カリンニコフ:交響曲第1番 ト短調
キリル・コンドラシン指揮 モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団 1960年録音
Kalinnikov:Symphony No.1 in G minor [1.Allegro moderato]
Kalinnikov:Symphony No.1 in G minor [2.Andante commodamente]
Kalinnikov:Symphony No.1 in G minor [3.Scherzo. Allegro non troppo]
Kalinnikov:Symphony No.1 in G minor [4.Finale. Allegro moderato]
青春の交響曲
カリンニコフの交響曲に光を当てたのはナクソスの大きな功績でした。今となっては可もなく不可もなくの演奏と録音ではあるのですが、作品の持つ青春の憂愁は十分に伝わるクオリティで世に送り出した功績は小さくありません。
テオドレ・クチャル指揮 ウクライナ国立交響楽団 1994年11月2日~6日録音
しかし、調べてみると、この作品は戦前からそれなりに認知されていてコンサートでもよく取り上げられていたようなのです。日本国内でも昭和の初め頃に近衛秀麿やエマヌエル・メッテルによって何度か取り上げられていました。
ちなみに、近衛は1924年のベルリンデビューでもカリンニコフの交響曲1番を取り上げていたという情報もあるほどです。
1924年1月18日(ベートーベン・ザール)
近衛秀麿指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
チェロ:フェリックス・ロベルト・メンデルスゾーン
アルト:フリーダ・ランゲルドルフ
モーツァルト/歌劇「劇場支配人」序曲
ラロ/チェロ協奏曲ニ短調
近衛秀麿(編曲)/「子守歌」「舟歌」など4曲の日本歌曲
カリンニコフ/交響曲第1番ト短調
また、トスカニーニもこの作品を録音しています。
トスカニーニ指揮 NBC交響楽団 1943年録音
そして、カリンニコフの母国であるロシアでは「忘れられた音楽」になるはずはなく、第2番の交響曲に関してはムラヴィンスキーもよく取り上げていました。
しかし、なんと言っても、カリンニコフと言えばスヴェトラーノフでしょう。ロシア国立交響楽団を指揮した「1975年盤」は今もってこの作品の代表盤としての地位を失っていません。
さらに、彼は来日してNHK交響楽団を振ったときにもカリンニコフを取り上げているのです。
NHK交響楽団 第1192回定期公演(1993年2月3、4日)
この定期公演の様子は「N響伝説のライヴ」として、2月3日の演奏がCD化されています。
しかし、それでも、この作品の素晴らしさを多くの人に知らしめたのはナクソスの「クチャル盤」でした。未だにCDが馬鹿高かった時代に「廉価盤」という世界を切り開き、そこへ「知られざる名曲」を次々と紹介していったナクソスの功績は今振り返ってみても大きなものがありました。
残念ながら、ボックス盤という形での「たたき売り」が当たり前の時代になった事で、ナクソスの歴史的役割は終わったのですが、この事ははっきりと明記していきたいと思います。
作品については聴いてもらえば充分でしょう。とりわけ第一楽章の第2主題は一度耳にすれば絶対に忘れることのないメロディでしょう。この主題は最終楽章でもう一度引用されるのですが、その強い印象ゆえに作品全体の統一感を与える核となっています。
最後に簡単にカリンニコフの略歴を記しておきます。
- 1866年 誕生。父は警察官だったが、その地位に見合わない薄給で、非常な困窮の中で育つ。
- 1880年 14歳で聖歌隊に加わる。
- 1884年 音楽の才能を見いだされで,モスクワ音楽学校に入学。学費を稼ぐために,複数のオーケストラでエキストラとして演奏。
- 1889年 リンニコフの最初の作品,交響詩「ニンフ」(The Nymphs)が完成
- 1890年 結婚。しかし,まもなく結核を患う。
- 1892年 カリンニコフはチャイコフスキーと会い,激励され,出版社Jurgensonに紹介される。
- 1893年 結核の治療のため,南クリミアの比較的温暖な場所を捜して,職を辞することを余儀なくされる。
- 1895年 交響曲第1番ト短調を完成。彼は,何とか,この曲を演奏しようと考え,推薦を得るため,リムスキー・コルサコフへ,交響曲のコピーを送りました。しかし,1897年2月20日 交響曲第1番の初演が大成功をおさめる。
- 1900年 ラフマニノフが,ヤルタに彼を訪問し援助の手をさしのべる。
- 1901年1月 ヤルタで死去。
突き放した表現
