クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ドビュッシー:管弦楽のための映像

シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団 1957年12月16日録音





Debussy:Images pour orchestre [1.Gigues]

Debussy:Images pour orchestre [2.Iberia I. Par les rues et les chemins]

Debussy:Images pour orchestre [2.Iberia II. Les parfums de la nuit]

Debussy:Images pour orchestre [2.Iberia III. Le matin d'un jour de fete]

Debussy:Images pour orchestre [3.Rondes de printemps]


管弦楽を使って「彼の目に映ったものを音楽的に写し取った」作品

ドビュッシーには「映像」というタイトルのついた作品が3つあります。その内の二つがピアノ作品で、残る一つが管弦楽による作品です。ただしそれらは連作として書かれたものではなくて、「彼の目に映ったものを音楽的に写し取ったもの」と言うことで「映像」と言うタイトルを与えたのでした。
ですから、ピアノ作品と混同される紛らわしさを避けるために、管弦楽による「映像」は「管弦楽のための映像」と記されるのが一般的になっています。

そして、ピアノ作品のところでもふれたのですが、彼の目に映ったものを音楽的に映し取ったものと言いながら、その映し取り方はかなり屈折したものになっていいます。つまり、自分が目にした風景(映像)をそのまま音譜に映し取るのではなく、その目にした映像を自分の中にもともと存在する様々な思念によってもう一度再構成しなおしてから音符に移し替える事によって描きした「映像」になっているのです。

つまり、二人の人間がいてそれぞれが同じ映像を見ていたとしても、お互いにその「映像」が「どの様に見えているのか」は知るよしもなく、ましてや、相手も自分と同じものが見えているはずだと思うことは「独善」以外の何ものでもないとドビュッシーは考えるのです。
ですから、ドビュッシーはその「自らが見えている」ものを音楽的に表現し、それを他者に伝えようとしたのです。ですから、例えば「水に映る影」という映像は、水に映った影の正確な描写ではなくて、あくまでもドビュッシーが見た「水に映る影」として表現されているのです。

そして、それと同じ事をピアノではなくて、管弦楽によっても実現しようとしたのがこの「管弦楽のための映像」なのです。
この作品は「ジーグ」「イベリア」「春のロンド」の3曲から成り立っていますが、ドビュッシー自身はこれらを連続した作品だとは考えていなかったようです。それらはあくまでも、管弦楽を使って「彼の目に映ったものを音楽的に写し取った」作品が3つ出来上がったので、それら3曲をまとめて「管弦楽のための映像」としただけの話なのです。
ですから、演奏する側からすればこれらの3曲を連続して演奏る義務は全くないのであって、気に入った1曲だけをコンサートで取り上げたり録音したりすることには何の問題もないのです。
ですからこの中の「イベリア」だけが突出して有名であり演奏機会が多いのは仕方のないことなのです。

第1曲の「ジーグ」は最初は「悲しいジーグ」というタイトルがつけられていました。オーボエ・ダモーレという珍しい楽器の使用が指定されているので演奏機会があまり多くないのですが、その楽器が演奏する旋律はイギリス訪問の時に近衛兵がバグパイプを吹き鳴らして行進するイメージがあったようです。ただし、言うまでもないことですが、それはその行進の様子を描写したものではなくて、より屈折した内容になっています。

それが第2曲の「イベリア」になるとさらに顕著となり「この作品に何らかの逸話をもと求めることは無駄なことだ」とドビュッシー氏自身が明言しているのです。ですから、例え、「街より道より」とか「夜の薫」「祭の日の朝」などというタイトルがついていても、それらは決してその様な情景を描写したものではありません。
そうではなくて、それらは何処までいってもドビュッシーの心の中に映し出されたスペインという地の情緒であり続けるのです。とりわけ、その雰囲気は第2曲の「夜の薫り」において顕著です。

