モーツァルト:ディヴェルティメント ニ長調 K. 136 (125a)
ティボール・ヴァルガ指揮 ティボール・ヴァルガ音楽祭管弦楽団 1965年録音
Mozart:Divertimento in D major, K.136/125a [1.Allegro]
Mozart:Divertimento in D major, K.136/125a [2.Andante]
Mozart:Divertimento in D major, K.136/125a [3.Presto]
どのような編成を採用しようと若々しいモーツァルトに相応しい響きを実現することが大切
1772年の初めにザルツブルクで書かれたと推定される(K.136, K.137, K.138)3曲の自筆楽譜には「ディヴェルティメント」と記されています。
しかし、よく見てみると、その「ディヴェルティメント」の筆跡は明らかにモーツァルトのものではないことが分かります。
言うまでもないことですが、当時の様式として「ディヴェルティメント」には2つのメヌエットが必要です。それに対して、この3つの作品は全てがシンプルな3楽章構成であり、さらに言えば一つもメヌエット楽章を含んでいません。
ですから、別の人物がモーツァルトには無断で「ディヴェルティメント」と書き込んだ可能性が高いと高いと考えられています。
また、この作品は現在においては弦楽四重奏としても弦楽オーケストラの作品としても演奏されるのですが、そして、どちらの形式で演奏しても良い響きがするのですが、それでもモーツァルト自身は各パート一人を前提に作曲したと考えるのが妥当だと今日では考えられています。
それも、いわゆる通常の弦楽四重奏としてではなくて、2つのヴァイオリンとチェロ、コントラバスという編成の「ディヴェルティメント四重奏団」を想定していたようです。
つまりは、聞き手にとってはどうでもいいような話なのですが、専門家にとってはこの3つの作品をどのジャンルに分類すべきなのかは頭を悩ます問題だったのです。
ちなみに、旧全集ではこれらは弦楽四重奏曲(K.136は第24番、K.137は第25番、K.138は第26番)とされていました。モーツァルトの権威とされていたアインシュタインが「弦楽四重奏曲」のカテゴリーに含めていたからでしょう。
しかしながら、若干の戸惑いもあったようで、「これらは全くオーボエとホルンのない弦楽器だけのシンフォニーである。 言いかえれば、これらの四重奏曲はモーツァルトの最初の四重奏曲がむしろ室内楽的傾向を持っていたのと同程度にシンフォニー的傾向を持っている。」と注釈をつけています。
そして、新全集では「オーケストラのためのディヴェルティメント」として扱っています。
さらに、現在のモーツァルトの権威とも言うべきザスローはその全作品事典で「鍵盤楽器を伴わない室内楽曲」に分類しています。
とは言え、そんな事は聞き手にとってはどうでもいいことです。
必要なことは、どのような編成を採用しようと、そこから16歳の若々しいモーツァルトに相応しい響きを実現することです。
ディヴェルティメント ニ長調 K. 136 (125a)
Allegro:第1ヴァイオリンがまるでプリマ・ドンナであるかのように、技巧的に振る舞うように設定されています・
Andante:イタリア風の柔らかい情愛に満ちています。
Presto:あっさりとした雰囲気ですが、ソナタ形式による生真面目さも披露しています。
雑じりけなしの喜びを持ってモーツァルトを演奏することは可能なのかを問いかける演奏
バルシャイとモスクワ室内管弦楽団による演奏と、ティボール・ヴァルガの率いる管弦楽団による演奏を聞きくらべてみればそこに様々な感情が去来してくる事は否めません。
ヴァルガとそのオケによる音楽からは一切の雑じりけなしに、音楽をすることの喜びがあふれています。
既に、何度も述べていることですが、念のためにポイントだけを繰り返しておきます。
ティボール・ヴァルガは将来を嘱望されたヴァイオリニストでありながら、20代でドロップ・アウトをしてしまい、それ以後は教育活動に力を注いだ人でした。
