ベートーベン:交響曲第7番 イ長調 作品92
ゲオルク・ショルティ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1958年10月録音
Beethoven:Symphony No.7 in A major , Op.92 [1.Poco Sostenuto; Vivace]
Beethoven:Symphony No.7 in A major , Op.92 [2.Allegretto]
Beethoven:Symphony No.7 in A major , Op.92 [3.Presto; Assai Meno Presto; Presto]
Beethoven:Symphony No.7 in A major , Op.92 [4.Allegro Con Brio]
深くて、高い後期の世界への入り口
「不滅の恋人」は「アマデウス」と比べるとそれほど話題にもなりませんでしたし、映画の出来そのものもいささか落ちると言わなければなりません。しかし、いくつか印象的な場面もあります。(ユング君が特に気に入ったのは、クロイツェル・ソナタの効果的な使い方です。ユング君はこの曲が余りよく分からなかったのですが、この映画を見てすっかりお気に入りの曲になりました。これだけでも、映画を見た値打ちがあるというものです。)
それにしても、「アマデウス」でえがかれたモーツァルトもひどかったが、「不滅の恋人」でえがかれたベートーベンはそれに輪をかけたひどさでした。
第9で、「人類みな兄弟!!」と歌いあげた人間とは思えないほどに、「自分勝手」で「傲慢」、そしてどうしようもないほどの「エキセントリック」な人間としてえがかれていました。一部では、あまりにもひどすぎると言う声もあったようですが、ユング君は実像はもっとひどかったのではないかと思っています。
偉大な音楽家達というものは、その伝記を調べてみるとはっきり言って「人格破綻者」の集まりです。その人格破綻者の群の中でも、とびきりの破綻者がモーツァルトとベートーベンです。
最晩年のぼろ屑のような格好でお疾呼を垂れ流して地面にうずくまるベートーベンの姿は、そのような人格破綻者のなれの果てをえがいて見事なものでした。
不幸と幸せを足すとちょうど零になるのが人生だと言った人がいました。これを才能にあてはめると、何か偉大なものを生み出す人は、どこかで多くのものを犠牲にする必要があるのかもしれません。
この交響曲の第7番は、傑作の森と言われる実り豊かな中期の時期をくぐりぬけ、深刻なスランプに陥ったベートーベンが、その壁を突き破って、後期の重要な作品を生み出していく入り口にたたずむ作品です。
ここでは、単純きわまるリズム動機をもとに、かくも偉大なシンフォニーを構築するという離れ業を演じています。(この課題に対するもう一つの回答が第8交響曲です。)
特にこの第2楽章はその特徴のあるリズムの推進力によって、一つの楽章が生成発展してさまをまざまざと見せつけてくれます。
この楽章を「舞踏の祝祭」と呼んだのはワーグナーですが、やはり大したものです。
そしてベートーベンはこれ以後、凡人には伺うこともできないような「深くて」「高い」後期の世界へと分け入っていくことになります。
気合いの入った鋭角的な表現がウィーン・フィルとの間で軋みを生じている
私の中ではショルティと言えばつい最近なくなったような感覚があるのですが、確認してみれば20世紀の終わりには既に亡くなっているのであって、没後から既に20年以上の歳月が過ぎ去っているのです。
これは何とも言えず不思議な感覚であって、そう言えばカラヤンなんかもこれと似たような感覚を与えてくれる存在でした。
おそらく、そう言う感覚を持ってしまう背景には、膨大な録音を残したことと、その膨大な録音の少なくない部分が現役盤として長く流通していたことが大きな要因だったのかも知れません。
そして、もう一つこの両者に共通点があるとすれば、存命中は多くのアンチ・ショルティ、アンチ・カラヤンによってボロクソに言われ、とりわけコアなクラシック音楽ファンからは目の敵にされていたと言うことです。
しかし、その経歴を眺めていると、この両者は両極端とも言える存在であったことにも気づかされます。
カラヤンは戦前のドイツにおいて積極的にナチス党員になることによってキャリアを積み重ねていきました。しかし、ドイツの敗戦によってその経歴は大きなマイナスとなり演奏禁止の処分が受けることになるのですが、その苦境を救ったのがEMIのレッグでした。
