チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」
イーゴリ・マルケヴィチ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1953年12月1日~4日録音
Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique" [1.Adagio - Allegro non troppo]
Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique" [2.Allegro con grazia]
Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique" [3.Allegro molto vivace]
Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique" [4.Adagio lamentoso]
私は旅行中に頭の中でこれを作曲しながら幾度となく泣いた。

チャイコフスキーの後期の交響曲は全て「標題音楽」であって「絶対音楽」ではないとよく言われます。それは、根底に何らかの文学的なプログラムがあって、それに従って作曲されたというわけです。
もちろん、このプログラムに関してはチャイコフスキー自身もいろいろなところでふれていますし、4番のようにパトロンであるメック夫人に対して懇切丁寧にそれを解説しているものもあります。
しかし6番に関しては「プログラムはあることはあるが、公表することは希望しない」と語っています。弟のモデストも、この6番のプログラムに関する問い合わせに「彼はその秘密を墓場に持っていってしまった。」と語っていますから、あれこれの詮索は無意味なように思うのですが、いろんな人が想像をたくましくしてあれこれと語っています。
ただ、いつも思うのですが、何のプログラムも存在しない、純粋な音響の運動体でしかないような音楽などと言うのは存在するのでしょうか。いわゆる「前衛」という愚かな試みの中には存在するのでしょうが、私はああいう存在は「音楽」の名に値しないものだと信じています。人の心の琴線にふれてくるような、音楽としての最低限の資質を維持しているもののなかで、何のプログラムも存在しないと言うような作品は存在するのでしょうか。
例えば、ブラームスの交響曲をとりあげて、あれを「標題音楽」だと言う人はいないでしょう。では、あの作品は何のプログラムも存在しない純粋で絶対的な音響の運動体なのでしょうか?私は音楽を聞くことによって何らかのイメージや感情が呼び覚まされるのは、それらの作品の根底に潜むプログラムに触発されるからだと思うのですがいかがなものでしょうか。
もちろんここで言っているプログラムというのは「何らかの物語」があって、それを音でなぞっているというようなレベルの話ではありません。時々いますね。「ここは小川のせせらぎをあらわしているんですよ。次のところは田舎に着いたうれしい感情の表現ですね。」というお気楽モードの解説が・・・(^^;(R.シュトラウスの一連の交響詩みたいな、そういうレベルでの優れものはあることにはありますが。あれはあれで凄いです!!!)
私は、チャイコフスキーは創作にかかわって他の人よりは「正直」だっただけではないのかと思います。ただ、この6番のプログラムは極めて私小説的なものでした。それ故に彼は公表することを望まなかったのだと思います。
「今度の交響曲にはプログラムはあるが、それは謎であるべきもので、想像する人に任せよう。このプログラムは全く主観的なものだ。私は旅行中に頭の中でこれを作曲しながら幾度となく泣いた。」
チャイコフスキーのこの言葉に、「悲愴」のすべてが語られていると思います。
濃厚な響きと希有のバランスで実現してみせた洗練されたチャイコフスキー
古い録音ですが、この録音の価値はフルトヴェングラー以外の指揮でフルトヴェングラー統治下のベルリンフィルの響きが聞けることです。そして、あらためてフランスとドイツのオケの「気質」の違いを再確認させられます。
ドイツのオケというものは、フルトヴェングラーに代表されるように、楽器の集合体ではなく、まるでオーケストラという一つの楽器であるかのように有機的に響きます。
それが、そう言う方向性とは真逆と思えるマルケヴィッチの指揮であっても揺らぐことはないようなので、一つの音符もゆるがせにせずに複雑な内部構造を描き出すことに全力注いできたマルケヴィッチにとってはそれほど相性のよいオケではないように聞こえます。
そして、その事はマルケヴィッチもよく分かっていたようで、基本は馬なりの指揮に徹しているように聞こえます。
その理由は、コンセルトヘボウのところで書いたとのと事情はほぼ同じです。
まず何よりも、フルトヴェングラー統治下のベルリンフィルもまた、どれほど締め上げても頑として変わらない頑固さを持っていることです。
その頑として変わらないものを無理矢理変えようとしても、決してよい結果をもたらさないことをマルケヴィッチも理解していたはずです。
しかし、コンセルトヘボウのところで書いたもう一つの理由、それほど締め上げなくても十分に満足できるレベルを維持しているかどうかについては、いささか疑問が残ります。
おそらく、この録音を聞いても、ロンドン響との62年盤ほどには「悲愴」という交響曲の内部構造はよく分からないでしょう。ザックリとした荒々しい響きは、この時代のベルリンフィルがヨーロッパの田舎オケだったことを如実に証明しています。
そして、フルトヴェングラーはこの響きで、つまりは、豊かな低声部と充実した内声部によって実現された重厚な響きでもってドラマ性に満ちた音を展開されたのです。
しかし、それはマルケヴィッチが求める方向性でなかったことは明らかです。
さて、ここからがマルケヴィッチの真骨頂です。
いささか荒っぽさは感じるとしても、そこはそれ、さすがのベルリンフィルであって、その響きはドイツのオケならではなの魅力があふれていることも事実なのです。
そして、その響きでもって、マルケヴィッチはフルトヴェングラーのようにドラマティックに音楽に没入するのではなくて、それとは正反対にひたすら感情を抑えて厳しく音楽を造形していきます。
これがフランスのオケだと内部構造の見通しの良さにはつながるのですが、それは同時に響きが拡散して薄くなってしまうことにもつながります。
そして、そう言う薄い響きはチャイコフスキーには不似合いなのです。
つまりは、自分の思い通りにならないがゆえに、その思い通りにならない場面でぎりぎり踏ん張っているがために、希有のバランスで濃厚な響きで洗練されたチャイコフスキーを実現してみせたのです。
ただし、こういう洗練された抑え気味のチャイコフスキーでは物足りないという人もいるでしょうし、そう言う人にとっては何との言えず中途半端な印象が残るかも知れません。ぎりぎりで踏ん張ったのか、中途半端で終わったのか、そのあたりの判定は聞き手の好みによっても変わってくるのかもしれません。
そう思えば、こういうオケをフルトヴェングラーから引き継いで、長い時間をかけて自分のオケとして飼い慣らしていったカラヤンというのは偉かったと思わざるを得ないのです。
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