そして、最後の「春のロンド」ではドビュッシー自身によって「5月よ、万歳。よくやってきた、風の吹き流しを持って」と記しているにもかかわらず、その風は未だ冷たいのです。ですから、これは「春のロンド」ではなくて「冬の北風の行進曲」だと言った人もいるのですが、それもまた同じものを見てもその見え方は人の世って全く異なるというドビュッシーの主張の正しさを裏付けるものだったのかもしれません。


  1. 第1曲:ジーグ

  2. 第2曲:イベリア(1.街より道より)

  3. 第2曲:イベリア(2.夜の薫り)

  4. 第2曲:イベリア(3.祭の日の朝)

  5. 第3曲:春のロンド



「官能的」ともいえるほどの色気がにじみでています


大阪だけでプロのオーケストラが4つも存在しています。それに加えて京都と西宮にも立派な力量を持ったプロオケが存在しているのですから(奈良も忘れるな!と怒られた^^;)、経営的には随分と大変だろうなと心配せずにおれません。そして、驚くのはそのプロオケの全てがどれもこれもが大変な力量を持っていて、取り分け定期演奏会どもなれば期待を裏切ることのない演奏を聞かせてくれることです。
おそらくは、経済的には厳しい面もあるかと想像されるのですが、その献身には頭が下がる思いです。

率直に言って、その力量は随分と高いチケット代をとる外来のオケと較べてもほとんど遜色はないように思えます。いやそれどころか、半分観光気分でやってきているのではないかと思えるようなオケなどは、到底そのレベルに達していない演奏を聞かせたりもしてます。
オーケストラではないのですが、最近の経験で言えばそれなりに名の知れたピアニストのオール・ベートーベンのコンサートなどは本当にひどいものでした。あまり細かいことは気にしない私でも、あそこまでボロボロと音符がこぼれ落ちる演奏を聞かされると、今時のコンクールなら一次予選も通らないと嫌みの一つや二つも言いたくなるような酷さでした。そして、その酷さは彼お得意の哲学的な物言いによって韜晦できるようなレベルではなかったのです。

それに対して、最近の事で言えば、友人に誘われて聞きに行った関西フィルの定期演奏会で初めて知った広瀬悦子というピアニストなどは、その響きの美しさと言うだけであの有名ピアニストの何倍も素晴らしい音楽を聞かせてくれていました。(曲目はメンデルスゾーンのピアノ協奏曲第1番、アンコールはリストのラ・カンパネラ)

ただ、そんな中で一つだけ残念に思うのは、合奏精度などは飛躍的に向上しているのですが、その響きが何処か蒸留水のような薄さを感じてしまうのです。ただし、それは在阪のオケだけでなく、ヨーロッパからやってくるオケなんかでも本質的には変わりはありません。Ozawaが率いてきた斎藤記念のオケなどはその典型でした。
そして、こういう50~60年代の古い録音を聞いていて魅力的だと思うのは、今のオケと較べればおそらくは合奏精度などでは劣るかもしれないのですが(それ故にあまり評価をしない人も多いのですが)、そのオケでなければ聞くことのできない豊かな色彩感を持っていたことです。

このドビュッシーの「管弦楽のための映像」等は、いわゆる「印象派」と呼ばれた、それまでのドビュッシーの響きからさらに一歩前に前進をして、何処か「官能的」ともいえるほどの色気がにじみ出してきた音楽のように思えるのです。
そして、その色気の部分をミュンショとボストン響は見事に描き出しているのですが、最近のオケはそう言う部分を描き出すのが何故かとっても苦手なのです。そして、その責が指揮者にあるのかオケにあるのか、それともその両者に存在しているのかは私には分かりません、

しかし、どちらに責があるにしろ、その根っこの部分に、「私たちはドビュッシーが書き込んだスコアの完璧に再現していますよ、それの何処に文句があるのですか」という「開き直り」があって、その「開き直り」が結果として「蒸留水」のような響きを怪しまない結果をもたらしているのだとすれば、スコアを正しく再現すると言うことの意味をもう一度真剣に見直してみる必要がある時期に来ているのかもしれません。

よせられたコメント

2019-06-11:Sammy


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