ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲(Debussy:Prelude a l'apres-midi d'un faune)
ルネ・レイボヴィッツ指揮 ロンドン・フェスティヴァル管弦楽団 1960年録音(Rene Leibowitz:London Festival Orchestra Recorded on 1960)
Claude Debussy:Prelude a l'apres-midi d'un faune
苦手なドビュッシーの中でこれだけは大好きでした。
ドビュッシーは苦手だ・・・、と言うことはあちこちで書いてきました。ピアニストが誰だったかは忘れましたが、オール・ドビュッシーのプログラムで、コンサートが始まると同時に爆睡してしまったことがあるほどです。あの茫漠としたつかまえどころのない音楽が私の体質には合わないと言うことなのでしょう。
しかし、そんな中で、なぜかこの「牧神の午後への前奏曲」だけは若い頃から大好きでした。
何とも言えない「カッタルーイ」雰囲気がぬるま湯に浸かっているような気分の良さを与えてくれるのです。言葉をかえれば、いつもはつかまえどころがないと感じるあの茫漠たる雰囲気が、この作品でははぐれ雲になって漂っているような心地よさとして体に染みこんでくるのです。
我ながら、実に不思議な話です。
何故だろう?と自分の心の中を探ってみて、ふと気づいたのは、響きは「茫漠」としていても、音楽全体の構成はそれなりに筋が通っているように聞こえることです。響きも茫漠、形式も茫漠ではつかまえどころがないのですが、この作品では茫漠たる響きで夢のような世界を語っているという「形式感」を感じ取れる事に気づかされました。
それは、この作品がロマン派の音楽から離陸する分岐点に位置していることが大きな理由なのでしょう。
牧神以前、以後とよく言われるように、この作品はロマン派に別れを告げて、20世紀の新しい音楽世界を切り開いた作品として位置づけられます。そして、それ故に冒頭のフルートの響きに代表されるような「革新性」に話が集中するのですが、逆から見れば、まだまだロマン派のしっぽが切れていないと言うことも言えます。そして、その切れていないしっぽの故に、ドビュッシーが苦手な人間にもこの作品を素直に受け入れられる素地になっているのかもしれません。それは、調性のある音楽に安心感を感じる古い人間にとっての「碇」みたいなものだったのかもしれません。
高い分析力と良い意味での「緩さ」が上手くマッチしている
レイボヴィッツの録音活動の少なくない部分を「リーダーズ・ダイジェスト」が占めています。
「リーダーズ・ダイジェスト」は月刊の総合ファミリー雑誌だったのですが、書店売りは行わずに会員制の通信販売というスタイルをとっていました。この販売方法とアメリカ至上主義の編集方針を貫くことでアメリカ最大の発行部数を誇る雑誌へと成長していきました。
そして、その会員制の通信販売というスタイルを生かしてレコード制作にも乗り出します。
しかし、基本的に「リーダーズ・ダイジェスト」は雑誌社ですから録音のノウハウなどは持ち合わせていないので、その制作はRCAに丸投げしていました。
その丸投げのおかげで、同じような販売方法をとった「コンサートホールソサエティ」と較べると格段に録音のクオリティが高いという思わぬ幸運をもたらしました。
ただし、その性格上、クラシック音楽の分野ではコアなファンではない人々を対象としたために、いわゆる「クラシック音楽名曲集」のようなものが主流でした。
レイボヴィッツにとって名曲小品の録音ばかりが続くというのはそれほど楽しい仕事ではなかったように思ったのですが、聞き続けていると結構楽しんで、そして意外なほど真剣に取り組んでいたように思えてきたのです。
確かに、彼にあてがわれたオーケストラは「インターナショナル交響楽団」とか「ロンドン新交響楽団」、「パリ・コンセール・サンフォニーク協会管弦楽団」などと言う「怪しげ」なものばかりです。
しかし、決して下手なオケではありません。
レイホヴィッツは本質的に「指揮者」ではなく「作曲家」でした。
同じような存在としてマルケヴィッチがいますが、彼の場合は「作曲もする指揮者」だったように思います。
両者はともに作品を分析する能力に関しては折り紙つきですが、その分析したものをオーケストラに明確に伝え、統率する能力に関しては大きな差があったと言わざるをえません。
マルケヴィッチの場合は自分が納得できる表現に辿りつくまでは容赦なくオーケストラを絞り上げますが、レイボヴィッツの指揮には良い意味での緩さがありました。
ですから、「インターナショナル交響楽団」とか「ロンドン新交響楽団」のような怪しげなオケも、レイホヴィッツのような指揮者ならば伸び伸びと楽しんで演奏できたことでしょう。そして、その楽しさにレイホヴィッツも乗っかって、「十二音技法の使徒」と呼ばれたほどの人物が、まるでポップスミュージックのようにクラシック音楽を演奏したのです。
ただし、忘れてはいけないのは、どれほど外連味にあふれた演奏であっても、そこにはしっかりと背筋が通っていることです。この二律背反しそうなことを見事に融合していることこそがレイホヴィッツの魅力です。
ですから、そういう楽しい音楽を聞き手に提供することは、決して「食っていくための仕方のない仕事」などではなかったはずです。
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