クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

サン=サーンス:ピアノ協奏曲第2番 ト短調 作品22

(P)モーラ・リンパニー:ジャン・マルティノン指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 1951年録音





Saint-Saens:Piano Concerto No.2 in G minor, Op.22 [1.Andante sostenuto]

Saint-Saens:Piano Concerto No.2 in G minor, Op.22 [2.Allegro scherzando]

Saint-Saens:Piano Concerto No.2 in G minor, Op.22 [3.Presto]


「J.S.バッハに始まり、オッフェンバックに終わる」とも言われることのあるこのコンチェルト

サン=サーンスのピアノ協奏曲の中では第4番と並んでこの第2番がもっとも有名です。

サン=サーンスと言えば凡庸で時代遅れの音楽を書き続けた音楽家というレッテルが定着しています。しかし、その評価の背景にはフランクに対するサン=サーンスの許し難い仕打ちと、その仕打ちを絶対に忘れることのなかったフランクの弟子達による集中砲火が大きく影響しています。
確かに、サン=サーンスの音楽には時代を切り開いていくような革新性は希薄でした。
しかし、多くの人が長い時間をかけて学ぶべき作曲上の技術に関してはわずか10代にして完璧に身につけていました。

そんなサン=サーンスの本質を鋭く見抜いていたのがベルリオーズでした。
彼は10代にして完璧に仕上げられているサンーサーンスの交響曲を見て「彼はすべてを知っているが、未熟さに欠けている」と喝破したのです。

サン=サーンスの魅力は、どの作品を見ても完璧に仕上げられていることです。
バッハから12音技法に至るまでの時代を貫く音楽技法の全てを完璧に身につけることによって、彼の作品はどれをとっても端正な美しさに彩られていました。

例えば、いきなりピアノカデンツァで始まるこの協奏曲の第1楽章は、明らかにバッハの音楽を想起させます。
それが第2楽章になると、急にオッフェンバックをおおわせるようなフレンチ・カンカン風の音楽になってしまうのですから驚かされます。
そして、最終楽章ではロマン派のコンチェルトらしい華やかで堂々としたフィナーレによって締めくくられるのですからみごとなものです。
そして、それら異質なものどもが見事に一つの形式の中に収まっているのです。

しかし、聞き終わってみて、何か物足りない部分が残ることも事実であり、その物足りなさの原因はと聞かれれば、それはおそらく「完璧に仕上げられている」からだろうと思ってしまうのです。
ベルリオーズの言葉を借りれば、まさにサン=サーンスに欠けていたのは「未熟」さであって、最後までそれは変わることはなかったのです。

「未熟」さに欠けると言うことは、反対側から光を当ててみれば、「自分の手に余る領域」には踏み込まなかったと言うことです。
そう言えば、ウィーンの人気ピアニストとして名声を獲得していたベートーベンは、そこで留まることは良しとせずに「これからは新しい道を進むつもりだ」と己を叱咤しました。
そして、ベートーベンは歴史に名を残す偉大な革命家となったのですが、そう言う泥田の中でのたうち回ることを良しとしなかったサン=サーンスは結果として偉大なる音楽の職人として人生を終えたのです。

とは言え、彼は偉大なる職人であったのです。
ですから、サン=サーンスの作品の全てを「凡庸」だと決めつけるのはいささか行き過ぎだったかもしれません。
「J.S.バッハに始まり、オッフェンバックに終わる」とも言われることのあるこのコンチェルトなどは、まさに見事なまでの職人の手になる逸品なのですから。

ピアノ協奏曲第2番 ト短調 作品22


  1. 第1楽章 Andante sostenuto

  2. 第2楽章 Allegro scherzando

  3. 第3楽章 Presto



類い希なるパワフルなピアノはリンパニー以外ではなかなかに聞くことの出来ないものです


この類い希なるパワフルなピアノはリンパニー以外ではなかなかに聞くことの出来ないものです。
それを世間では一般的に「個性」というのでしょうが、その言葉にはどこかしっくり来ない部分があります。

例えば、フルトヴェングラーのドラマティックな音楽作りを捉えて、それがフルトヴェングラーの「個性」だと言ったときに感じる違和感と同質の違和感かも知れません。

一般的に「個性」とは「個人が持つ特有の性質・特徴」だとされます。
つまりは、スタンダード、もしくは平均値からの「偏差」が「個性」の正体だと言うことです。

ですから、その「偏差」がある程度の幅におさまっていれば、その「偏差」はその人固有のユニークさとしてプラス評価の対象となるのですが、それが一定に閾値を超えてしまうとその「偏差」は一転して「変人」というマイナス評価に転じてしまうのが世間というものです。
しかしながら、ごく僅かですが、その「変人」という領域をすら突き抜けてしまって、その「偏差」が「スタンダード」をねじ伏せてしまうことがあります。

