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R.シュトラウス:交響詩「ドンファン」 作品20

カラヤン指揮 ウィーンフィル 1960年6月22日~30日録音



R_Strauss:交響詩「ドンファン」 作品20


シュトラウスの交響詩第1作

交響詩の歴史を振り返ってみると、ベルリオーズに源を発し、それをリストが引き継いで、リヒャルト・シュトラウスが完成させたといっていいでしょう。そんな、完成者シュトラウスの交響詩第1作となったのがこの「ドン・ファン」です。もっとも、作品そのものとしてはすでに「マクベス」が完成していたのですが、ビューローの忠告で改訂することとなったために、この「ドン・ファン」が最初の完成作品となったわけです。

ドン・ファン伝説はスペインで生まれたものですが、その後ヨーロッパ全体に広がっていき、ついにはあのモーツァルトでさえオペラの題材として取り上げるまでになります。もちろん、音楽の分野だけでなく、詩や戯曲にも幅広く取り上げられていくようになります。
言うまでもなく、ドン・ファンとは好色な貴族として描かれ、それは17世紀のスペイン宮廷の色と欲に満ちた権力者たちへの痛烈な皮肉・風刺として生み出されたものでした。
しかし、そのドン・ファン伝説は時代とともに次第に変容していきます。特に、19世紀に入って、ドイツの詩人レーナウが描いた「ドン・ファン」は、求めても求め得ない至高の女性を追い求める理想主義的な人物として描かれるようになります。ですから、レーナウの描くドン・ファンはモーツァルトのオペラのように地獄に落ちるのではなく、「薪は尽きたり。炉辺は暗く寒くなれり」と呟いて、一人寂しくこの世を去っていくことになります。

シュトラウスがその物語に共感して音楽化を思い立ったドン・ファンは好色な貴族としてのドン・ファンではなく、レーナウが描く寂しい理想主義者としてのドン・ファンでした。ですから、モーツァルトのように華々しい「地獄落ち」でクライマックス!!・・・と言うことはなく、静かに消え入るように音楽は閉じられます。
専門家の言によると、シュトラウスの交響詩は「客観化」の時代から「主観化」の時代、そして最後に「普遍化」の時を過ぎて、次の「オペラ」の時代へと遷移していくそうです。何だか、よく分からない話ですが、要は、交響詩を作り始めた初期の時代は、作品と私生活の間にはあまり関連性がないと言うことです。
確かに、「死と変容」にしても、彼は死の危険を感じるような重病を経験したわけでもありませんし、この「ドン・ファン」にしても理想の女性を追い求めて破滅的な人生に陥る危険に遭遇したわけでもありません。
一説によると、この作品には、将来彼の妻となるパウリーネとの関係が投影していると言われますが、二人はこの後目出度くゴールインして終生幸福な結婚生活をおくるようになるのですから、あまり深読みは禁物かもしれません。
個人的には、後の自己顕示欲の塊みたいな「英雄の生涯」なんかを書くようになるシュトラウスよりは、音楽のドラマとしてスマートに、そして客観的に描ききった初期作品の方が好みです。


カラヤンの美質と非常に相性が良かったのがリヒャルト・シュトラウス

59年に録音されたカラヤン&ウィーンフィルによるデッカ録音に対してこんな風に書きました。

「カラヤンの音楽は気持ちよく横へ横へと流れていきます。その意味では、耳あたりのいい映画音楽のように聞こえるのかもしれません。
しかし、聞く耳をしっかり持っていれば、メロディラインが横へ横へと気持ちよく流れていっても、そこで鳴り響くオケの音は決して映画音楽のように薄っぺらいものでないことは容易に聞き取れるはずです。映画音楽が一般的に薄っぺらく聞こえるのは、耳に届きやすい主旋律はしっかり書き込んでいても、それを本当に魅力ある響きへと変えていく内声部がおざなりにしか書かれていないことが原因です。
そして、例え響きを魅力あるものに変える内声部がしっかりと書き込まれていても、主旋律にしか耳がいかない凡庸な指揮者の棒だと、それもまた薄っぺらい音楽になってしまうことも周知の事実です。

当然の事ですが、カラヤンはそのような凡庸な音楽家ではありません。
カラヤンの耳は全ての声部に対してコントロールを怠りませんし、それらの声部を極めてバランスよく配置していく能力には驚かされます。そして、彼の真骨頂は、強靱な集中力でそのような絶妙なバランスを保ちながら、確固とした意志でぐいぐいと旋律線を描き出していく「強さ」を持っていることです。
それは、例えてみれば、極めてコントロールしにくいレーシングカーで複雑な曲線路を勇気を持って鮮やかに走り抜けるようなものかもしれません。彼は、目の前の曲線路の中に己が走り抜けるべきラインをしっかりと設定すると、そのラインに躊躇うことなく突っ込んでいきます。カーブの入り口で様子を見ながら少しずつハンドルを切るというような、凡庸な指揮者がやるよう不細工なことは決してしないのです。」

おそらく、そう言うカラヤンの美質と非常に相性が良かったのがリヒャルト・シュトラウスの音楽だったことは間違いありません。
デッカ録音は非常に優秀で、分解度は抜群です。おかげで、アンサンブルの緩さは一目(一聴?)瞭然ですが、ウィーンフィルはそんなことはお構いなしにグイグイと己の信ずる音楽を描き出していきます。当然のことながらカラヤンもそう言うオケの言い分に水を差すような野暮なことは一切していません。彼はマシンの性能を信じて、己の描き出したラインに沿って曲線路へと突っ込んでいきます。そのラインが己の思い描いたラインと多少のズレがあっても、決してクラッシュしないことは確信して、細部はオケにゆだねている感じです。
それから、何と言っても、未だに地方性を残していたウィーンフィルのどこかくすんだような響きはこの上もなく魅力的です。こういうオケの響きがこの地上から消え去ってしまったことは痛恨の極みです。

これと比べれば、後年のベルリンフィルとの録音ははるかに精緻であり、管楽法の大家たるリヒャルト・シュトラウスの真価がより明らかにされているとは言えるでしょう。しかし、その事によって失われた音楽の勢いというものの大切さも教えてくれる録音でもあります。

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