クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

シベリウス:交響曲第2番 ニ長調 Op.43

アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団 1940年12月7日





Sibelius:Symphony No. 2 in D Major, Op. 43 [1.Allegretto]

Sibelius:Symphony No. 2 in D Major, Op. 43 [2.Tempo Andante, Ma Rubato]

Sibelius:Symphony No. 2 in D Major, Op. 43 [3.Vivacissimo]

Sibelius:Symphony No. 2 in D Major, Op. 43 [4.Finale: Allegro Moderato]


シベリウスの田園交響曲?

シベリウスの作品の中ではフィンランディアと並んでもっとも有名な作品です。そして、シベリウスの田園交響曲と呼ばれることもあります。もちろん、ベートーベンの第6番を念頭に置いた比喩ですが、あちらがウィーン郊外の伸びやかな田園風景だとすれば、こちらは疑いもなく森と湖に囲まれたフィンランドの田園風景です。
さらに、この作品にはフィンランドの解放賛歌としての側面もあります。重々しい第2楽章と荒々しい第3楽章を受けた最終楽章が壮麗なフィナーレで結ばれるところが、ロシアの圧政に苦しむフィンランド民衆の解放への思いを代弁しているというもので、この解釈はシベリウスの権威と見なされていたカヤヌスが言い出したものだけに広く受け入れられました。
もっとも、シベリウス本人はその様な解釈を否定していたようです。
言うまでもないことですが、この作品の暗から明へというスタイルはベートーベン以降綿々と受け継がれてきた古典的な交響曲の常套手段ですから、シベリウスは自分の作品をフィンランドの解放というような時事的な際物としてではなく、その様な交響曲の系譜に連なるものとして受け取って欲しかったのかもしれません。
しかし、芸術というものは、それが一度生み出されて人々の中に投げ込まれれば、作曲家の思いから離れて人々が求めるような受け入れ方をされることを拒むことはできません。シベリウスの思いがどこにあろうと、カヤヌスを初めとしたフィンランドの人々がこの作品に自らの独立への思いを代弁するものとしてとらえたとしても、それを否定することはできないと思います。

この作品は第1番の初演が大成功で終わるとすぐに着手されたようですが、本格的取り組まれたのはアクセル・カルペラン男爵の尽力で実現したイタリア旅行においてでした。
この作品の中に横溢している牧歌的で伸びやかな雰囲気は、明らかにイタリアの雰囲気が色濃く反映しています。さらに、彼がイタリア滞在中にふれたこの国の文化や歴史もこの作品に多くのインスピレーションを与えたようです。よく言われるのは第2楽章の第1主題で、ここにはドンファン伝説が影響を与えていると言われています。
しかし、結局はイタリア滞在中にこの作品を完成させることができなかったシベリウスは、フィンランドに帰国したあとも精力的に作曲活動を続けて、イタリア旅行の年となった1901年の末に完成させます。
一度聞けば誰でも分かるように、この作品は極めて少ない要素で作られています。そのため、全体として非常に見通しのよいすっきりとした音楽になっているのですが、それが逆にいささか食い足りなさも感じる原因となっているようです。その昔、この作品を初めて聞いた私の友人は最終楽章を評して「何だかハリウッドの映画音楽みたい」とのたまいました。先入観のない素人の意見は意外と鋭いものです。
正直言うと、ユング君は若い頃はこの作品はとても大好きでよく聴いたものですが、最近はすっかりご無沙汰していました。やはり、食い足りないんですね。皆さんはいかがなものでしょうか?

徹底的に凝縮させている


トスカニーニよるこのシベリウスの交響曲の録音を初めて聞いたときは「こりゃ、駄目だ」と思ったものでした。まず何よりもオーケストラの響きがやせ細っていて、おまけに早めのテンポでエッジ感を感じるほどにリズムを際だたせていました。これじゃ、まる骸骨のダンスだなと言うのが正直な感想でした。
しかし、その後その認識は大きな誤りであることに気づかされました。ただし、その誤りの原因は「私の耳」にあるのではなくて、そう言う粗悪な音質でレコードを販売していた「RCA」に責任がありました。

RCAは1953年に初めて商業用のステレオ録音をリリースしてから黄金時代をむかえ、それは60年代の初めまで続きました。おそらく、その時期に作られたレコードの録音クオリティは一つの頂点を築いたものだったと言えるほどです。しかし、60年代も中頃を過ぎるとその勢いは失われ、録音的にも凋落の一途を辿りました。
そして、そう言う凋落のもとで多くのトスカニーニの録音が国内盤として発行され、その結果が上で述べたような「骸骨のダンス」になってしまったのです。

しかしながら、デジタルの時代に入って良質な復刻盤が出回り、本来の録音された音で聞いてみれば印象は全く変わったものになってしまったのです。
シベリウスの交響曲も本来はあんな痩せた響きではなくて、引き締まってはいてもその上に美しい筋肉をまとった響きであったことを知らされました。そして、そう言う響きで聞いてみると、何故にトスカニーニがかくも速いテンポでリズムを際だたせたのかも、その理由はすぐに了解できました。

シベリウスの初期の交響曲は構成的な弱点を持っているというのはよく言われることで、この第2番も美しいメロディと北欧的な雰囲気は魅力的なのですが、交響曲としてみればいささか緩いと言わざるを得ません。そう言う、緩さに対してトスカニーニは徹底的に渇を入れているのです。
つまりは、早めのテンポと強烈なリズム感によってこの交響曲を徹底的に凝縮させ、その事によってまるでこれがいささかガタイの大きい古典派の交響曲であるかのように仕立て直しているのです。
まあ、古典派の交響曲というのは言い過ぎかもしれませんが、それでもここまで凝縮されたシベリウスの交響曲は珍しいでしょう。

そしてこれは「Studio 8H」から中継された一発勝負のライブ録音だというのですから驚きます。
この凝縮をライブで破綻なく演奏するというのは、リハーサルでどれほど締め上げたことかと、あれこれと恐ろしい場面が脳裏をよぎります。

ただし、「ポヒョラの娘」は「トゥオネラの白鳥」交響詩と言うこともあって、そこまで締め上げてはいません。しかし、実にスッキリとした演奏で、そのスッキリ感が北欧的な雰囲気と何処か上手く結びついているように感じられます。また、「ポヒョラの娘」では極限ともいえるほどの弱音部の表現にも凄いものがあります。

それから、戦後になってから有名作品の「フィンランディア」を残してくれています。
それは、40年の録音と比べればかなりゆったりした感じの演奏にはなっているのですが、それでもこの作品をトスカニーニ&NBC交響楽団で聞けるのは幸せです。ちなみに、こちらは「カーネギー・ホール」でのライブ録音のようです。

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