メンデルスゾーン:ピアノ協奏曲第1番 ト短調, Op.25(Mendelssohn:Piano Concerto No.1 in G minor, Op.25)
(P)モーラ・リンパニー:ラファエル・クーベリック指揮、フィルハーモニア管弦楽団 1952年録音(Moura Lympany:(Con)Rafael Kubelik The Philharmonia Orchestra Recorded on 1952)
Mendelssohn:Piano Concerto No.1 in G minor, Op.25 [1.Molto allegro con fuoco]
Mendelssohn:Piano Concerto No.1 in G minor, Op.25 [2.Andante]
Mendelssohn:Piano Concerto No.1 in G minor, Op.25 [3.Presto - Molto allegro e vivace]
イタリア旅行の充実感の反映

この作品は当時の協奏曲としては珍しく、3つの楽章が切れ目なくアタッカで演奏されます。メンデルスゾーンは楽章間の拍手によって緊張感が途切れるのを嫌ったという事です。
イタリア旅行の充実感や若きエネルギーが反映されており、全編にわたって情熱的で、疾走感のある華やかなピアノのテクニックが要求されます。
- 第1楽章:Molto allegro con fuoco
冒頭、オーケストラが下行する強烈なクレッシェンドをわずか数小節奏でた直後、ピアノがオクターブの激しい上行パッセージで割り込みます。
古典派の協奏曲に見られた「まずオーケストラが主題をすべて演奏する長い提示部」を完全に省略し、最初からピアノとオーケストラが一体となって疾走します。
ピアノの和音連打とシンコペーションを伴う、情熱的で焦燥感に駆られた旋律です。
一転して、ピアノが優美で流れるような美しい旋律を歌い上げます。メンデルスゾーンらしい、甘美でありながらも洗練されたメロディです。
展開部は比較的短く、第1主題の動機をベースにピアノの華麗なアルペジオが駆け巡ります。
再現部では両主題がト短調、ト長調で再現されますが、特筆すべきはコーダです。
通常のソナタ形式であれば、楽章の終わりにピアノの見せ場である「カデンツァ」が置かれ、華やかに楽章を閉じます。しかしメンデルスゾーンはこれを拒否しました。
曲のテンポが急激に落ちると、ホルンとトランペットが不穏なファンファーレ風の信号音を鳴らします。
これにピアノが静かに応答しながら、調性をト短調からホ長調へと滑らかに移行させ、休止することなく第2楽章へと滑り込みます。
- 第2楽章:Andante
前楽章の緊迫感から解放され、深い静寂と叙情性に満ちた世界が広がります。
ト短調の主音から、遠隔調であるホ長調への鮮やかな転調が、聴き手に「一筋の光が差し込むような」劇的な心理的効果を与えます。
まずヴィオラとチェロが、低音で深くあたたかい主題を奏でます。これを引き継ぐ形でピアノが、彼の有名なピアノ曲集「無言歌」を思わせる、言葉を持たない至高の歌曲を歌い始めます。
わずかに短調の陰りが差し込み、ピアノが細かな16分音符のパッセージを刻む中で、オーケストラが切ない旋律を対位法的に絡ませます。
再び静けさを取り戻し、最後はピアノのアルペジオがピアニッシモで消え入るように終わる…と思われた瞬間、再び劇的な仕掛けが作動します。
- 第3楽章:Presto - Molto allegro e vivace
第2楽章の静寂を破るように、再び管楽器による導入が響き渡ります。
第1楽章の終わりに見られたファンファーレの変形であり、全曲の統一感を高める役割を果たしています。
ピアノがこれに技巧的なカデンツァ風のパッセージで応えると、音楽は一気に明るいト長調(Molto allegro e vivace)へと突入します。
ここからの音楽は、メンデルスゾーンの独壇場である「妖精の音楽」の性格を強く持ちます。跳ねるようなスタッカートときらびやかな16分音符が連続し、まるで光の粒子が飛び跳ねているかのような軽快さです。
ピアノには極めて俊敏なタッチと正確なレガートが要求されます。終盤、華やかな盛り上がりの最中に、第1楽章の第1主題の断片がオーケストラによって一瞬回想されます。
この循環形式的なアプローチにより、3つの楽章が単に繋がっているだけでなく、精神的にも一つの巨大な楽曲として結ばれていることが証明されます。
