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シューマン:交響曲第1番 変ロ長調 作品38「春」


バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1960年10月31日録音


湧き出でるがごとき霊感によって、一気呵成に仕上げられたファーストシンフォニー

1838年から39年にかけてシューマンはウィーンを訪れます。シューマンにとってウィーンとは「ベートーベンとシューベルトの楽都」でしたから、シューベルトの兄であるフェルディナントのもとを訪れるとともに、この二人の墓を詣でることは彼にとって大きな願いの一つでした。
そして、ベートーベンの墓を詣でたときに、彼はそこで一本のペンを発見したと伝えられています。そして、彼はそのペンを使ってシューベルトのハ長調シンフォニーついての紹介文を執筆し、さらにはこの第1番の交響曲を書いたと伝えられています。
もちろん、真偽のほどは定かではありませんが、おそらくは「作り話」でしょう。
しかし、作り話にしても、よくできた話です。そして、シューマンが自分を、ベートーベンからシューベルトへと受けつがれた古典派音楽の正当な継承者として自負していたことをよく表している話です。

シューマンは、同一ジャンルの作品を短期間に集中して取り組む傾向がありました。
クララとの結婚前までは、彼の作品はピアノに限られていました。ところが、結婚後は堰を切ったように膨大な歌曲が生み出されます。そして、このウィーン訪問のあとは管弦楽作品へと創作の幅を広げていきます。
この時期の管弦楽作品の中で最も意味のある創作物である第1番の交響曲は、わずか4日でスケッチが完成されたと伝えられいます。まさに、何かをきっかけとして、あふれる出るように音楽が湧きだしたシューマンらしいエピソードです。
彼の日記によると、1841年の1月23日から仕事にかかって、26日にはスケッチが完成したと書かれています。そして、翌27日からはオーケストレーションを始めて、それも2月20日に完成したと記録されています。
まさに、湧き出でるがごとき霊感によって、一気呵成に仕上げられたのがこのファーストシンフォニーでした。

しかし、この交響曲をじっくりと聞いてみると、明らかにベートーベンから真っ直ぐに引き継いだ作品と言うよりは、この後に続くロマン派の交響詩の嚆矢という方がふさわしい作品となっています。
おそらく、そんなことは私ごときが云々するまでもなく、シューマン自身も気づいていたことでしょう。それ故に、この後に続く管弦楽作品では苦吟することになります。
第2番の交響曲は完成はしたものの納得のいく出来とはならずにお蔵入りとなり、晩年になって改訂を加えて第4番の交響としてようやく復活します。ハ短調のシンフォニーはスケッチだけで破棄されています。その他、例を挙げるのも煩雑にすぎるのでやめますが、結局はこの第1番の交響曲以外は完成を見なかったのです。

私ごときが恐れ多い言葉で恐縮ですが(^^;、この事実は複雑な管弦楽作品をしっかりとした構成のもとで完成させるには、未だ己の技法が未熟なことを知らしめることになったようです。そして、その様な未熟さを克服すべく創作の中心を室内楽へと転換させていくことになります。

シューマンの交響曲はとかく問題が多いと言われます。
彼の資質は明らかに古典派のものではありませんでした。交響曲だけに限ってみれば、ベートーベンの系譜を真っ直ぐに引き継いだのは彼の弟子であるブラームスでした。
それ故に、そう言うラインで彼の交響曲を眺めてみれば問題が多いのは事実です。
しかし、彼こそは生粋のロマンティストであり、ベートーベンとは異なる道を歩き出した音楽としてみれば実に魅力的です。
楽器を重ねすぎて明晰さに欠けると批判される彼のオーケストレーションも、そのくぐもった響きなくしてシューマンならではの憂愁の世界を表現することは不可能だとも言えます。あのメランコリックは本当にココロに染みいります。たとえば、第2楽章のやさしくも深い情緒に満ちた音楽は、古典派の音楽が表現しなかったものです。
もちろん、演奏するオケも指揮者も大変でしょう。みんなが気持ちよく演奏できるブラームスの交響曲とは大違いです。
しかし、その大変さの向こうに、シューマンならではの世界が展開するのですから、原典尊重でみんなで汗をかく時代になって彼の交響曲が再評価されるようになったのは実に納得のいく話です。

なお、どうでもいい話ですが、シューマンはベッドガーという人の詩から霊感を得てこの交響曲を作曲したと述べています。ですから、各楽章のはじめに「春のはじめ」「たそがれ」「楽しい遊び」「春たけなわ」と記しています。
この交響曲には「春「と言うタイトルがつけられていますが、それは後世の人が勝手につけたものではなくて、シューマンのお墨付きだと言えます。

第2楽章まではいい音楽なんだけどな・・・


年取ってからのバーンスタインに関しては、云々できるほど聞き込んでいないので分かりません。しかし、若い頃のバーンスタインは集中的に聞き込んできたので、ある程度は輪郭線が見えてきたような気がします。
若い頃のバーンスタインは非常に分かりやすい人だと思います。基本は、その音楽に共感できるか否かで、大きくアプローチが変わります。

共感できる音楽に関しては、過去の解釈や伝統などにとらわれることなく、己の共感を恐れることなくどんどん前に出していきます。
ドヴォルザークの「新世界より」やベルリオーズの「幻想交響曲」の録音はこの典型でしょう。その解釈に疑問を感じる人もいるでしょうが、聴いていて面白いと言うことに関しては大成功しています。

しかし、どうしても共感できない音楽になると、演奏家よりは作曲家としてのバーンスタインが前面に出てきて、妙に冷静に捌いて仕上げてしまいます。
典型がバルトークの一連の録音でしょう。

もちろん、こんな単純な図式化でバーンスタインという男の全てが分かるわけではないのですが、それでも、若い頃の録音でどっちの顔が出ているのかを聞き分けてみるのは面白い趣向です。

と言うのも、このシューマンの1番を聴いていると奇妙な分裂感にとらわれるからです。

気迫にあふれる第1楽章を聴くと、これは疑いもなく作品に深く共感しているバーンスタインの顔が出ていることに気づきます。
続く緩徐楽章でも深い感情に満たされていて、疑いもなく音楽に没入しているバーンスタインの顔が伺えます。

ところが、それに続く第3楽章になると急に大人しくなってしまいます。
もう少し有り体に言えば、なんだか指揮していてつまらなさそうにしているバーンスタインの顔が浮かび上がってきます。そして、不思議なことに、熱いけれど「荒い」と思えたオケの響きが、スッと整ってくるのです。
しかし、響きが整ってきても、音楽全体としてはあまり面白くありません。
そして、その雰囲気は終楽章にも引き継がれ、まあこんな感じで盛り上がって終わることになっているんですけどね・・・みたいな声が聞こえてきそうです。

これは、あまりにも穿ちすぎた見方かもしれません。
しかし、「第2楽章まではいい音楽なんだけどな・・・」というバーンスタインの声が聞こえてきそうな気がするのは私だけでしょうか。

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