クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

コダーイ: マロシュセーク舞曲(Zoltan Kodaly:Dances of Marosszek)

ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1962年11月15日録音(Eugene Ormandy:Philadelphis Orchestra Recorded on November 15, 1962)



Zoltan Kodaly:Dances of Marosszek


民族の舞曲を古典的な枠組みの中で再構成した音楽

コダーイは「マロシュセーク舞曲」と「ガランタ舞曲」という2曲の交響的舞曲を残しています。
前者の「マロシュセーク舞曲」はピアノ作品として創作され、その後管弦楽曲に編曲されました。ピアノ版は1927年、管弦楽版は1930年に完成し、その管弦楽版はドホナーニ指揮によるブダペスト・フィルで初演されました。

この作品に「マロシュセーク」の名前が与えられたのは、古い民族舞曲がたくさん残っていたトランシルヴァニア地方の一地区である「マロシュセーク」に由来します。全体としては3つのエピソードとコーダから成り立ったロンドであり、作品全体として厳密な構成をもった音楽ではありません。
少しばかり張り詰めたリズムをもった第1のエピソード、豊かな装飾性にあふれた第2のエピソード(これは即興的な民族的リコーダーの旋律を移植したと言われています)、そして3つめのエピソードではダンスの勢いが増していくようであり、最後のコーダではまさに猛進していくような舞曲で華々しく音楽は閉じられます。

それと比べると、「ガランタ舞曲」の方はもう少し厳密な構成をもちます。

大まかに見れば二つのエピソードからなるロンドとみることが出来るのでしょうが、その構成はかなり自由であり、マロシュセーク舞曲のように幾つかのエピソードがつなぎ合わされたような雰囲気とはかなり異なります。
特にコーダの最後は今までの逡巡を立ちきるような力強さで音楽は跳躍し、無調のままで音楽は閉じられます。

おそらくそれは、この作品がブダペスト・フィルの創立80周年を記念する作品として作曲されたことが影響しているのでしょう。
「マロシュセーク舞曲」から3年後の1933年に作曲され、初演は同じくドホナーニ指揮によるブダペストフィルによって1933年に行われました。

ガランタはコダーイが幼少期を過ごした地方であり、その地方の音楽は彼の幼い頃の記憶を呼び覚ますものだったようです。
この舞曲の素材は1800年代にウィーンで出版された「ガランタ・ジプシー舞曲集」からとられていて、コダーイはその素材をもとにして「ヴェルプンコシュ音楽」として仕立て直しました。

「ヴェルプンコシュ音楽」とは「ハーリ・ヤーノシュ」組曲の「間奏曲」でも採用された音楽形式なのですが、18世紀のハンガリーで新兵募集のために使われた兵士のための舞曲でした。
そのためか、この音楽には誇り高い雰囲気だけでなく、どこかもの悲しげな雰囲気をもっています。

剣と拍車をつけた完全武装の制服で踊られた舞曲であり、基本的にはラッスーと呼ばれる緩やかな部分と、フリッシュという快速な舞曲で出来ていました。
コダーイはきわめてシンプルなジプシーの舞曲を素材とし、それに「ヴェルプンコシュ音楽」という華やかさと哀愁の入りまじった衣をつけたのです。

そして、それを緊密な構成と見事なオーケストレーションによって祝典に相応しい華やかな音楽に仕立て上げたのはコダーイならではの腕前でした。

音楽の楽しさと美しさにひたらせてくれる


最近の事ですが、仲間内で「名曲喫茶」のことが話題になりました。
話題を提供されたのはかなりの年配の方なのですが、大学時代を京都で過ごされた方で、学生の街と言うことで幾つか有名な「名曲喫茶」があって、京大御用達とか同志社御用達みたいな雰囲気で棲み分けていたそうです。
その方の話によると、京大御用達の店のメインはバッハやベートーベンで、同志社御用達の店ではチャイコフスキーなどが人気があったそうです。

ただし、両者には共通点があって、どちらも雑談をしながら音楽を聞くなどと言うのは御法度で、誰もが無言で姿勢を正して音楽に聴き入ることが当然の約束事だったそうです。
そして、「そうそう、あの雰囲気は今から思えば懐かしいけれど、今から思えばちょっと滑稽ですよね」などと語っていました。

レコードが貴重品で、個人で購うには二の足を踏むような時代にあっては、クラシック音楽に身近にふれる場として「名曲喫茶」は貴重な存在だったようです。
しかし、そう言う名曲喫茶では人生の苦悩を全て引き受けたような佇まいで目を瞑って聞き入る学生が多くいたようで、おそらくはそう言う土壌がこの国におけるクラシック音画の受容のあり方に少なからず影響を与えたことは間違いないようです、

つまりは、クラシック音楽というのは楽しむものではなくて人間の奥深い精神性を高めるためのものだという受容のされ方です。
もちろん、それもまたクラシック音楽が持つ美点の一つであることは否定しませんが、その呪縛から抜け出すのは容易ではなかったようです。

言うまでもなく、クラシック音楽といえどもそれは音楽なのですから、まずは聞いて楽しめるエンターテイメント性が大前提です。
修行のために音楽を聞きに行くわけではないのですから、まずは聞いて楽しいと言うことが必須条件であるはずです。

しかし、どうしても「聞いて楽しい」だけでは音楽に深みがないとか、精神性が足りないなどと言って、そう言うエンターテイメント性を前面に押し出す音楽家は一段も二段も低く評価されてきました。
おそらく、通のクラシック音楽ファンからオーマンディやカラヤンが低く見られてきた背景にはそういう事情があったことは否定出来ません。

しかし、音楽を楽しく、そして美しく聞かせるというのは意外と難しくて、高いスキルが必要だということに人は次第に気づいていきます。
手兵のオケを極限まで鍛え上げることで作りあげたベルリンやフィラデルフィアの響きはそう容易く実現できるような代物ではなかったのです。

そう思えば、私も途中で回心して(?)カラヤンはかなりまとまって紹介したのですが、オーマンディに関してはまだまだ取りこぼしが多いようです。
カラヤンは70年代以降すっかり変わってしまいましたが、オーマンディは最後まで「レガート・カラヤン」のような違和感なしに楽しめる音楽を提供してくれました。
このワーグナーなどは、オーマンディとフィラデルフィア管以外では絶対に聞けないものです。オーマンディが鍛え上げたフィラデルフィア管の凄さを堪能できます。

考えてみれば、ハンガリーというのは多くの偉大な指揮者を生み出しています。ライナーにセル、オーマンディといえば、この時代の強面三羽烏と言っていいほどでしょう。
それ以外にもフリッチャイ、ハンス・スワロフスキー、古いところではアルトゥール・ニキシュ、新しいところではショルティと数え上げればきりがありません。凄い民族です。

しかし、その強面から生み出される音楽は全く異なります。その違い故に、セルやライナーと比べてオーマンディは一段も二段も低く見られてきました。

しかし、こういうバルトークやコダーイを聞くと、とりわけバルトークに関してはこんなに聞きやすい演奏は他にないでしょう。音楽を聴くことは修行ではないのですから、こういうバルトークがあってよかったです。
そして、元から聞きやすいコダーイはさらに楽しく美しく響きます。締め上げるだけが音楽ではないのです。

やはり、とりこぼしている彼の録音はもう少し丁寧に拾っていく必要があるようです。

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