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Home|アンドレ・クリュイタンス(Andre Cluytens)|ベートーベン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68「田園」

ベートーベン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68「田園」

クリュイタンス指揮 ベルリンフィル 1960年4月2,3&9日録音

Beethoven:Symphony No.6 in F major , Op.68 Pastoral [1.Allegro Ma Non Troppo (Apacibles Sentimientos Que Despierta La Contemplacion De Los Campos)]

Beethoven:Symphony No.6 in F major , Op.68 Pastoral [2.Andante Molto Moto (Escena Junto Al Arroyo)]

Beethoven:Symphony No.6 in F major , Op.68 Pastoral [3.Allegro (Animada Reunion De Campesinos) ]

Beethoven:Symphony No.6 in F major , Op.68 Pastoral [4.Allegro (La Tormenta, La Tempestad) ]

Beethoven:Symphony No.6 in F major , Op.68 Pastoral [5.Allegretto (Cancion Pastoril, Gratitud Y Reconocimiento Despues De La Tormenta)]


標題付きの交響曲

よく知られているように、この作品にはベートーベン自身による標題がつけられています。

第1楽章:「田園に到着したときの朗らかな感情の目覚め」
第2楽章:「小川のほとりの情景」
第3楽章:「農民の楽しい集い」
第4楽章:「雷雨、雨」
第5楽章:「牧人の歌、嵐のあとの喜ばしい感謝の感情」

また、第3楽章以降は切れ目なしに演奏されるのも今までない趣向です。
これらの特徴は、このあとのロマン派の時代に引き継がれ大きな影響を与えることになります。

しかし、世間にはベートーベンの音楽をこのような標題で理解するのが我慢できない人が多くて、「そのような標題にとらわれることなく純粋に絶対的な音楽として理解するべきだ!」と宣っています。
このような人は何の論証も抜きに標題音楽は絶対音楽に劣る存在と思っているらしくて、偉大にして神聖なるベートーベンの音楽がレベルの低い「標題音楽」として理解されることが我慢できないようです。ご苦労さんな事です。

しかし、そういう頭でっかちな聴き方をしない普通の聞き手なら、ベートーベンが与えた標題が音楽の雰囲気を実にうまく表現していることに気づくはずです。
前作の5番で人間の内面的世界の劇的な葛藤を描いたベートーベンは、自然という外的世界を描いても一流であったと言うことです。同時期に全く正反対と思えるような作品を創作したのがベートーベンの特長であることはよく知られていますが、ここでもその特徴が発揮されたと言うことでしょう。

またあまり知られていないことですが、残されたスケッチから最終楽章に合唱を導入しようとしたことが指摘されています。
もしそれが実現していたならば、第五の「運命」との対比はよりはっきりした物になったでしょうし、年末がくれば第九ばかり聞かされると言う「苦行(^^;」を味わうこともなかったでしょう。
ちょっと残念なことです。


感心と感動

クリュイタンス&ベルリンフィルによるベートーヴェンの交響曲全集も、今回の9番と8番でとりあえず一段落です。残りの6番と1、2番は隣接権が消滅するのが12年なのでしばらく間があきます。
今回、最後の9番と8番をアップする前に改めて聞いてみたのですが、最近彼について考え続けてきたことをあらためて「なるほどな!」と納得した次第です。そして、その納得したことを書くとクリュイタンスが大好きな人達から顰蹙を買いそうなのですが、やはり思ったことは正直に書くべきでしょう。(何と言う、持って回ったいい方^^;)

9番も8番も、どちらも明晰で造形のしっかりとした演奏です。
8番の、延々とフォルテの指示が続くような部分でも決して荒っぽくなることがなく整然と音楽が進行していきます。第3楽章中間部のホルンの響きも実に魅力的です。
わたしが大好きな9番の第3楽章も、辛口の清酒のようなシャッキとしたメランコリーに溢れていてとってもいい感じです。それに、最後の合唱もこの時代としては意外なほどにがっちりとしたアンサンブルで、クリュイタンスのイメージする第9の世界にぴったりなように思えます。

つまり、どこをとっても実に『感心』させられることばかりで、それはこれ以前にアップした3番から7番にもすべて共通することです。
しかし、このすっかり『感心』させられた演奏を聞き続けてきて、とっても贅沢だとは思いながら、1つの不満を抑えることができないのです。
クリュイタンスのベートーヴェンはずいぶん前に聞いた記憶はあるのですが、ほとんど私の視界からは消えていました。そんな演奏がふたたび視界のなかに入ってきたのは、それらがパブリックドメインの仲間入りをしたからです。ですから、彼の第7番の演奏を聞いたときはほとんど初めてのようなもので、そのインテンポの鬼もいうべき演奏スタイルが醸し出す不思議な迫力におおいに魅了されたものでした。
しかし、彼のベートーヴェンを次々と聞き続けていくと、「おそらく、次はこんな感じだろうな!」という想像がほぼ外れることがありませんでした。もちろん、どの演奏も高いレベルで安定していて、明晰で風通しのよいベートーヴェンでした。そして、どれもこれも『感心』させられるばかりでした。

しかし、そこには『感心』している自分はいても、『感動』している自分がいないことに気づかずにはおきませんでした。
『感心』と『感動』は、一字違いですが大きな違いがあります。
感心するためには、その対象に対する一定の知識が必要ですが、感動するにはそんな薀蓄は必要ありません。フルトヴェングラーのベートーヴェンを聞けば、音の悪さは脇におけば、その異常かつ、異様な迫力に聞き手の多くは圧倒され、深く『感動』するはずです。

おそらく、クリュイタンスって、とってもいい人だったんだと思います。彼の演奏からは、どれを聞いても高い知性とエレガントな人柄が伺われます。
そう言えば、シューベルティアンさんが言い得て妙のコメントをしてくれていました。
「嗜好の近い人でアンセルメの演奏はたいへんおもしろく聞いているんですが、彼の指揮も見た目には非常に上品で緻密だけれど、どこかに「悪の華」の匂いがするんです。」

そう、おそらくクリュイタンスという人はこの「悪の華」から一番遠い処にいる人のように思えます。
あまりにも常識的で健全な人間というものは、他人を感心させることはできても感動させることはできないようです。
健康的で活気にみちた明るいマリア・カラスやエディット・ピアフなんてわたしには想像することもできません。破滅的としかいいようのない彼女たちの人生を振り返るたびに、もう少し常識をわきまえていればもっと長くすばらしい歌を聞かせてくれたのにと思うのですが、もしも彼女たちがそういう常識をわきまえた人間ならば、決して彼女たちはカラスにもピアフにもならなかったのでしょう。

おそらく彼女たちは神に愛された存在だったのでしょうが、その代償はあまりにも大きかったのでしょう。
そして、健全な常識人が努力の末にたどり着ける到達点をクリュイタンスが示してくれたとすれば、その先の恐ろしい世界があることを、数々の偉大な芸術家達=人格破綻者の群が示してくれているという図式なのでしょう。

そう思えば、逆説的ではありますがクリュイタンスの偉大さが浮かび上がってくるような気がします。
かみに愛されなくても、ここまでこれるんだ・・・と。

この演奏を評価してください。

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