おそらく、フルトヴェングラーなどの「偏差」は、まさにスタンダードをねじ伏せてしまった典型でしょう。
そして、リンパニーのパワフルなピアノもその領域に近いものかもしれません。

おそらく、「個性」などと言う言葉で表現できるのは一定の幅におさまった穏やかな「偏差」に与えられるものであって、そう言う化け物に奉るにはどう考えても相応しくない言葉のようです。

それでは、どのような言葉が相応しいのかと考えてもなかなかピッタリのものが見つからないのです。
「異能」や「天才」というのはそう言う場合には便利な言葉なのですが、どこか逃げ口上にしか聞こえないような気もします。

そうして思いついたのは「個」などと言う曖昧なものではなくて、もっと存在が明瞭な「私」なんだと言うことです。「個性」ではなくて「私性(わたくしせい)」とでもいいのでしょうか。
つまりは、徹底的に「私」を信じると言うことであり、その「私」を中心として全てのものが回っていると確信できる特別な「強さ」を持った存在だと言うことです。

ただし、その「私」が「スタンダード」をねじ伏せることが出来なければ、良くて「変人」、悪くすれば「人格破綻者」と言うことになってしまいます。
とは言え、殆どの人は「私」を最後まで信じたくても、どこかで「スタンダード」の方をチラ見してしまう「弱さ」が顔をのぞかせてしまいます。

少し残念に思うのは、このリンパニーのピアノもまた、時々チラ見してしまう姿を感じてしまうことです。

よせられたコメント

【リスニングルームの更新履歴】

【最近の更新(10件)】



[2024-04-20]

ショパン:バラード第3番 変イ長調, Op.47(Chopin:Ballade No.3 in A-flat major, Op.47)
(P)アンドレ・チャイコフスキー:1959年3月10日~12日録音(Andre Tchaikowsky:Recorded on Recorded on March 10-12, 1959)

[2024-04-18]

エルガー:チェロ協奏曲 ホ短調, Op.85(Elgar:Cello Concerto in E minor, Op.38)
(Cello)アンドレ・ナヴァラ:サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団 1957年録音(Andre Navarra:(Con)Sir John Barbirolli:Halle Orchestra Recorded on 1957)

[2024-04-16]

フランク:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ イ長調(Franck:Sonata for Violin and Piano in A major)
(P)ロベール・カサドシュ:(Vn)ジノ・フランチェスカッティ 1947年5月7日録音(Robert Casadesus:(Vn)Zino Francescatti Recorded on May 7, 1947)

[2024-04-14]

ベートーヴェン:序曲「コリオラン」, Op.62(Beethoven:Coriolan, Op.62)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団 1945年6月1日録音(Arturo Toscanini:NBC Symphony Orchestra Recorded on June 1, 1945)

[2024-04-12]

モーツァルト:弦楽四重奏曲 第3番 ト長調 K.156/134b(Mozart:String Quartet No. 3 in G Major, K. 156)
パスカル弦楽四重奏団:1952年録音(Pascal String Quartet:Recorded on 1952)

[2024-04-10]

ハイドン:弦楽四重奏曲第1番 変ロ長調「狩」,Op. 1, No. 1, Hob.III:1(Haydn:String Quartet No.1 in B-Flat Major, Op. 1, No.1, Hob.3:1, "La chasse" )
プロ・アルテ弦楽四重奏団:1938年6月5日録音(Pro Arte String Quartet:Recorded on June 5, 1938)

[2024-04-08]

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18(Rachmaninov:Piano Concerto No.2 in C minor, Op.18)
(P)ジェルジ・シャーンドル:アルトゥール・ロジンスキ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック 1946年1月2日録音(Gyorgy Sandor:(Con)Artur Rodzinski New York Philharmonic Recorded on January 2, 1946)

[2024-04-06]

シベリウス:交響的幻想曲「ポヒョラの娘」(Sibelius:Pohjola's Daughter - Symphonic Fantasy Op.49)
カレル・アンチェル指揮:チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 1962年6月7日~8日録音(Karel Ancerl:The Czech Philharmonic Orchestra Recorded on June 7-8, 1962)

[2024-04-04]

ベートーヴェン:ロマンス 第2番 ヘ長調, Op.50(Beethoven:Romance for Violin and Orchestra No.2 in F major, Op.50)
(Vn)ジノ・フランチェスカッティ:ジャン・モレル指揮 コロンビア交響楽団 1952年4月23日録音(Zino Francescatti:(Con)Jean Morel Columbia Symphony Orchestra Recorded on April 23, 1952)

[2024-04-02]

バルトーク:弦楽四重奏曲第6番, Sz.114(Bartok:String Quartet No.6, Sz.114)
ヴェーグ弦楽四重奏団:1954年7月録音(Quatuor Vegh:Recorded on July, 1954)

?>