フォーレ:夜想曲第1番 変ホ短調 作品33-1(Faure:Nocturne No.1 in E-flat minor, Op.33 No.1)
(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)
Faure:Nocturne No.1 in E-flat minor, Op.33 No.1
フォーレの夜想曲
基本的には三部形式(A-B-A')で書かれていて、AとBとは対照的な性格を持ち、A'はただの再現ではなくてBを受け継ぎながら発展させていきますと、まあ言ってみれば当たりまえの形を踏襲しています。
この基本的なスタイルは第1番から明確で、それは最後まで保持されています。
彼の生涯はロマン派が隆盛を極め、そこから次第に新しい近代の音楽へと移行していく時期に重なっていました。しかし、そういう時代の変遷に対して、彼は常に独自のスタイルを貫き通したように見えます。
彼の創作活動は時代の移り変わりとは関わりのないところで、言葉を換えれば「時代とは少し異なる次元」で、彼自身の独特なスタイルとして発展していったように思えます。
。
それがゆえに、時代の流れの中にあっても、時代の強い影響は少ししか受けていないように見えます。彼自身の中の独特なスタイルとして、時代とは少し異なる次元で作曲され続けたようです。。
フォーレの創作期間はしばしば作曲年代によって第一期(1860年 - 1885年)、第二期(1885年 - 1906年)、第三期(1906年 - 1924年)の三期に分けられれる事が多いようです。
そのことに従うと、夜想曲は以下のように分けられます。
第一期
第1番変ホ短調, Op.33-1 1875年ごろ
第2番ロ長調, Op.33-2 1881年ごろ
第3番変イ長調, Op.33-3 1883年
第4番 変ホ長調, Op.36 1884年
第5番 変ロ長調, Op.37 1884年
第二期
第6番変ニ長調, Op.63 1894年
第7番嬰ハ短調, Op.74 1898年
第8番変ニ長調, Op.84-8 1902年
第三期
第9番ロ短調, Op.97 1908年
第10番ホ短調, Op.99 1908年
第11番嬰ヘ短調, Op.104-1 1913年
第12番ホ短調, Op.107 1915年
第13番ロ短調, Op.119 1921年
第一期はロマン派の影響からの脱却をめざして独自の様式を探求し始めた時期です。
ノクターンでは最初の1番と2番、3番が1883年に出版されているのですが、1番だけはかなり早い時期となる1875年ごろに書かれたものと思われます。すでにフォーレのノクターンのスタイルとも言うべき三部形式がすでに確立されていたことがわかります。
2番と3番は1881年から1883年にかけて書かれたものです。
2番は1番からかなり時を経ているのですが、形式的にはほぼ変わりなく、ショパンからの影響も感じられます。そのことは3番にも4番にもあてはまるのですが、4番ではそれまでの三部形式がより複雑なものに発展させられています。「A-B-A'-B'-A'-B''-コーダ」というスタイルです。
続く5番は4番と同じ時期に書かれたのですが、4番ほど手の込んだ三部形式ではなく、A-B-A'の後ろにコーダをつけるにとどまっています。
この第1期のノクターンはショパンやリストの影響が強く、多くの人がノクターンというタイトルから連想するような音楽です。
第二期は最も脂の乗り切切った時代で、フォーレならではの独自の様式を推し進めた時代です。
6番は第5番から10年の空白を置いて書かれていて、その息の長い冒頭部分はフォーレならではの瞑想的な雰囲気に包まれています。おそらく、この作品とそれに続く7番こそがフォーレのノクターンの頂点といってもいいでしょう。
コルトーはこの6番に対して「ピアノ音楽の中にこの作品と比肩できるものはわずかしかない…」と述べています。
続く7番は6番の4年後の書かれた作品で、フォーレの大きな転換点に位置する時代の作品です。5番や6番に見られたような過剰なまでの美しさは放棄してより凝縮した表現を目指し始めたことを示しています。6番と比べるとより厳しく激しい曲想を持っていて、対位法的な書法へと変わっていきます。
8番は、「8つの小品 作品84」として出版されたピアノ曲集の第8曲でした。フォーレはこの小品集に対して「私はこれらの曲に固有の標題を付けることは不可能であると同時に、現在の音楽の状況から判断すれば、もはや標題そのものが不要であると確信しています。」と述べています。本来は何の表題もなかったのです。しかし、のちに契約の切れた出版社が勝手にこの8曲目を「夜想曲第8番」として出版したのです。
