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チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」

レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨークフィル1964年2月11日録音

Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique" [1.Adagio - Allegro non troppo]

Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique" [2.Allegro con grazia]

Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique" [3.Allegro molto vivace]

Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique" [4.Adagio lamentoso]


私は旅行中に頭の中でこれを作曲しながら幾度となく泣いた。

 チャイコフスキーの後期の交響曲は全て「標題音楽」であって「絶対音楽」ではないとよく言われます。それは、根底に何らかの文学的なプログラムがあって、それに従って作曲されたというわけです。
 もちろん、このプログラムに関してはチャイコフスキー自身もいろいろなところでふれていますし、4番のようにパトロンであるメック夫人に対して懇切丁寧にそれを解説しているものもあります。
 しかし6番に関しては「プログラムはあることはあるが、公表することは希望しない」と語っています。弟のモデストも、この6番のプログラムに関する問い合わせに「彼はその秘密を墓場に持っていってしまった。」と語っていますから、あれこれの詮索は無意味なように思うのですが、いろんな人が想像をたくましくしてあれこれと語っています。

 ただ、いつも思うのですが、何のプログラムも存在しない、純粋な音響の運動体でしかないような音楽などと言うのは存在するのでしょうか。いわゆる「前衛」という愚かな試みの中には存在するのでしょうが、私はああいう存在は「音楽」の名に値しないものだと信じています。人の心の琴線にふれてくるような、音楽としての最低限の資質を維持しているもののなかで、何のプログラムも存在しないと言うような作品は存在するのでしょうか。
 例えば、ブラームスの交響曲をとりあげて、あれを「標題音楽」だと言う人はいないでしょう。では、あの作品は何のプログラムも存在しない純粋で絶対的な音響の運動体なのでしょうか?私は音楽を聞くことによって何らかのイメージや感情が呼び覚まされるのは、それらの作品の根底に潜むプログラムに触発されるからだと思うのですがいかがなものでしょうか。
 もちろんここで言っているプログラムというのは「何らかの物語」があって、それを音でなぞっているというようなレベルの話ではありません。時々いますね。「ここは小川のせせらぎをあらわしているんですよ。次のところは田舎に着いたうれしい感情の表現ですね。」というお気楽モードの解説が・・・(^^;(R.シュトラウスの一連の交響詩みたいな、そういうレベルでの優れものはあることにはありますが。あれはあれで凄いです!!!)
 
 私は、チャイコフスキーは創作にかかわって他の人よりは「正直」だっただけではないのかと思います。ただ、この6番のプログラムは極めて私小説的なものでした。それ故に彼は公表することを望まなかったのだと思います。
 「今度の交響曲にはプログラムはあるが、それは謎であるべきもので、想像する人に任せよう。このプログラムは全く主観的なものだ。私は旅行中に頭の中でこれを作曲しながら幾度となく泣いた。」
 チャイコフスキーのこの言葉に、「悲愴」のすべてが語られていると思います。


最高の演奏と最高の録音

録音のクレジットを見ていてふと気がつきました。
1964年2月11日録音となっているのですが、同じ日に、最近アップしたヴィヴァルディの四季から「秋」も録音されているのです。いくら「秋」が小品とはいえ、全く同じ日にチャイコフスキーの大作である「悲愴」も録音していたとは驚きです。

ただ、この二つの録音を聞いていてすぐに気がつくのは、ともに盛大な環境雑音が紛れ込んでいる事です。
譜面をめくる音、椅子がきしむ音、そして何かがぶつかるような音までもがリアルに拾い上げられています。

こういう雑音の部分を不自然さを感じないようにつなぎ合わせなどと言うことは、アナログ録音だった時代にはほぼ不可能でした。
ですから、おそらくは両方ともほぼ「一発録り」に近い形でで録音されたのではないかと思われます。
特に、この「悲愴」の方の盛大な環境雑音を聞いていると、本当に一発録りだったような気がします。

つまりは、形はセッション録音であっても実質的には限りなくライブ録音だったと思われるのです。
そして、そのライブ感は、晩年のバーンスタインが好んだライブ録音よりもよほどライブな録音のように思われます。

よく知られている話ですが、晩年のバーンスタインの録音はほぼ全て「ライブ」とクレジットされていますが、それは、聴衆が入っていないと本領が発揮できないというバーンスタインの「弱点」をカバーするためでした。ですから、完成度を高めるためにその様な「ライブ録音」を何度か行って、良かった部分を選んだ上で切り貼りを行っていたことは周知の事実でした。

しかし、ここでのバーンスタインは、聴衆は入っていないだけで、おそらくは一発勝負の演奏を録音したように思われるのです。
そう考えると、ここでのニューヨークフィルの合奏能力の高さには驚嘆させられます。

人道主義者のバーンスタインは音楽監督在任中は一人の楽員も首にしなかったのですが、その結果としてニューヨークフィルはゴミ満載のオケに成り下がったと批判されてきました。しかし、この演奏を聴く限りは、そのクオリティの高さはセル&クリーブランド管とのコンビにもひけをとらないように聞こえます。

そして、もう一つ注目したいのは、目を瞠らされるほどの録音のクオリティの高さです。
これも想像の域を出ませんが、演奏しっぱなしの「悲愴」を「録りっぱなし」で商品化してくれたよなのです。再生する側をおもんばかって、例えばダイナミックレンジを圧縮するなどと言う手加減は一切施されていないのです。
悔しいことですが、同じCBS系列であっても、それよりは一段落ちる「EPIC LABEL」からリリースされたセル&クリーブランド管の録音には、このクオリティの高さはありません。

また、バーンスタインはこの録音からおよそ20年後にウィーンフィルを振ってもう一度「悲愴」を録音しているのですが、同じ指揮者が同じ曲を振って、これほどまでに「表現」が変わるものなのかと驚かされます。

ここで聞くことの出来る「悲愴」は古典的な均衡を崩すことはなく、決してズブズブの「泣き」の世界に足をすくわれるようなことはありません。
それでいながら、最終楽章にはべたついたところのないキリッとした男泣きの世界が展開されます。とりわけ、最後に銅鑼が鳴り響き、ピアニッシモの中へ音楽が消えていこうとする場面は、あの超スローテンポの世界で描き出そうとした後年の表現を明らかに超えています。
もしも、80年代の超スローテンポの「悲愴」に違和感を覚えた方がおられたら、是非とも聞いてほしい演奏です。

おそらく、バーンスタインに対する認識が一変するでしょうし、それだけの力を持った演奏と録音です。

この演奏を評価してください。

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  2. いまいちだね。( ̄ー ̄)ニヤリ>>>3~4
  3. まあ。こんなもんでしょう。ハイヨ ( ^ - ^")/>>>5~6
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  5. 最高、これぞ歴史的名演(ξ^∇^ξ) ホホホホホホホホホ>>>9~10



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2017-06-07:Sammy





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