることになるのです。

もちろん、その事の是非、または価値判断は保留しますが、この事実に思い当たったときに思い浮かんだ顔が「OZAWA」でした。
もちろん、彼に対する評価が今後どうなっていき、どのような形で定着していくのかは私如きが云々するよう話ではありません。しかし、彼のディスコグラフィを眺めてみれば、ベートーベンの欠落はあまりに大きいと言わざるを得ません。

と言うことで、話がいささか横にそれましたが、今回紹介した一連のホルストの作品と、イギリス人が大好きだったシベリウスにの音楽に関しては、完全に「手の内」に入った音楽です。少なくとも、こういう録音だけは、後世にも引き継いでいきたいものだとは思います。
特にホルストの「惑星」は数ある同曲異演盤の中でも十分すぎるほどの存在価値がある演奏です。もちろん、昨今の録音と較べればオケのアンサンブルの精度にはもう少し注文をつけたくなる部分ありますが、普通に人間が演奏してるならば、この程度の精度もあれが十分です。逆に精度は上がっているものの、蒸留水のような無味無臭の響きを聞かれるよりははるかに好ましく思えます。
その事はシベリウスの交響曲に言えます。歌うべきところはしっかり歌っている、そして畳み込むべきところはしっかりとオケを追い込んでいる人間味溢れる演奏は聴いていて実に楽しいのです。

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