しかし、フォーレはこの曲を含めて13曲の夜想曲としてまとめて出版したかったのも事実ですし、「第7番と第9番の間にこの曲が位置することで、13曲の流れがひときわ美しく輝いて見える」と述べているピアニストもいます。
第三期は旋律的要素を極力廃する方向に向かい、フォーレならではの響きが生まれる半面、いささか晦渋な雰囲気が付きまといます。
9番は突然放棄されたように終わってしまうので「技量が創意に勝っている」として、いささか未完成な印象を受けるといわれることがあります。
10番は独特な緊張感と抒情性を湛えた作品です。展開部でのカノン風の反復進行による書法は、これ以降の室内楽曲の分野においてさらに発展させられてゆくことになるものです。
11番から13番までの3曲はフォーレ晩年の境地を示すものです。
11番は、短いが心にしみる悲歌であるのに対して、第12番は大きく情熱的ではあるのですが、戦争がもたらす雰囲気と不安感が色濃く反映されています。
13番はフォーレのピアノ曲の最後となった作品です。フォーレの夜想曲の中では夜想曲第6番と並んでもっとも親しまれていて、瞑想的な雰囲気と力強さという相矛盾する二つの要素が完璧な形式の下に結びつけられています。
花の蜜に引き寄せられる蜂
ハイドシェックという名前には強い印象が残っています。
それは、一度だけ彼のピアノを生で聞いたことがあり、その時の素晴らしい「響き」にすっかり感心させられたからです。
ピアノというのは基本的に打楽器なのですから、どれほどソフトなタッチで鍵盤を押しても、基本的にはハンマーが弦を叩くことには違いはないわけで、どうしても「打楽器」的な響きがしてしまうものです。
しかし、その時に聞いたハイドシェックのピアノからは、そう言う「打楽器」的な雰囲気は全く感じなくて、その柔らかくてふわりとした響きはピアノという楽器から紡ぎ出されているとは信じがたいものでした。
ハイドシェックと言えば一般的には「宇和島ライブ」が思い起こされる人が多いのかもしれません。
しかし、その録音を「さながら鬼神が乗り移ったような凄絶さ」などと言う決まり文句で絶賛するとある評論家の一文に接するたびに、自分の中では逆にハイドシェックは遠ざかっていきました。
しかし、そう言うつまらぬ呪縛から自由になって、もう一度ハイドシェックの音楽を若い頃から順番に、そして、いらぬ雑念は捨てて辿ってみれば、再び私の中でハイドシェックは近しいものになっていきました。
ハイドシェックという人はピアニストとしては実に恵まれた環境で育ちました。
彼はフランスでも有名なシャンパン醸造元(CHARLES HEIDSIECK)の御曹司として生まれ、両親はともに音楽家(父はマチュアのチェロ奏者、母はピアニスト)という環境で育ちました。そして、ハイドシェックの才能に気づいた両親は息子をコルトーに師事させ、その関係はコルトーが亡くなる1962年まで続くのです。
ハイドシェックは「ピアノを練習しなければ」との思いでピアノに向かうのではなく、自分はいつも花の蜜に引き寄せられる蜂のようにピアノに惹きつけられ、ピアノを演奏することこそが人生における最大の喜びだったと語っていました
彼は生活のためにピアノで成功し、そしてピアノを演奏し続ける必要はなかったのです。ですから、その演奏スタイルはどこまでも自分の喜びのために行うものだったのです。
ただし、好きなことをやっていて一流になれるような甘い世界でないことも否定しがたい事実です。
その直線的な造形と明晰なピアノの響きは面白いほどに、師であるコルトーとは真逆です。
コルトーから学んだものは何だったのだろうなどと思ってしまうのですが、そんな事は一切気にしないで、自分の信じることを好きなようにのびのび演奏しています。
それにしても、師であるコルトーはこ若き日のハイドシェックの演奏をどんな思いで聞いていたのでしょうか。
そういえば、ホロヴィッツは数少ない弟子たちに対して「オレのようにはなるな」と言っていました。
おそらく、コルトーもまた孫のような弟子の演奏をニコニコとしながら聞いていたことでしょう。
そして、ハイドシェックがコルトーから学んだのは、技術でもなければスタイルでもなく、ずいぶんといい加減な言い方で申し訳ないのですが、音楽というものの「ホント」だったのではないかと思います。
そう思えば、良き師を与えられたものです。
よせられたコメント
【最近の更新(10件)】
[2025-09-01]
フォーレ:夜想曲第1番 変ホ短調 作品33-1(Faure:Nocturne No.1 in E-flat minor, Op.33 No.1)
(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)
