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Home|ロブロ・フォン・マタチッチ(Lovro von Matacic)|チャイコフスキー:序曲「雷雨」 Op.76

チャイコフスキー:序曲「雷雨」 Op.76

ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1956年1月録音



Tchaikovsky_Overture_The_Storm_Op76_Matacic_56


課題の枠を超えてしまった学生時代の習作

チャイコフスキーは学生時代に幾つかの小品を課題として作曲しています。そして、本格的な管弦楽曲を初めて課題として出されるようになるのですが、それはオーケストレーションをシューベルトからメンデルスゾーンあたりまでにとどめることも指示されていました。しかし、チャイコフスキーの興味はそう言う古い響きだけではおさまりきれなかったようで、その興味のおもむくままに書き上げたのが序曲「雷雨」でした。

チャイコフスキー自身は不安半分、期待半分だったのかもしれませんが、結果は散々な不評でした。師であるルービンシュタインだけではなく、後に専門的訓練を受けたロシア最初の音楽批評家となるゲルマン・ラローシから「非音楽的な興味の展示館」とまで酷評されました。
そして、その頃はまだまだ自分に自信が持てなかったチャイコフスキーはこの作品を封印してしまいます。しかし、その後演奏会用の序曲として手直しがされるのですが、結局は出版されることはなく、1931年になって初めて初演されました。

この作品はオペラの序曲というのが課題だったので、チャイコフスキーはアレクサンドル・オストロフスキーによる戯曲「雷雨」をイメージして作曲したようです。「嵐」と訳されることもあるので、後の「テンペスト」と関係があるように誤解されることもあるのですが、両者の間にはなんのつながりもありません。

物語は母のいいなりになっている男性と結婚したカテリーナの不貞を軸として展開され、最後はその不貞を責められてヴォルガ川へと身を投げる事で幕を閉じるものです。
チャイコフスキーは作曲に当たって、スケッチとして次のような筋立てを書きつけています。

  1. 序奏(アダージョ):カテリーナの幼少期、結婚前の暮らし

  2. (アレグロ)嵐の暗示:真の幸福と愛への彼女の欲求

  3. (アレグロ・アパッショナート)彼女の内的葛藤

  4. 夕方のヴォルガ河畔へと急激な場面転換

  5. 再びの葛藤、しかしわずかな熱っぽい幸福

  6. 嵐の前兆(アダージョの後のモチーフの再現と展開)

  7. 嵐:絶望のもがきと死のクライマックス


なるほど、これでは穏やかで幻想的な「夏の夜の夢」の響きの中におさまるはずはないでしょう。


「懐古」ではなく「尚古」、尊ぶべき「古さ」とは何なのかを考えてみるべきかもしれない

マタチッチは50年代を中心にEMIなどでそれなりの録音は行っています。
しかしながら、それらの録音はほとんど顧みられることはなく、アナログからデジタルへの移行期においてもCD化されることはなかったようです。
そして、それらの録音が少しずつ陽の目を見るようになったのは、それらがパブリック・ドメインになったおかげでした。
常々言っていることですが、著作権を保護することは重要なのですが、その保護期間をいたずらに延長することは音楽文化にとって必ずしもプラスにならないときもあると言うことです。今回の「TPP11」発効に伴う保護期間の延長もその様な弊害をもたらすことにならないように願うばかりです。

さて、今回マタチッチの50年代の録音を聴いてみて、「なるほどね」と思うことが幾つかありました。
その第一は、日本では「偉大なブルックナー指揮者」と思われているのに、50年代のマタチッチが引き受けていた役割は「ロシア音楽」の指揮者だったと言うことです。
これはどう考えても扱いが低いです。
どのレーベルにしてもカタログの本線はベートーベンなどの独襖系の音楽であって、それ故に、そう言う作品にこそ人気と実力のある指揮者を投入します。EMIであれば、それはカラヤンであり、クレンペラーだったわけです。
それにたいして、チャイコフスキーやリムスキー=コルサオフ、グラズノフやバラキレフなどの作品をあてがわれるマタチッチという指揮者の比重はそれほど大きくはないのです。

そして、そう言うライン上でも次第にお呼びがかからなくなった背景には彼の曖昧な指揮があったのではないかというのが第二の「なるほどね」なのです。
50年代後半のフィルハーモニア管と言えば、この時代のオーケストラとしては疑いもなくトップクラスの機能を誇っていました。にもかかわらず、ここから聞こえる「ロシア音楽」は陰影豊かで濃厚な味わいを持ってはいるものの、全体的な雰囲気は何処かモッサリとした印象が拭いきれないのです。
逆に言えば、フィルハーモニア管ほどの高い機能を持ったオーケストラからこれほど田舎びた風情を引き出すというのは凄いのです。そして、そうなってしまう背景にはマタチッチの指揮の曖昧さがあるように思われるのです。
しかし時代はそう言う音楽を求めてはいませんでした。フィルハーモニア管にしてもEMIにしても、それは満足のいくものではなかったはずです。

やがて、時代はマタチッチを置き去りにしていき、何処のオーケストラからもお呼びがかからなくなっていきます。
真偽のほどはさだかではありませんが、全く指揮をする場が与えられないために、「ただでもいいから振らせてくれ」と頭を下げて頼みまわっていたという話も伝えられています。そして、これもまた真偽のほどは定かではありませんが、N響の事務局はそんなマタチッチの「ただでもいいから振らせてくれ」という願い(?)にこたえて、伝説となった84年の来日時には犯罪的とも言えるほどの低いギャラで招いたという噂も流布しています。

しかし、中島みゆきではないですが時代はめぐります。

私たちは、絢爛豪華な響きをこの上もない精緻さで描き出した演奏と録音をすでに数多く持つようになりました。そして、そう言う精緻な演奏を聞き続けている時に、ふとこのような田舎びた音楽に出会うと、そこに不思議なほどの好ましさを覚えてしまうのです。
おそらく、こういう田舎びた音楽ばかりを聞いていたときに、ショルティやマゼールのような棒で精緻きわまる音楽を聞かされたときには「好ましさ」どころではない大きな「驚きと喜び」を感じたはずです。

時代の大きな流れのなかで、その流れとは異質なものと出会うことは、それを受容するにしろ拒否するにしろ、人の心を大きく動かします。
ただし、その異質なものはその両者においてはベクトルが真逆です。
ショルティやマゼールのベクトルが「前向き」であるのに対して、マタチッチのベクトルは明らかに「後ろ向き」です。そして、「後ろ向きのベクトル」は「後ろ向き」であるがゆえに何か新しい潮流を生み出すことはありません。
ですから、それは年寄りの「懐古趣味」で終わるだけなのかも知れません。

しかし、この世の中には「懐古」という言葉以外に「尚古」という言葉もあります。「懐古」と「尚古」は似ていながら全く違う概念です。
今という時代にあって、こういう演奏を懐かしむだけでなく、尊ぶべきものが何なのかを考えてみることは意味なきことではないのかも知れません。

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