チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 作品64
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮 北ドイツ放送交響楽団 1952年録音
Tchaikovsky:Symphony No.5 in E minor, Op.64 [1.Andante - Allegro con anima]
Tchaikovsky:Symphony No.5 in E minor, Op.64 [2.Andante cantabile con alcuna licenza]
Tchaikovsky:Symphony No.5 in E minor, Op.64 [3.Valse. Allegro moderato]
Tchaikovsky:Symphony No.5 in E minor, Op.64 [4.Finale. Andante maestoso - Allegro vivace]
何故か今ひとつ評価が低いのですが・・・
チャイコフスキーの後期交響曲というと4・5・6番になるのですが、なぜかこの5番は評価が今ひとつ高くないようです。
4番が持っているある種の激情と6番が持つ深い憂愁。
その中間にたつ5番がどこか「中途半端」というわけでしょうか。
それから、この最終楽章を表面的効果に終始した音楽、「虚構に続く虚構。すべては虚構」と一部の識者に評されたことも無視できない影響力を持ったのかもしれません。
また、作者自身も自分の指揮による初演のあとに「この作品にはこしらえものの不誠実さがある」と語るなど、どうも風向きがよくありません。
ただ、作曲者自身の思いとは別に一般的には大変好意的に受け入れられ、その様子を見てチャイコフスキー自身も自信を取り戻したことは事実のようです。
さてお前はそれではどう思っているの?と聞かれれば「結構好きな作品です!」と明るく答えてしまいます。
チャイコフスキーの「聞かせる技術」はやはり大したものです。確かに最終楽章は金管パートの人には重労働かもしれませんが、聞いている方にとっては実に爽快です。
第2楽章のメランコリックな雰囲気も程良くスパイスが利いているし、第3楽章にワルツ形式を持ってきたのも面白い試みです。
そして第1楽章はソナタ形式の音楽としては実に立派な音楽として響きます。
確かに4番と比べるとある種の弱さというか、説得力のなさみたいなものも感じますが、同時代の民族主義的的な作曲家たちと比べると、そういう聞かせ上手な点については頭一つ抜けていると言わざるを得ません。
いかがなものでしょうか?
西洋の伝統的な語法を大切にして「しみじみほっこり」とした音楽に仕立て上げている
ハンス・シュミット=イッセルシュテット(あまりにも長いので、以下「イッセルシュテット」・・・ちなみに、本人も多くのファンからサインを求められたときに、「私の名前はなんでこんなに長いんだ」とぼやいたとか・・・^^;)を以前に取り上げたときに「雲に隠れた膨大な山塊に気づかせてくれる存在」と述べました。
イッセルシュテットは生粋のベルリン子であり生家は老舗のビール醸造所でした。
カフェも併設していたので、そこで演奏されるヴァイオリンの響きに幼い頃から魅了され音楽の道に進むことを決心します。そして、ベルリン高等音楽学校で学び、ニキッシュに憧れて指揮者の道を歩み始めます。
指揮者としてのキャリアは地方の歌劇場のコレペティートル(練習指揮者)からスタートし、ロストック歌劇場からダルムシュタット歌劇場、そして1938年にはハンブルク国立歌劇場の首席指揮者に招かれます。
それは古きヨーロッパにおけるカペルマイスターが辿るべき典型的な道筋であり、その道筋は1943年にベルリン・ドイツ歌劇場のオペラ監督に招かれ、翌年に音楽総監督に昇格することで「上がり」となったのです。
しかし、一見するときわめて順調に見えるキャリアなのですが、もう少し詳しくく見てみるとストラヴィンスキーなどの現代音楽を熱心に取り上げることでナチスから睨まれてダルムシュタット歌劇場での職を奪われることも経験しています。ですから、この順調に見えるキャりアはカラヤンのように自らも積極的にナチス党員になることで得たものではありませんでした。
そう言う意味では、彼のナチス時代の立ち位置はクナッパーツブッシュなどと似通っていたのかも知れません。
ただし、イッセルシュテットにとって幸いだったのは、ベルリンの大空襲で焼け出された事によってドイツ北西部のエルプマルシュと言う村に疎開していたことです。
このドイツ北西部は戦後はイギリスの支配地域となり、アメリカ占領地域と比較すればナチスに対する戦犯追求は比較的緩やかだったのです。