カリンニコフの交響曲は「青春の交響曲」と呼ばれてきました。聞けば分かるように、ロシア民謡の素材を上手に使うことで成り立っている国民楽派の交響曲と分類できる音楽です。ですから、多くの指揮者は、作品が持つメランコリックな憂愁や突き進む激情みたいなものに焦点を当てて演奏するのが通り相場でした。
それに対して、コンドラシンという指揮者は、そう言う情緒的な側面は敢えて切り捨てるようにして音楽を作る人でした。そう言う意味ではムラヴィンスキーなどと似通った部分のある指揮者のように見えるのですが本質的には全く異なります。
ムラヴィンスキーという男は、猟奇的というべきか、偏執的というべきか、まあその様な「熱意」をもって、情緒やムードを一つ一つ丹念につぶしていきます。しかし、その情熱は作品に対する客観性の担保としてではなく、あくまでも彼自身の作品に対する主観的解釈を貫徹するために使われています。
ですから、彼の手にかかれば、どんな作品でも、まるでベートーベンの交響曲であるかのような立派な音楽に変身してしまうのです。
しかし、コンドラシンの場合は、作品の持つあるがままの姿を、できる限りあるがままに映し出そうというスタンスの中で情緒が排除されます。
もちろん、そうやってたどり着く客観性の真実については異論もあるでしょう。しかし、一つだけ確かなことがあります。
それは、作品そのものに何らかの弱さが存在していれば、その弱さを明け透けにさらけ出してしまうことを厭わないと言うことです。
確かに第1楽章のあの有名な主題は弦楽セクションの素晴らしい能力によって非常に美しく描かれています。それは、カリンニコフの音楽がこの上もなく美しいからであって、コンドラシンはその美しさをこの上もない透明性を持って描ききっています。
しかし、第2楽章の「Andante comodamente」では素っ気ないほどに叙情性を排除していますし、最終楽章の「Allegro moderato」でも激情に溺れることなく走り去ってしまいます。
ただ不思議なのは、オケの響きが非常に薄いのです。
始めは、その薄さをメロディア原盤故の録音の悪さかとも思ったのですが、じっくりと聞いてみれば一つ一つの音の分離もよくて、とりわけ弦楽セクションの美しい響きは過不足なくすくい上げられています。
だとすれば、その薄さは録音のせいではなくて、まさにその様な響きでもってオケが鳴っていたと見るべきでしょう。
そして、それこそがまさに、作品そのものに何らかの弱さが存在していれば、その弱さを明け透けにさらけ出してしまうというコンドラシンのスタンスがもたらした結果なのではないでしょうか。
多くの指揮者は、この早逝の作曲家への愛情ゆえに、彼の美質を最大限引き出すために努力を惜しみません。スヴェトラーノフ等はその典型でしょう。
しかし、コンドラシンはそう言うことは一切やろうとしていないように聞こえます。それ故に、この作品に青春のメランコリックを求める人にとっては大いに不満の残る演奏となるでしょう。
しかしながら、愛情を持ってこの作品を描き出したスヴェトラーノフ盤が「表名盤」だとすれば、突き放したような表現で貫かれたこのコンドラシン盤は「裏名盤」と呼んでいいのかもしれません。
最後に念押しで付け加えますが、この録音は世間で言われるほどには悪くはないと思います。
よせられたコメント
2016-12-29:Joshua
- 万人に聴いてもらいたい作品、演奏です。
ナクソスで聴いたときはメロドラマのテーマ或いは映画音楽みたいやなあ、という感想でした。でもコンドラシンは芸術!と思わせてくれる。コンドラシンは巨人を振ったその晩心臓発作で亡くなった指揮者としては早世の人でした。老少不定、人の命の長短はわからんものです。ラフマニノフやこのカリンニコフのご紹介で、よりこの指揮者が面白くなってきました。コンドラシンといえば、昔は写真からして強面の大男という先入観があり、この曲の冒頭のように金管フォルテが聴こえると、当時の自分の短絡的な聴き方を思い出します。アルゲリッチの伴奏でのチャイコフスキー、シェヘラザード、ライブでブラームスの1番以上のオケはコンセルトヘボウ、めずらしいところで、チャイコの弦セレ、これはソビエト国立がオケだったと思います。オイストラフの伴奏でここでのモスクワフィルを振ってましたし、モスクワ放送を振ったショスタコヴィッチ、マーラーの9番を来日時振ってましたね。マーラーは万人向きではないにしても、ご本人としては持ち味の出た誠実で熱意に満ちた演奏かと思っています。そこがムラヴィンと違うんでしょうかね。カリンニコフは共感のかたまり、堂々たるカンタービレ。鉄のカーテンがあった冷戦時代と今を比べると、のちに亡命するコンドラシンの(本人は苦しくても)西への思いが芸術ににじみ出てるように思います。
言葉では残されなかった思いは想像あるのみですが、音楽やその他芸術はそんなものを伝えてくれると思い、味わって聞いています。
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