それに対して、1946年に殆ど無名だったショルティがバイエルンの歌劇場のシェフにおさまることが出来たのは、非ナチ化によって脛に傷を持つドイツ人音楽家が駆逐されたことが大きな要因でした。さらに言えば、その抜擢の背景にはナチスを断固として許さなかったトスカニーニやエーリヒ・クライバーの後押しがあったことをショルティは認めています。
そのおかげで、ミュンヘンにおいてはそれなりに名を知られた指揮者になっていくのですが、そこからさらに飛躍していく手掛かりがなかなか得られずにいました。
そんな鬱屈した日々を救ってくれたのがDeccaのカルショーでした。
今さら言うまでもないことですが、Deccaが社運をかけて取り組んだ「ニーベルングの指輪」の全曲録音にショルティが抜擢されからです。
ショルティが凄いと思うのは、この抜擢に際して、ベートーベンの交響曲も全曲録音させろとカルショーに迫ったことです。
普通ならば、ニーベルングの指輪に抜擢してもらっただけで満足するものです。しかし、ショルティはこの抜擢をさらなるチャンスと見て、カルショーに対してグイグイと要求を押しつけていくのです。
おそらく、カルショーにしてみれば、レーベル幹部の反対を押し切ってショルティを抜擢した以上は何があっても彼を切ることは出来なかったはずです。そして、ショルティもそのあたりの事情は十分に把握していたはずです。
そのあたり、えげつないと言えばえげつない話かも知れないのですが、それくらいの押しの強さがなければこの世界でのし上がっていくことは出来ないのです。
そして、その事はカラヤンもまた同様でした。
さらに言えば、ショルティは「ラインの黄金」でとてよい仕事をしました。
カルショーもまたその仕事ぶりを見て、ニーベルングの指輪の全曲録音に目処がつく思いをしたはずです。
しかし、ベートーベンの交響曲となると、レーベルとしてもカタログは既に飽和状態でした。そのカタログに今さらショルティによる新しい録音を追加する意味を見いだすのは難しい状態であり、さらに言えば、ウィーン・フィル自身もショルティの棒でベートーベンを録音することには乗り気ではありませんでした。
そこで、カルショーは折衷案をショルティに提案します。
まずは3番、5番、7番を録音して、その録音が商業的に成功すれば残りの作品も録音しようというものでした。
ショルティもまたそのあたりが落としどころと判断したのでしょう、取りあえずはその折衷案を受け容れて録音されたのが、この一連のベートーベン録音だったというわけです。
そう言えば、初期盤のジャケットも何とも言えず手抜き感が拭いきれません。(^^;
そして、おそらくはカルショーが予想していたように、その録音は商業的には成功をおさめることはなくて、おそらくは胸をなで下ろしたのではないかと思われます。
レーベルのプロデューサーがレコードが売れなくて胸をなで下ろすというのも不思議な話なのですが、逆から見ればそれほどまでにショルティには指輪の録音に集中してほしかったのであり、そのためにもウィーン・フィルとの間でいらぬ悶着を引き起こしたくなかったのでしょう。
さて、そのベートーベンの録音なのですが、世間的には芳しくない評価が一般的だったのですが、最近はその尖った表現を評価する向きもあるようです。
ただし、その尖った表現が5番では顕著だったのですが、その翌年に録音された「エロイカ」ではかなり後退したものになっています。いや、その一ヶ月後に録音された第7番でもその傾向ははっきりと表れています。
確かに第5番の冒頭などはかなり気合いの入った鋭角的な表現なのですが、それがウィーン・フィルとの間で軋みを生じているのは明らかです。そして、その軋みのなかでショルティの鋭角的表現が少しずつウィーン・フィルのなかに包摂されていくのです。
それは、ウィーン風の曲線的な表現があちこちで顔を出すことからも明らかです。
そして、その包摂された両者の関係は如実に表れてしまっているのが「エロイカ」だろうと思われるのです。
おそらく、この鋭角的な表現が頭の先から尻尾の先まで貫徹されていれば、おそらくレイホヴィッツのベートーベン録音に先立つ先駆的な録音になったかも知れません。
しかし、その様なベートーベンを録音するにはウィーン・フィルというのは相応しい相手ではなかったのでしょう。
そして、この一連の録音が商業的に成功しなかったのは、ショルティに攻撃的なまでの表現が受け容れられなかったのではなくて、それを貫くことが出来ずに、どこか折衷的な表現に留まってしまったからではないかと愚考する次第なのです。
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