戦後すぐに彼のもとを二人のイギリス人将校が訪れ、そこで簡単な質問書に答えることで彼の非ナチ化が認定されただけでなく、その二人の将校はハンブルクの放送局で交響楽団を創設してほしいと依頼したのです。
これはアメリカ占領地域だったミュンヘンで敗戦をむかえたクナッパーツブッシュと較べれば、信じがたいほどに寛容な処遇でした。
そして、その処遇に対して心からの感謝の念を抱いたのか、イッセルシュテットの戦後の音楽活動は創設を依頼されたハンブルクの放送交響楽団とともに歩むことになります。
彼は「ベルリン・フィルとウィーン・フィルを交配した弦楽器」、「コンセルトヘボウとフィラデルフィアが結婚した管楽器」という途轍もない「夢」を抱いて新しいオーケストラの楽団員のオーディションを開始するのです。
なお、少しばかり余談になるのですが、このイッセルシュテットによって創設されたオーケストラは母体となっている放送局の統合や再編によって何度も名称を変更したために、いささかややこしくなっています。
イッセルシュテットが創設したときには「北西ドイツ放送交響楽団(NWDR-Sinfonieorchester)」が正式名称だったのですが、放送局の再編成に伴って何度も名称を変更しています。
さらにDeccaが録音したレコードのジャケットなどでは「Hamburg Radio Symphony Orchestra」と英語表記されていました。それを日本国内ではそのまま「ハンブルグ放送交響楽団」と翻訳表記して発売されたので表記の問題はさらに紛らわしいことになっています。
私も最初はかなり戸惑ったのですが、日本語表記で言えば「北西ドイツ放送交響楽団」「ハンブルク北ドイツ放送交響楽団」「ハンブルグ放送交響楽団」「北ドイツ放送交響楽団」というのは基本的に同一の団体と考えていいようです。
そして、このオーケストラは現在は「NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団」と改名しているので、そのややこしさに輪をかけています。
話がいささか本筋から外れたところに行ってしまったので元に戻します。
イッセルシュテットはドイツにおける伝統的なカペルマイスターとしても道を歩んできた指揮者であり、それ故に「雲に隠れた膨大な山塊に気づかせてくれる存在」だと言うことでした。
こういう言い方をすると誤解を招くかも知れないのですが、彼はフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュのような「大指揮者」でなかったことは認めざるを得ないでしょう。
しかし、その様な「大指揮者」というものは一人独立してその高みを誇示できるのではなくて、それを支える膨大な山塊の厚みと広がりがあってこそその高さは保持されるのです。その意味で言えば、イッセルシュテットのような指揮者というのは、そう言うヨーロッパにおける「膨大な山塊の厚みと広さ」を実感させてくれる存在だったのです。
もっと分かりやすい日常の言葉を使って表現すれば、その音楽には聞き手に対して戦慄を起こさせるような凄みはなくても、最初の一音が出た瞬間から「これってしみじみといいよね」と思わせてくれる指揮者だったのです。しかし、それを「激しい熱気を漲らせるというよりも整理整頓したもので、常に温和な格調を保っている」と評しては本質を見誤るのです。
そこには、「整理整頓」とか「温和な拡張」などと言う言葉で言い尽くせない西洋ヨーロッパの伝統がどんと腰を下ろしているのです。
ですから、こういうチャイコフスキーのような音楽になると、ロシアの民族的な佇まいなどには見向きもせずに、その根っこにある西洋の伝統的な語法を大切にして、かといって剛直になることもなくしみじみほっこりとした音楽に仕立て上げてくれるのです。
当然の事ながら、そこには野暮ったいロシアの民族的な土臭さなどはないのですが、かといって無味無臭の味気ない音楽にもなっていないのです。
ただし、録音の問題もあるのかも知れませんが、強奏時になると響きの固さがいささか気になりますし、弦楽器に関して言えば「ベルリン・フィルとウィーン・フィルを交配した」響きからは随分と距離があるように思われます。
しかしながら、管楽器の響きは実に魅力的で、それがこの録音に漂う「ほっこり」とした感じを生み出す原動力になっています。
もっとも、それが果たして「コンセルトヘボウとフィラデルフィアが結婚した」ものかどうかは判断しかねますが、そんな看板などは下ろして、それがそのままハンブルグのオケならでは魅力だと言ってしまえばいいだけの話です。
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