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ウィーン・オペレッタを歌う


ソプラノ:シュヴァルツコップ アッカーマン指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1957年7月2日~5日録音


ウィンナ・オペレッタ

「オペレッタ」とは「小さいオペラ」を意味するイタリア語らしいのですが、オペラの本場であるイタリアでは全く発達しなかった形式の音楽です。
一般的には19世紀の半ばにオッフェンバックによって広く世に認知されるようになり、その後はウィーンを中心として隆盛を極めた音楽形式だと言われます。有名な作品としては、オッフェンバックの「天国と地獄」、ヨハン・シュトラウスの「こうもり」、カールマンの「チャールダーシュの女王」、レハールの「メリー・ウィドウ」「微笑みの国」などがあげられます。
これらを眺めてみると、その中心地はパリ(オッフェンバック)→ウィーン(ヨハン・シュトラウス、カールマン)→ベルリン(レハール)と移っていくのですが、この中のウィーンを中心として花開いたオペレッタの世界が「ウィンナ・オペレッタ」などと称されます。
ただし、ベルリンを中心に活躍したレハールの作品なども「ウィンナ・オペレッタ」な中に組み込まれたりするので、そのあたりの区別は結構いい加減です。

これらのオペレッタは、堅苦しさを増すばかりのオペラの世界にしんどさを感じていた人々の支持を受けて、興行的に大成功を収めるようになります。また、そう言う観衆の要望も受けて、オペレッタはハッピーエンドの喜歌劇というスタイルを確立していきます。
しかし、そう言うスタンスが本流のオペラの世界からは疎まれる原因となったようです。
大衆迎合的で芸術的な深みに欠けると思われたのです。
ですから、日本ではオペラもオペレッタも似たようなものと思われるのですが、ヨーロッパではこの両者は厳密に区別されていました。
特に、由緒ある歌劇場はオペレッタの上演は一切行いませんでした。
この中で唯一の例外はヨハン・シュトラウスの「こうもり」なのですが(マーラーがウィーン国立歌劇場ではじめて上演した)、ウィーンの歌劇場などは「こうもり」はオペレッタではなくてオペラだと強弁して上演していました。

また、「オペラ歌手」を自認する歌手たちも決してオペレッタの歌を歌おうとはしませんでした。
あのマリア・カラスは、たとえ録音であったとしてもオペレッタを歌うオペラ歌手を心底馬鹿にしていましたし、その事を隠そうともしませんでした。
つまりは、オペレッタはオペラと比べると一段も二段も劣るものだという認識があったのです。

しかし、そのような区別も最近は少しずつ雪解けが始まったようで、ウィーンやベルリン、ドレスデンなどの歌劇場は「メリー・ウィドウ」や「チャールダーシュの女王」等を上演するようにもなってきています。オペレッタは基本的には「歌」が命であり、その命は優れた歌手によってこそ光を増すものですから、このような流れは歓迎すべきものだと言えます。

オペレッタの魅力が最高に輝く歌唱


オペレッタを歌うシュヴァルツコップを批判したのはマリア・カラスでした。彼女はオペラ歌手たるもの、オペレッタの甘ったるい歌などは歌うべきではないという固い信念を持っていました。そして、その批判の矛先こそがこのシュヴァルツコップでした。
しかし、20世紀を代表する偉大なるソプラノ歌手であるシュヴァルツコップがこのような録音を残してくれたことに、私は感謝します。

何故ならば、オペレッタとは基本的には「歌」が命であり、その「歌」の魅力は優れた歌手によってこそ、その魅力が輝くからです。
残念ながら、オペラとオペレッタが厳密に棲み分けているヨーロッパの劇場では、オペレッタはオペラ歌手になれなかったオペレッタ歌手によって歌われるのが一般的です。そして、そう言う歌手による歌唱でオペレッタの作品そのものが評価されるのですが、それはレハールやカールマンのような優れた作曲家の作品にとってはとても残念なことです。この例外はヨハン・シュトラウスであって、彼の「こうもり」だけ由緒ある歌劇場でも上演され、多くの優れたオペラ歌手によって歌われました。そして、その事がヨハン・シュトラウスの名声を高め、結果として多くの歌劇場の定番演目として定着することになったのです。
ですから、私はシュヴァルツコップがこのような録音を残してくれたことに心から感謝します。

実際、シュヴァルツコップによるこのオペレッタの歌唱は、未だに誰も超えることのできていない一つの頂点であり続けています。
その素晴らしさのよって来るべきところは、オペレッタだからと言って、一切の手抜きをしないで自分のもてる技術のすべてを注ぎ込んでいる「真面目さ」にあります。
その「真面目さ」を一部では教条主義的と批判する向きもあるようですが、それは間違っています。
何故ならば、ウィーン風というのは変にシナを作ったり媚びを売ったりするものではなく、凛とした強さの中にある品の良さを通してこそ表現されるものだからです。そして、シュヴァルツコップの歌唱こそが、そのような品の良さと凛とした気高さを持っているが故に、そう言う真摯な歌の中からこそ本当の意味での世紀末ウィーンの情緒が匂い立ってくるのです。

ある方が実に上手いこと書いていました。
「マルシャリンは新しい歌手の新しい歌によって凌がれても、これはどうも凌がれそうにない。」
全く同感です。

<収録作品>
ホイベルガー:『オペラ舞踏会』?別室へ行きましょう(第2幕)
ツェラー:『小鳥売り』私は郵便配達のクリステル(第1幕)
ツェラー:『小鳥売り』Schenkt man sich Rosen in Tirol(第1幕)
レハール:『ロシアの皇太子』?だれかが来るでしょう(第1幕)
レハール:『ルクセンブルク伯爵』 Heut'noch werd' ich Ehefrau…Unbekannt, deshalb nicht minder interessant(第1幕)
レハール:『ルクセンブルク伯爵』Hoch,Evoe, Angele Didier…Ich danke…Soll ich? Soll ich nicht?(第2幕)
ヨハン・シュトラウス2世:『カサノヴァ』Oh Madonna auf uns sieh!...O Marie, wie entflieh(第3景)
ミレッカー:『デュバリ伯爵夫人』私はただひとりの人に心を捧げます(第5景)
ミレッカー:『デュバリ伯爵夫人』Was ich im Leben beginne…Ja so ist sie, die Dubarry(第9景)
スッペ:『ボッカッチョ』?恋はやさしい野辺の花よ(第1幕)
ツェラー:『抗夫長』悪く思わないで (第2幕)"
レハール:『ジュディッタ』私の唇にあなたは熱いキスをした(第4景)
ジーツィンスキー:ウィーン我が夢のまち

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