ヒンデミット:葬送音楽(Hindemith:Funeral Music)
ルドルフ・バルシャイ指揮モスクワ室内管弦楽団 1958年録音(Rudolf Barshai:Moscow Chamber Orchestra Recorded on 1958)
Hindemith:Funeral Music
最も迅速に書かれた名曲
1936年にわずか数時間で作曲された、独奏ヴィオラと弦楽合奏のための作品だそうです。
クラシック音楽史における「最も迅速に書かれた名曲」の一つとして知られている・・・とか。
その背景には以下のような事情があったようです。
1936年1月、ヒンデミットは自作のヴィオラ協奏曲「白鳥を焼く男」のイギリス初演のためにロンドンに滞在していました。しかし、演奏会直前の1月20日に国王ジョージ5世が崩御します。
祝祭的な協奏曲の演奏は不適切と判断されましたが、BBCのプロデューサーとヒンデミットは「追悼のための音楽」を急遽演奏することを決定しました。
とんでもなく急な話ではあったのですが、国王ジョージ5世が崩御の翌日、1月21日の午前11時から午後5時までのわずか6時間で「葬送音楽」を書きあげます。
そして、作品が出来上がるとすぐにBBCのラジオ放送を通じて生中継で初演されました。独奏ヴィオラはヒンデミット自身が演奏しました。
楽曲の構成演奏時間は約8分で、4つの短い楽章が切れ目なく演奏されます。
第1楽章Langsam(遅くに)
重々しく哀悼の意を表す導入部。
第2楽章Ruhig bewegt(静かに動いて)
内省的で流れるような展開。
第3楽章Lebhaft(生き生きと)
感情が高ぶる激情的なセクション。
第4楽章Choral(コラール)
バッハも用いた讃美歌「汝の御前にいま進み出で」の旋律が引用され、静かな祈りの中で曲を閉じます。
時代の制約を突き抜けた演奏
バルシャイとその手兵であるモスクワ室内管弦楽団のアンサンブルの精緻さは演奏史における一つの頂点を示すものであったことは疑いはありません。しかし、そこまでの技術的な成果を上げながら、その事への評価は決して高いものではありませんでした。
そうなってしまった背景には幾つかの要因はあったのでしょうが、その中でも吉田秀和氏の否定的な評価が大きな影響力を持ったことは否定しきれないでしょう。
吉田氏はバルシャイとマリナーが率いる二つの室内管弦楽団を俎上に上げて、明確にバルシャイとモスクワ室内管弦楽団を批判し、マリナーとアカデミー室内管弦楽団に対して「これまであまりぶつかったことのない独特の新鮮味と、歌の冴えがあった」と賞揚しているのです。
吉田はバルシャイ達が成し遂げた合奏の精緻さに関しては次のように述べています。
「合奏の整然たる事は一糸乱れぬと言ったものでなく、私たちがこれまで聞きなれていた合奏の精度が、かりに分とか秒とかで計ってあったとかあわないといっていたのだとすれば、この人々のは、それよりもまた一桁細かい、十分の一秒と言ったところで計るべき性格のものとでもいった印象を受けた。」
「これにくらべれば、音に名高いアルトゥール・トスカニーのの厳密さでもおおざっぱで怪しいものとなる。」
ところが、その様な正確さが結果として音楽から大切なものを取り落とすことにつながっているだけでなく、聞き手の耳と心を痛めつけると書いているのです。
「音が凄いほどに整然としていればいるほど、きいているこちらの耳は、心は、何か金属の棒か、針をあてられたように、痛む。」
今という時代からこの吉田秀和氏の一文を読めばいったい何を聞いていたんだと言いたくなるかもしれません。
しかし、それは吉田ほどの存在であっても時代からの制約は逃れられないと言うことを示した一例と言うべきなのでしょう。
バルシャイとその手兵であるモスクワ室内管弦楽団の演奏と録音は今の耳から聞いてもいささかゾクリとするほどの凄みを持っています。
しかし、それをベームによるモーツァルト演奏がスタンダードだった時代に置いてみるという「思考実験」をしてみれば、それがただならぬ「凄み」を持った演奏であったことがよく分かるはずです。
そして、過去の演奏や録音、さらには評論の中には、その様な「思考実験」を経なければ正当に評価できないものもあるのです。
とりわけ、評価すべき対象が時代の制約を大きく超えようとしていたものに対しては、その様な手続きが絶対に必要なのです。
彼は自らの演奏について、後年こう語っています。
「音楽において最も重要なのは、演奏家が前面に出ることではない。作曲家が聴衆の心に直接語りかけるための、完全に透明な窓になることだ」
「楽譜に忠実な演奏」だけならたやすい話なのかもしれません。
しかし、それが「作曲家の最高の代弁者」になるためには、どれほどの壁があるかを、今もなお私たちに語りかけてくるようです。
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