クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ヨハン・シュトラウス2世:朝の新聞, Op.279

ヴィリー・ボスコフスキー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1958年録音





Johann Strauss II:Morgenblatter, Op.279


社交の音楽から芸術作品へ

父は音楽家のヨハン・シュトラウスで、音楽家の厳しさを知る彼は、息子が音楽家になることを強く反対したことは有名なエピソードです。そして、そんなシュトラウスにこっそりと音楽の勉強が出来るように手助けをしたのが母のアンナだと言われています。
後年、彼が作曲したアンネンポルカはそんな母に対する感謝と愛情の表れでした。

やがて、父も彼が音楽家となることを渋々認めるのですが、彼が1844年からは15人からなる自らの楽団を組織して好評を博するようになると父の楽団と競合するようになり再び不和となります。
しかし、それも46年には和解し、さらに49年の父の死後は二つの楽団を合併させてヨーロッパ各地へ演奏活動を展開するようになる。

彼の膨大なワルツやポルカはその様な演奏活動の中で生み出されたものでした。そんな彼におくられた称号が「ワルツ王」です。
たんなる社交場の音楽にしかすぎなかったワルツを、素晴らしい表現力を兼ね備えた音楽へと成長させた功績は偉大なものがあります。

朝の新聞, Op.279



この作品はよく知られているように、オッフェンバックの「夕刊」というワルツが話題になった事への対抗として作曲されました。
当時、オッフェンバックは自作のオペレッタ「ラインの妖精」を指揮するためにウィーンに訪れていて、その時にいつもお世話になっている新聞への感謝を込めてジャーナリスト協会の「舞踏会」のために「夕刊」という作曲したのでした。そこで、パリからウィーンを訪れていたオッフェンバックが片手間のように書いた「夕刊」がこれほど話題を呼ぶのならば、ウィーンのワルツ王であるシュトラウスに対抗させようと、話題づくりのためにジャーナリスト達が「朝刊」というタイトルでシュトラウスに作曲を依頼したのです。
シュトラウス自身はあまり気乗りはしなかったようですが、それでも押しきられるような形で承諾させられ、序奏と小さな5つのワルツ、そして後奏からなるワルツを書き上げました。

そして、この二つのワルツはともに同じ舞踏会で披露されることになるのですが、当日は遠来からの客であるオッフェンバックへの敬意を込めて彼の作品に多くのアンコールの声が寄せられたのですが、時が経た今となってはシュトラウスの「朝刊」は彼の代表作として「ニューイヤーコンサート」でも良く取り上げられるのに対して、オッフェンバックの「夕刊」はほとんど演奏もされなくなっています。

しかしながら、良く語られるこのエピソードはかなり話が盛られているようで、実際はオッフェンバックは「ラインの妖精」のリハーサルがあったために舞踏会には出席していなかったようで、遠来からの客であるオッフェンバックへの敬意を込めて彼の作品に多くのアンコールの声が寄せられた事実もなかったというのが本当のようです。
「ウィーナー・ツァイトゥング」という新聞には当日の様子として「オッフェンバック氏の「夕刊」は、シュトラウスの曲と一緒に聴衆に披露されたが、初日でさえ、萎れていた。誰も聴いていなかった」と記していたようです。

「かしこ仕立てのあほ」と「あほ仕立てのかしこ」


「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート」は年々つまらなくなっています。もちろん異なる意見をお持ちの方もおられるでしょうが、今年は遂に見ることもやめてしまいました。とにかく、ライブで見るのは私にとっては長く続くお正月の「恒例行事」だったのですが、今年は遂にその気力もなくなってしまったと言うことです。
とは言え、もしかしたら、あとになって見たくなるかもしれないので一応録画だけはしておいたのですが、それも冒頭に数曲を聴いた時点でストップボタンと消去ボタンを押してしまいました。