そんなヴァルガが毎年世界中から学生を集めて実施したのが「ティボール・ヴァルガ音楽祭」です。
ヴァルガがその中でもっとも大切にしたのは「ティボール・ヴァルガ音楽祭管弦楽団」という小ぶりの室内管弦楽団でした。
何故ならば、それが全ての教え子に目が届かせるためにもっとも相応しい形態だったからでした。
ですから、ヴァルガとそのオケによる演奏と録音は、念入りに時間をかけて徹底的に仕上げたものなのですが、そこから聞こえてくるのはヴァルガという偉大な先生のもとで供に音楽が出来ることの喜びなのです。
そして、その音楽祭に集まる学生たちの全てが腕利きのメンバーというわけでもないのですが、それでもこうして仕上がった演奏を聞けば技術的に見てもなかなかのものだと思わせてくれます。
それでも、その次にバルシャイとモスクワ室内管弦楽団による録音を聞いてしまうと、それはもう「唖然」とするしかありません。
しかし、その凄みすら感じる合奏からは音楽をする喜びどころか、微笑みの欠片すら窺うことが出来ません。
なるほど、吉田秀和が彼らの演奏を評して「音が凄いほどに整然としていればいるほど、きいているこちらの耳は、心は、何か金属の棒か、針をあてられたように、痛む。」と書いたのは一面の真実をついてました。
おかしな言い方になるのですが、音楽をすることの喜びに満ちているヴァルガとそのオケの音楽を聞くことで、その「痛さ」をあらためて実感させられるのです。
しかし、注意しなければいけないのは、吉田が「音が凄いほどに整然としていればいるほど、きいているこちらの耳は、心は、何か金属の棒か、針をあてられたように、痛む。」と述べたのは、あくまでも真実の一面にしかすぎないと言うことです。
20世紀の後半という時代にあって、さらに言えばそれを今という時代に引き寄せてもいいのですが、ヴァルガとそのオケ達のように雑じりけなしの喜びを持ってモーツァルトを演奏することは可能なのかという問いかけをバルシャイは投げかけているようにも聞こえるのです。
もちろん、その背景には彼らが過ごさざるを得なかった「ソ連」という社会の「歪さ」があります。
しかしその歪さは決してそう言う社会だけに現れる特異性ではありません。
それは、疑いもなく、第2次大戦以降の私たちの社会が抱え込まざるを得なかった歪さを誰の目にも見えるように映しだしただけの事なのです。
その根っこには、何の理由も断りもなしに、ある日突然人類の歴史が終わってしまっても不思議はないという「核」の脅威が存在していながら、そんなものは何もないかのように気楽に日々を過ごしているという歪さが存在しています。
そして、そう言う「歪」さを覆い隠すために、ある社会ではハードに、また別の社会ではソフトに「権力への絶対服従」と「組織への絶対的忠誠」が強制されているのです。
ですから、そう言う歪さが社会の表面に浮かび上がろうとすると、それを押し留めるために「嘘」と「改竄」と「記憶喪失」がまかり通るのです。
ただし、そう言うことを突き破って「歪さ」が誰の目にも明らかにすることが多くの人の主観において「幸せ」であるかどうかは保証の限りではありません。
何故ならば、歪さから目をそらせばヴァルガのような喜びに満ちたモーツァルトを躊躇いもなく享受できます。
しかし、その歪さに目を据えるならば、耳と心に針を押し当てられたような痛さに耐えながらバルシャイのモーツァルトを噛みしめるしかないからです。
もちろん、それはどちらが優れているかというような愚かな話に収斂させてはいけません。
それは、その二人の音楽の根っこがどのような社会に根を張って、そしてその根っこからどのようにして育っていったのかをさらけ出しているだけの話なのです。
そう思えば、ヴァルガという人は出世競争というキャリアの世界からドロップアウトすることによって幸せな音楽家人生を送ったのかも知れません。
意に染まないことを強いられるのならばそこからドロップアウトするというのはけっこう賢い選択です。
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