最後はピアノの圧倒的なオクターブ連打とスケール(音階)がオーケストラと激しく火花を散らし、若きメンデルスゾーンのエネルギーを爆発させるように、圧倒的な高揚感の中でト長調の主和音を打ち鳴らして幕を閉じます。
小難しい理屈はいらない
イギリスの女性のピアニストで「デイム(Dame)」に列せられたのはマイラ・ヘスとモーラ・リンパニーだけです。
紳士の国イギリスで「サー」や「デイム」に列せられるというのは大変な名誉ですから、音楽家であればそれに相応しい音楽的才能が認められるのは当然としても、人間的にも高い尊敬を受けていたのでしょう。
しかし、同じ「デイム」でもヘスのピアノとリンパニーのピアノでは随分と方向性が異なるようです。
デイム・ヘスのピアノは聞く人の胸に切々と語りかけます。
それは、音楽とは一時の楽しみを与えるだけのものではなくて、それを聞く人の胸に何かとても大切なメッセージを届けようとする営みだと確信しているようです。
それと比べると、リンパニーのピアノは「芸」です。
ただしそれは決して悪口ではありません。
音楽とは何よりも聞きに来てくれる人に喜びと楽しみを与えるものであり、そこに小難しい理屈はいらないというスタンスです。
ですから、どちらかと言えば囁くように鳴るヘスのピアノに対して(実際、コンサートでも彼女のピアノ音量は決して大きくはなかったようです)、リンパニーのピアノは豪快に鳴ります。
そして、その事は彼女が愛したロシアの音楽、例えばラフマニノフのコンチェルトや前奏曲などを聴くとよく分かります。
なお、彼女の経歴をAIさんに聞くとおおむね以下の通りです。
彼女は、1916年、イギリス・コーンウォールのソールタッシュにて「メアリ・ゲルトルード・ジョンストン」として誕生しました。幼少期にベルギーの修道院へ送られた際にピアノの才能を見出され、リエージュ音楽院で学び始めます。
12歳(1929年)のとき、指揮者バジル・キャメロンの指揮でメンデルスゾーンのピアノ協奏曲第1番を演奏しオーケストラ・デビューを果たしました。
この際、キャメロンから「もっと芸名らしく魅力的な名前にしなさい」と助言を受け、メアリのロシア風の愛称「モーラ」と、母親の旧姓(Limpenny)の古風な綴りから「リンパニー」を取り、現在の名前に改名しました。
その後、ロンドン王立音楽アカデミーに奨学金で入学。さらにウィーンへ渡りポール・ワインガルテンに師事したほか、クララ・シューマンの直弟子であるマチルダ・ヴェルネ、そしてイギリスの名教師トビアス・マテイらに師事しました。
マテイが叩き込んだ「過度なルバートを排した、明晰で知的なフレージング」は、彼女の演奏スタイルの強固な骨組みとなりました。
第二次世界大戦中、ドイツ軍の空襲を受けるロンドンで、国民の精神的支えとなった「ナショナル・ギャラリー・コンサート」に多数出演し、イギリス国内で絶大な人気を獲得しました。
1945年のパリ解放直後には、イギリス人音楽家として初めて現地で演奏し、まだ屋外でドイツ軍の砲声が響くなか、アラン・ローストホーンの協奏曲を演奏したエピソードは伝説となっています。
戦後はアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、インドなどを巡る世界的な大ツアーを成功させました。
1970年に乳がんを患い、乳房切除手術を受けます。
一時は演奏活動が危ぶまれましたが、不屈の精神で見事に復帰。復帰後はさらに演奏の深みが増したと絶賛されました。
1989年にはデビュー60周年を記念してロイヤル・フェスティバル・ホールでリサイタルを開催。
80歳で現役を引退するまで一線で活躍し続け、2005年にフランスのマントンにて88歳でその生涯を閉じました。
ざっと、こんなところです。
そんなリンパニーを振り返るとき、忘れてはいけないのはラフマニノフの「24の前奏曲」全曲を世界で初めてレコードに録音したことです。
ラフマニノフの生前に完成されたこの録音は作曲家本人からも高く評価され、彼女は生涯で計3回(1940年代、1950年代、1990年代)にわたり同曲の全曲録音を残しています。
当時、クラシック界には「女性ピアニストにはロシア音楽のようなダイナミックで重量感のある曲は弾けない」という根強い偏見や、華やかな容姿に対する批評家のやっかみがありました。
しかし、リンパニーは男性ソリスト顔負けの強靭な打鍵と完璧なテクニック、それでいてイギリス風の洗練された繊細な美しさを両立させ、その実力で批評家たちを黙らせました。
彼女もまたガラスの天井に挑み続けた人だったのです。
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