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Home|エルネスト・アンセルメ(Ernest Ansermet)|チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 作品74「悲愴」

チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 作品74「悲愴」

アンセルメ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団 1956年10月録音



Tchaikovsky:交響曲 第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」 「第1楽章」

Tchaikovsky:交響曲 第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」 「第2楽章」

Tchaikovsky:交響曲 第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」 「第3楽章」

Tchaikovsky:交響曲 第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」 「第4楽章」


私は旅行中に頭の中でこれを作曲しながら幾度となく泣いた。

 チャイコフスキーの後期の交響曲は全て「標題音楽」であって「絶対音楽」ではないとよく言われます。それは、根底に何らかの文学的なプログラムがあって、それに従って作曲されたというわけです。
 もちろん、このプログラムに関してはチャイコフスキー自身もいろいろなところでふれていますし、4番のようにパトロンであるメック夫人に対して懇切丁寧にそれを解説しているものもあります。
 しかし6番に関しては「プログラムはあることはあるが、公表することは希望しない」と語っています。弟のモデストも、この6番のプログラムに関する問い合わせに「彼はその秘密を墓場に持っていってしまった。」と語っていますから、あれこれの詮索は無意味なように思うのですが、いろんな人が想像をたくましくしてあれこれと語っています。

 ただ、いつも思うのですが、何のプログラムも存在しない、純粋な音響の運動体でしかないような音楽などと言うのは存在するのでしょうか。いわゆる「前衛」という愚かな試みの中には存在するのでしょうが、私はああいう存在は「音楽」の名に値しないものだと信じています。人の心の琴線にふれてくるような、音楽としての最低限の資質を維持しているもののなかで、何のプログラムも存在しないと言うような作品は存在するのでしょうか。
 例えば、ブラームスの交響曲をとりあげて、あれを「標題音楽」だと言う人はいないでしょう。では、あの作品は何のプログラムも存在しない純粋で絶対的な音響の運動体なのでしょうか?私は音楽を聞くことによって何らかのイメージや感情が呼び覚まされるのは、それらの作品の根底に潜むプログラムに触発されるからだと思うのですがいかがなものでしょうか。
 もちろんここで言っているプログラムというのは「何らかの物語」があって、それを音でなぞっているというようなレベルの話ではありません。時々いますね。「ここは小川のせせらぎをあらわしているんですよ。次のところは田舎に着いたうれしい感情の表現ですね。」というお気楽モードの解説が・・・(^^;(R.シュトラウスの一連の交響詩みたいな、そういうレベルでの優れものはあることにはありますが。あれはあれで凄いです!!!)
 
 私は、チャイコフスキーは創作にかかわって他の人よりは「正直」だっただけではないのかと思います。ただ、この6番のプログラムは極めて私小説的なものでした。それ故に彼は公表することを望まなかったのだと思います。
 「今度の交響曲にはプログラムはあるが、それは謎であるべきもので、想像する人に任せよう。このプログラムは全く主観的なものだ。私は旅行中に頭の中でこれを作曲しながら幾度となく泣いた。」
 チャイコフスキーのこの言葉に、「悲愴」のすべてが語られていると思います。


スラブ的でなく、明らかにラテン的

「ロシア、及びロシア人の国民性を知ろうと思えば、チャイコフスキーの悲愴交響曲と、ボロディンの第二を聴くだけで十分だ」と言ったのは誰だったでしょう。
確か、ワインガルトナーだったかな。
「私は旅行中に頭の中でこれを作曲しながら幾度となく泣いた。」という作曲家自身の言葉が残っているように、この作品には様々な「思い入れ」が積み重ねっています。おまけに、「悲愴」などと言うタイトルがついているのですから、何の思い入れもなしに演奏することの方が難しい作品だとも言えます。

しかし、その「難しい」事を平然とやってのけているのがこのアンセルメによる「悲愴」です。
この演奏には、どこを探しても「悲愴」な雰囲気は存在しません。
まさに、長い年月の間に積み重なったありとあらゆる垢や錆をこすり落として、おそらくは作曲家自身も気づかなかったようなすっぴんの姿をさらけ出したのがこの演奏です。

しかし、不思議なのは、そういうアプローチで作品に迫っていながら、後の世の「原典尊重」的な演奏とは雰囲気がずいぶん異なるのです。
私が嫌いなのは、スコア通り正確に音は出ていても、そこから何も伝わってこない「蒸留水」のような演奏です。アンセルメの演奏は、この作品にまとわりついていた一切の「えぐ味」みたいなものを洗い流していながら、決して「蒸留水」のような味気ない音楽にはなっていません。
この演奏の一番の特徴はどの部分をとってみても明晰であり、一つ一つの楽器は何の曖昧さもなしに鳴り響いていながら、その底流において不思議な「熱気」が流れ続けている事です。
ある人はそれをアンセルメの内奥に巣くっている「悪の華」だと表現しました。
しかし、その「熱」はスラブ的ではなく、明らかにラテン的です。ですから、おそらく、この演奏で悲愴を聞いたとしても「ロシア、及びロシア人の国民性」は分からないだろうなと思ってしまいます。

なお、録音に関しては、半世紀以上も前のものとは思えないほどの優秀さです。改めて、この時代のデッカ録音の優秀さを思い知らされますし、その優秀さがアンセルメのアプローチを助けていることも事実です。

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