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メンデルスゾーン:オラトリオ「エリヤ」 作品70

クリップス指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団&合唱団 (S)ジャクリーヌ・デルマン (A)ノーマ・プロクター (T)ジョージ・マラン (Bs)ブルース・ボイス 他 1954年9月録音




祖父モーゼスの理想を音楽において実現しようとした作品

この作品について、Google先生に教えてもらっていると、未だにこんな記述があちこちでなされていていささか驚かされてしまいました。
「裕福な銀行家の家庭に生まれ、物質的には何不自由ない生活を送りました。」
これは、まあいいか、確かに「物質的には何不自由ない生活」を送ったことは間違いありませんから。
しかし、「苦悩とは無縁の人生だった」とか、それ故に「精神性は希薄」などという記述と出会うと、まだまだそう言う誤解が解けないんだなと溜息がもれます。

このあたりのことに関しては、私も交響曲第5番「宗教改革」の項で少しふれたのですが、より詳しくは吉成順氏の
メンデルスゾーンの信仰告白――《宗教改革》交響曲の精神的背景あたりをご覧ください。
このあたりの事情を理解した上で、それでも「苦悩とは無縁の人生だった」と思うのなら、それはそれぞれの方の「苦悩」に関する認識の違いですから何も申し上げることはありませんが・・・。

ですから、メンデルスゾーンにとって、「聖パウロ」に続くこの「エリヤ」の創作は並々ならぬ決意を持って取り組まれたものだと言えます。そして、そのような思いを持って取り組んだ作品だけに、知名度という点では交響曲や協奏曲からは大きく差をあけられていますが、その音楽的な完成度という点では彼の最高傑作と言ってもいい作品に仕上がっています。

普通に演奏して約2時間という大作であり、おまけに取り扱っている題材が旧約聖書に登場する預言者エリヤの生涯と言う、どう考えても私たち日本人にとってはなじみのあるものとは言えないにも関わらず、一度聞き始めると一気に最後まで聞き通してしまえる「魅力」にあふれています。
おそらく、その楽しさの背景には、聞き手を飽きさせないメンデルスゾーンの腕のさえがあります。
まずは、このオラトリオには、バッハのマタイ受難曲のような居住まいをただして聞かなければならないような「堅さ」はありません。それどころか、まるで波瀾万丈のファンタジー文学のような華やかさと起伏に満ちています。オーケストラと合唱が壮大なスペクタクルを描き出したかと思えば、一転してボーイソプラノが天国的な美しさを歌い上げます。
そして、その話しの結末が「火の戦車と火の車に迎えられ、たつまきに乗って天に昇っていった」というのも、いかにもファンタジーです。
つまり、「静」と「動」の組み合わせが絶妙なことです。
次に気づいたのは、その響きの透明度が高いことと、そこに燦めく光と沈み込む影が絶妙に組み合わされていることです。
このように、2時間を超す大作でありながら、そこには「静」と「動」、「明」と「暗」が実に巧みに織りこまれていて、一瞬たりとも聞き手を飽きさせないように作り込まれています。

それ故に、一度は「悪意」を持って交響曲第5番「宗教改革」を拒絶した人々もこのオラトリオは素直に受け入れ、それにつれて、音楽家としてのメンデルスゾーンも正当に評価されるようになり、彼にとっては因縁の作品とも言うべき「宗教改革」も死後16年にして再演され出版されるようになっていきました。

しかし、そのような「耳への優しさ」はこの作品の目的ではなくて、あくまでも手段であったことも見ておかなければなりません。メンデルスゾーンがこの作品に託した思いは、彼が生涯尊敬し続けた祖父モーゼスの理想を音楽において実現しようとしたことであり、その思いが多くの人に受け入れられるようにするために作曲家としての手腕の全てをつぎ込んだのでした。
では、祖父モーゼスの理想とは何かと言えば、それは「ユダヤとドイツ人社会の融合を唱えながらも決してユダヤの信仰を捨てず、ユダヤ教徒もキリスト教徒と対等の権利が保障される」ことでした。
おそらく、この「ユダヤ的要素」に満ちあふれた題材でありながら、その最後でエリヤがたつまきに乗って天に昇っていくときに、彼の中にあってユダヤとプロテスタントの信仰は止揚されたのでしょう。そのように考えると、彼がこれに続く作品として「キリスト」を構想していたことは実に納得のいくことです。この作品は、彼の早すぎる死によって未完のままに終わりましたが、「聖パウロ」から続くこれらオラトリオ三部作は、メンデルスゾーンという男が決して金持ちの凡ではなく、まさに不屈の男であったことをあらためて私たちに教えてくれます。

なお、対訳はこちらあたりを参考にしてください。

長らく名盤として語り継がれてきた録音


この録音のキャストは以下のようになっています。

 ジャクリーヌ・デルマン(ソプラノ)
 ノーマ・プロクター(アルト)
 ジョージ・マラン(テノール)
 ブルース・ボイス(バリトン)
 マイケル・カニンガム(ボーイ・ソプラノ)
 ハンプステッド教会少年合唱団
 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団&合唱団
 ヨーゼフ・クリップス(指揮)

私はこの作品はサヴァリッシュが指揮した録音でしか聞いたことがありません。批評というのは基本的には「比較」を通してなされるものですから、このような状態では「長らく名盤として語り継がれてきた」とキャッチコピーのついたこのクリップスの録音についてあれこれと述べることには躊躇いを覚えます。
ただ、サヴァリッシュの演奏と比較すればずいぶんと荒っぽい演奏であることは否定できません。ただし、その反面として、この曲の持っているドラマティックな起伏の大きさは上手く表現しているように思いますから、聞いていて面白いことは確かです。

ただ、54年という録音の古さですから仕方がないのでしょうが、合唱の部分では何だかモゴモゴとこもっているような音になってしまうのが残念です。独唱やオケなどは音の分離がかなりクリアにとらえられているので実に残念です。もっとも、合唱の録音は現在でもかなりの難物なので、仕方がないと言えば仕方がないのですが。
ただし、全体的に見れば、きちんとしたセッション録音だけに、この時代の物としては二重丸のクオリティです。

最近はメンデルスゾーンの再評価が進み、録音も増えてコンサートで取り上げられることも増えてきてるのですが、それでも実際に耳にする機会は決して多いと言えない作品です。そのような、レアな作品がパブリックドメインとして紹介できるのは、やはり喜ばしいことです。

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