[2025-08-30]
ベートーベン:交響曲第2番 ニ長調 作品36(Beethoven:Symphony No.2 in D major ,Op.36)
ジョルジュ・ジョルジェスク指揮 ブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 1961年4月20日録音(George Georgescu:Bucharest George Enescu Philharmonic Orchestra Recorded on April 20, 1961)
[2025-08-28]
ラヴェル:舞踏詩「ラ・ヴァルス」(Ravel:La valse)
ルネ・レイボヴィッツ指揮 パリ・コンセール・サンフォニーク協会管弦楽団 1960年録音(Rene Leibowitz:Orcheste de la Societe des Concerts du Conservatoire Recorded on 1960)
[2025-08-26]
フランク:交響詩「呪われた狩人」(Franck:Le Chasseur maudit)
アルトゥール・ロジンスキー指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団 1954年6月27~7月11日録音(Artur Rodzinski:Wiener Staatsoper Orchester Recorded on June 27-July 11, 1954)
[2025-08-24]
J.S.バッハ:トッカータとフーガ ヘ長調 BWV.540(J.S.Bach:Toccata and Fugue in F major, BWV 540)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)
[2025-08-22]
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲(Debussy:Prelude a l'apres-midi d'un faune)
ルネ・レイボヴィッツ指揮 ロンドン・フェスティヴァル管弦楽団 1960年録音(Rene Leibowitz:London Festival Orchestra Recorded on 1960)
[2025-08-20]
エルガー:行進曲「威風堂々」第5番(Elgar:Pomp And Circumstance Marches, Op. 39 [No. 5 in C Major])
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 1966年7月14日~16日録音(Sir John Barbirolli:New Philharmonia Orchestra Recorded on July 14-16, 1966)
[2025-08-18]
ベートーベン:交響曲第1番 ハ長調 作品21(Beethoven:Symphony No.1 in C major , Op.21)
ジョルジュ・ジョルジェスク指揮 ブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 1961年5月録音(George Georgescu:Bucharest George Enescu Philharmonic Orchestra Recorded on May, 1961)
[2025-08-16]
ブラームス:交響曲第2番 ニ長調, 作品73(Brahms:Symphony No.2 in D major, Op.73)
アルトゥール・ロジンスキ指揮:ニューヨーク・フィルハーモニック 1946年10月14日録音(Artur Rodzinski:New York Philharmonic Recorded on October 14, 1946)
[2025-08-14]
ワーグナー:「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲&第3幕への前奏曲~従弟たちの踊りと親方達の入場(Wagner:Die Meistersinger Von Nurnberg Prelude&Prelude To Act3,Dance Of The Apprentices)
アルトゥール・ロジンスキー指揮 ロイヤル・フィルハーモニ管弦楽団 1955年4月録音(Artur Rodzinski:Royal Philharmonic Orchestra Recorded on April, 1955)