ベートーベン:ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 Op.15
(P)フライシャー セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1961年2月25日録音
Beethoven:ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 Op.15 「第1楽章」
Beethoven:ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 Op.15 「第2楽章」
Beethoven:ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 Op.15 「第3楽章」
若きベートーベンの自信作・・・大協奏曲!!
この作品は番号は1番ですが、作曲されたのは2番よりも後です。現行の2番は完成した後に筆を加えたり出版が遅れたりして番号が入れ替わってしまったわけです。
ベートーベンは第2番の協奏曲の方にはたんに「協奏曲」として出版していますが、この第1番の方は「大協奏曲」としています。それはこの作品に寄せる並々ならぬ自信の作品でもあったわけですが、大編成の管弦楽とそれに張り合うピアノの扱いなどを見ると、当時としては大協奏曲と銘打っても不思議ではない作品となっています。
この作品はベートーベンがウィーンに出てきて間もない頃に書かれたと言われています。当時のベートーベンは作曲家としてよりもピアニストとして認められていたわけですから、モーツァルトと同様に、自らの演奏会のためにこのような作品は必要不可欠だったわけです。
演奏効果満点の第1楽章と、将来のベートーベンを彷彿とさせるに十分な激しさを内包した最終楽章、そしてもこれもまたベートーベンを特徴づける詩的な美しさをもったラルゴの第2楽章。どれをとっても演奏会用のピースとして求められるあらゆる要素をもったすぐれモノの協奏曲です。
なお、この作品の第1楽章にはベートーベン自身による3種類のカデンツァが残されていますが、これらは作曲当時に書かれたものではなくて、かなり後になってからルドルフ大公のために書かれたものだと言われています。
ピアノがオケのパートであるかのように響きの中に溶けこんでいます
ベートーベンの協奏曲は第4番だけが先に録音されていたので、それをアップしたときに次のように紹介していました。
「レオン・フライシャーと言えば、50年代の後半から60年代の初頭にかけてセル&クリーブランド管とのコンビでたくさんの録音を残したピアニストとして記憶に残っています。
ところが、その後突然に表舞台から姿を消してしまいます。
セルという人は自分自身が優れたピアニストであったために、競演するピアニストに対する選り好みは非常にシビアでした。人気だけが先行して実力の伴わないピアニストを受け入れるようなことは絶対にない人です。
ですから、クライバーンのように才能をすり減らされて使い捨てにされると言うことは考えにくいので、不思議だなと思っていました。
ところが、最近になって40年の闘病を経て復帰したというニュースに接して、遅まきながら事の真相が理解できました。おそらく、ピアノ業界では有名な話でほとんどの人が既知だったのでしょうが、私は不勉強のゆえに始めて知るところとなりました。
フライシャーをおそった病気は「フォーカル・ジストニア」で、ピアニストの命とも言うべき右手の2本の指が動かなくなったのです。
まさに、キャリアの絶頂で地獄のどん底に叩き落とされたようなもので、その絶望感はたとえきれないものだったようです。しかし、その後、後進の指導や指揮活動に活路を見いだし、さらには「左手のピアニスト」としても舞台に復帰したようです。
そして、ついに、新しい治療法と巡り会うことで右手の動きが回復し「両手のピアニスト」として舞台に復帰したというわけです。
「フォーカル・ジストニア」という病気はピアノ演奏にみられるような過剰な手指の巧緻動作が原因と考えられているようで、よほどの反復動作を行わない限り発生しないものだそうです。
しかし、彼がセル&クリーブランド管と録音した一連の演奏を聞いてみて、なるほどこれでは病気になったのも故なきことではないと思いました。こんな風に書くと、まるでセルがフライシャーをいじめ抜いたのが原因のように読めるのですが、決してそんなことを言っているのではありません。
フライシャーのピアノはどの録音を聞いても実にきまじめです。本当に一音一音手を抜くことなく、一切の曖昧さを排除してかっちりと弾ききっています。当時の写真を見てもまるで大学の教授のようで、その風貌からは酒と薔薇の日々しか想像できないようなホロヴィッツやルービンシュタインとは生まれた星が違うほどに対極にある存在です。
そして、その演奏を聴いて、なぜにセルが彼を重用したのかも簡単に納得がいきました。
フライシャーのピアノは驚くほどに自己主張が少ないのです。
ソリストというのは目立ってなんぼですから、ホロヴィッツみたいにオケがついてこれなくても己のテクニックを誇示するために超絶的なスピードで弾ききって涼しい顔をしているのが普通です。
しかし、フライシャーのピアノからはその様な「山っ気」は微塵も感じられません。本当に、まじめに作曲家に仕えるという姿勢がにじみ出ています。
ですから、協奏曲と言ってもオケと張り合うのではなく、まさにオケの一つのパートであるかのようにピアノが全体の響きに溶けこんでいます。
これで、セルが喜ばないはずがありません。
彼は作曲家に仕え、そしておそらくはセルにも仕えて、おそらくはセルが理想としたであろう音楽を作り出すために献身しています。」
大筋は今も変更するところはないのですが、「セルの理想のために献身した」という部分に関しては変更した方がいいかなと思うようになりました。
それは、セルとフライシャーのベクトルが驚くほどに通っていたために、パッと聞いただけでは「献身」なんて思ってしまったんですね。しかし、同じように「完璧差への追求」といっても、前で指揮棒振っているだけの指揮者と、自分の指を動かして具体的に音を出さなければいけないピアニストとでは負担が違ったということでしょう。
そう言えば、ウィーンフィル史上最高のコンマス(異論はあるかもしれrませんが^^;)と言われたワルター・ウェラーが指揮者に転向したときに、「あいつはさらうのが嫌になったんだろう」などと陰口をたたかれたモノです。
それから、もう一つ付けくわえておけば、あまり細かいことにこだわらない大らかさを持った人でもあったようで、その事もセルにとっては付き合いやすいピアニストだったようです。
確かに、セルはピアニストに対しては注文の多い人でした。
ですから、たいていの場合はお互いに「緊張感」を強いられて気疲れのする仕事になることが多かったようです。そんな中で、カサドシュやフライシャーは、セルにとっては楽しく演奏ができる数少ないピアニストだったのでしょう。
そして、そのような度量の大きさが、突然の病による引退という地獄を乗り越える原動力ともなったのでしょう。
絶頂期にあったセル&クリーブランドという最高のバックアップを得て、このような素晴らしい録音が残ったことを感謝しましょう。
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