いったい、どうしてこんな事になってしまったのだろうかと、このボスコフスキーとウィーンフィルによる演奏を聞きながら考え込んでいます。
このボスコフスキーとウィーンフィルとのウィンナー・ワルツというのは不思議な演奏です。どれか1曲だけ抜き出して聞いてみれば、そのほとんどが何ということもない演奏です。ところが、彼らが残した膨大な録音の中から適当に5,6曲ほどを抜き出して続けて聞いてみると、不思議な幸福感と言うか愉悦感というか、そう言う感情ににつつまれるのです。
そして、その幸福感を感じながら気づいたのは、昨今の「ニューイヤーコンサート」では、一つずつを聞けばそれなりのクオリティがあるにもかかわらず、コンサート全体としての「幸福感」みたいなものが全く感じられなくなっているということです。

そう気づいてみれば、その大きな分岐点が1989年に登場したカルロス・クライバーの演奏にあったのかもしれないと言うことに気づきました。
あそこでクライバーが聞かしてくれた音楽は素晴らしいもので、シュトラウスの音楽ってこんなに立派だったんだ!と惚れ直させられたものです。

しかし、今になって考えてみれば、あれはウィンナー・ワルツをメインにした芸術的探求を目指した通常のコンサートであって、ボスコフスキー達が提供してくれた「幸福感」を与えてくれる今までの「ニューイヤーコンサート」とは明らかに性質が異なるものでした。
とは言え、それでもクライバーは見事でした。

しかし、困ったことに、そのあとに続く指揮者達はそのクライバーの演奏を一つの基準点として誰もが自らの芸術的主張を「ニューイヤーコンサート」に持ち込むようになったように思えるのです。
そして、その多くがクライバーほどには演奏できないのは当然でした。

京都の祇園には「かしこ仕立てのあほ」という言葉があるそうです。
お座敷で、「オレは客だ!」という尊大な態度を取って偉そうにする人のことをそう言うのであって、「無粋の極み」とされているそうです。そう言えば、大阪にも「かしこのアホ」という言葉があるのですが、意味するところはよく似ています。
それに対して、客でありながら冗談を言ったり馬鹿な真似をして座を盛りあげるような客のことを「あほ仕立てのかしこ」と言って「粋な人」と呼ばれます。
大阪では「アホのかしこ」と言います。

京都人のことを「千年のすれっからし」と呼んだのは白洲正子でしたが、もちろんその言葉は京都人に対する最大の讃辞として語られた言葉でした。そして、そう言う「すれっからし」の根っこの上に「京都の粋」は成り立っています。
大阪は残念ながら戦争で焼け野原になってしまい船場の文化は消えてしまいましたが、それでも生粋の大阪人の中には今もその様な気質は残っています。

何を言いたいのかと言えば、「かしこ仕立てのかしこ」だったクライバーという希有な存在が登場することで、誰もがそれを真似ようとして、その結果ほとんどが「かしこ仕立てのあほ」になってしまったのです。毎年登場するどの指揮者も、オレの音楽を聞け!と言わんばかりの態度で指揮台に立つ姿はまさに「かしこ仕立てのあほ」であり、そこからは「ニューイヤーコンサート」ならではの「幸福感」は消えてなくなりました。
そう考えれば、ボスコフスキーこそはハプスブルク帝国の都だったウィーンという街の「粋」を知り尽くした「あほ仕立てのかしこ」であったことに気づいたのです。

ちなみに、大阪には「かしこのかしこ」・「かしこのアホ」・「アホのかしこ」・「アホのアホ」という四つの区別が存在します。
言うまでもないことですが、「かしこのかしこ」なんて人は滅多に言いません。これはもう、文句なく尊敬に値する対象ですが、あまりお友達にはなりたくないかもしれません。
そして、不思議なことに「アホのアホ」は結構愛嬌があると言ってそれほど馬鹿にはされません。
一番始末に悪いのが「かしこのアホ」なのですが、今の世の中この手の存在がうじゃうじゃとしています。昨今の新型ウィルスの感染対策を見ていても、今の政府には「かしこのアホ」しかいないように見えます。

せめて、自分は「アホのかしこ」でいたいと思うのですが、こんな文章を日々綴っているようでは私もまた「かしこのアホ」かもしれないと自戒するばかりです。

よせられたコメント

2020-07-04:コタロー


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