クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

タルティーニ:悪魔のトリル(ヴュータン編)(Tartini:Violin Sonata in G minor, "Le trille du diable"(Arr.Vieuxtemps)

(Vn)ヴァーシャ・プシホダ:(Vn)フランコ・ノヴェロ エンニオ・ジェレッリ指揮 RAIトリノ交響楽団 1956年録音(Vasa Prihoda:(Vn)Franco Novello (Con)Ennio Gerelli Orchestra Sinfonica Nazionale della RAI Recorded on 1956)



Tartini:Violin Sonata in G minor, "Le trille du diable"(Arr.Vieuxtemps) [1.Larghetto affettuoso]

Tartini:Violin Sonata in G minor, "Le trille du diable"(Arr.Vieuxtemps) [2.Allegro]

Tartini:Violin Sonata in G minor, "Le trille du diable"(Arr.Vieuxtemps) [3.Andante - Allegro]


夢の中で悪魔が演奏していた・・・・とか

その夜、タルティーニは夢の中で悪魔がヴァイオリンを弾く夢を見ました。
ところが、その音楽のあまりの美しさに驚いて彼は飛び起きます。そして、夢の中で聞いた音楽を必死で書きとめてできあがったのがこの悪魔のトリルだと言われています。(正式には「ヴァイオリン・ソナタ ト短調」です。)

夢の中で悪魔が弾いていたのは曲の最後の方に出てくる超難度の連続したトリル(楽譜を見ると真っ黒!!)だと言われていますが、真偽のほどはクエスチョンです。

主張は権利だが、表現は義務だ


プシホダは晩年になるとすっかり衰えてしまって往時のかけらも残っていなかった、などといわれるのですが、このタルティーニやヴィオッティ、ヴィターリの演奏などを聞くと決してそんなことはないよね、思ってしまいます。
今では全く聞かれなくなったスタイルなのでしょうが、それだけに魅力的だと思うのです。
いかがなものでしょうか

「主張は権利だが、表現は義務だ」という言葉に出会ったときに、なぜに私があんなにもピリオド演奏を拒否したのかの理由がわかったような気がしました。

ピリオド演奏というのは一つの主張です。ですから、その事の正しさを主張することは当然の権利であり、それが権利である以上は耳を傾けるのが最低限の誠実さといえるでしょう。そして、その主張に対して誠実に耳を傾けたうえで己の態度を「否」と決める事は許されるはずです。
しかし、主張する側からすれば、間違いなく正しいと信じていることをどうしても受け入れてもらえないことに苛立ちを覚えることがあるのもまた当然です。

ここで道は二つに分かれます。
一つはその拒否を受け入れて、それでも己の主張にしたがって義務である表現に全力尽くす道です。
もう一つは、さらに主張の精緻さを高めてより完璧な論へと磨き上げ、その力によって主張を受け入れない相手を説き伏せようとする道です。

しかし、考えてもみてください。どうしても受け入れがたい主張に対してさらに説得を積み上げられても、それでどこかで「回心」するなんてことがあるでしょうか。
人の心を変えるのは主張ではなくて表現です。

ジェンダーが語られる時代に至って不適切な表現であることは承知して、以下のような言葉を思い出します。
一人の女性が道端で大声で泣きわめいていれば、その理由がいかにくだらないものであったとしてその涙は人の心を動かさずにはおれない。

なぜならば、彼女の表現は心の中から湧き出した真実のものであり、義務であるべき表現を見事に果たしているからです。もしも、彼女がその義務を果たさず、その代わりに道端で自らの涙の理由を声高に訴えていたとすれば、そんな主張などに耳を傾ける人はほとんどいないでしょう。

音楽においても、いや、いかなる芸術的営為においても同様だと思うのですが、もっとも重要なことは権利としての芸術的主張を振りかざすことではなくて、己の心の中から湧き出す心の真実を己に課せられた神聖な義務として表現することです。
音楽に限ればそれがピリオド演奏だけに限った話ではなくて、作曲家の意図に忠実な原点尊重という錦の御旗も同じような危険性をはらんでいます。

演奏家は己の演奏の正当性を主張するためにひたすら完璧を目指します。それは、決して悪いことではありません。しかし、その完璧性への追及の結果としてスコアの向こうからくみ取るべき心の声を表現するという義務を忘れてしまえば、それはもはや音楽ではありません。
逆に言えば、完璧さとは程遠くても、そこで己の声を真摯に表現するという義務を果たしている演奏は、時にプロの演奏家の完璧さだけの演奏よりもはるかに聞く人の心を揺さぶります。

そのことはヴァイオリニストだけに限ってみても、すぐに何人もの顔が浮かびます。ティボーにしても、シゲティにしても、さらにはプシポダやメニューヒンにしても、若い頃はそれなりのテクニックを誇っていましたが、その晩年の技術の衰えは明らかでした。しかし、彼らは義務である表現に対しては常に真摯であり続けました。そのことをよく評論家たちは「高い精神性」という分かったような言葉で説明していたのですが、それはあまりにも無責任な物言いだったといわざるを得ません。
彼らは、己の心の声に従って神聖な義務である表現に生涯を費やしただけだったのです。

まあ、そう書いておきながら自分でも何を言っているのかよくわからなくなってくるのですが、最近、そういう下手だけど心動かされる演奏に出うと思わずニヤリとしてしまう自分がいるのです。
もちろん、ふざけるなという異論が返ってくるのもまた当然でしょう。でも、そういう演奏を掘り返したくなっている自分がいることもまた確かなのです。

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