クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

バッハ:ブランデンブルク協奏曲第5番ニ長調 BWV1050

シモン・ゴールドベルク指揮&ヴァイオリン:オランダ室内管弦楽団 (flute)ヒューベルト・バルワーザー,ハンス・ボル (Harpsichord)ヤニー・ファン・ウェリング 1958年5月4日~11日録音





Johann Sebastian Bach:Brandenburg Concerto No.5 in D major, BWV 1050 [1.Allegro]

Johann Sebastian Bach:Brandenburg Concerto No.5 in D major, BWV 1050 [2.Affettuoso]

Johann Sebastian Bach:Brandenburg Concerto No.5 in D major, BWV 1050 [3.Allegro]


就職活動?

順調に見えたケーテン宮廷でのバッハでしたが、次第に暗雲が立ちこめてきます。楽団の規模縮小とそれに伴う楽団員のリストラです。

バッハは友人に宛てた書簡の中で、主君であるレオポルド候の新しい妻となったフリーデリカ候妃が「音楽嫌い」のためだと述べていますが、果たしてどうでしょうか?
当時のケーテン宮廷の楽団は小国にしては分不相応な規模であったことは間違いありませんし、小国ゆえに軍備の拡張も迫られていた事を考えると、さすがのレオポルドも自分の趣味に現を抜かしている場合ではなかったと考える方が妥当でしょう。

バッハという人はこういう風の流れを読むには聡い人物ですから、あれこれと次の就職活動に奔走することになります。

今回取り上げたブランデンブルグ協奏曲は、表向きはブランデンブルグ辺境伯からの注文を受けて作曲されたようになっていますが、その様な文脈においてみると、これは明らかに次のステップへの就職活動と捉えられます。
まず何よりも、注文があったのは2年も前のことであり、「何を今さら?」という感じですし、おまけに献呈された6曲は全てケーテン宮廷のために作曲した過去の作品を寄せ集めた事も明らかだからです。
これは、規模の小さな楽団しか持たないブランデンブルグの宮廷では演奏不可能なものばかりであり、逆にケーテン宮廷の事情にあわせたとしか思えないような変則的な楽器編成を持つ作品(第6番)も含まれているからです。

ただし、そういう事情であるからこそ、選りすぐりの作品を6曲選んでワンセットで献呈したということも事実です。


  1. 第1番:大規模な楽器編成で堂々たる楽想と論理的な構成が魅力的です。

  2. 第2番:惑星探査機ボイジャーに人類を代表する音楽としてこの第1楽章が選ばれました。1番とは対照的に独奏楽器が合奏楽器をバックにノビノビと華やかに演奏します。

  3. 第3番:ヴァイオリンとヴィオラ、チェロという弦楽器だけで演奏されますが、それぞれが楽器群を構成してお互いの掛け合いによって音楽が展開させていくという実にユニークな作品。

  4. 第4番:独奏楽器はヴァイオリンとリコーダーで、主役はもちろんヴァイオリン。ですから、ヴァイオリン協奏曲のよう雰囲気を持っている、明るくて華やかな作品です。

  5. 第5番:チェンバロが独奏楽器として活躍するという、当時としては驚天動地の作品。明るく華やかな第1楽章、どこか物悲しい第2楽章、そして美しいメロディが心に残る3楽章と、魅力満載の作品です。

  6. 第6番:ヴァイオリンを欠いた弦楽合奏という実に変則な楽器編成ですが、低音楽器だけで演奏される渋くて、どこかふくよかさがただよう作品です。


どうです。
どれ一つとして同じ音楽はありません。
ヴィヴァルディは山ほど協奏曲を書き、バッハにも多大な影響を及ぼしましたが、彼にはこのような多様性はありません。
まさに、己の持てる技術の粋を結集した曲集であり、就職活動にはこれほど相応しい物はありません。

しかし、現実は厳しく残念ながら辺境伯からはバッハが期待したような反応はかえってきませんでした。バッハにとってはガッカリだったでしょうが、おかげで私たちはこのような素晴らしい作品が散逸することなく享受できるわけです。

その後もバッハは就職活動に力を注ぎ、1723年にはライプツィヒの音楽監督してケーテンを去ることになります。そして、バッハはそのライプツィヒにおいて膨大な教会カンタータや受難曲を生み出して、創作活動の頂点を迎えることになるのです。

意外と知られていない指揮者としての活動


シモン・ゴールドベルクの生涯ほど波乱に満ちたものはないでしょう。
わずか16歳でドレスデン・フィルのコンサートマスターに就任し、さらにわずか20歳にしてフルトヴェングラーからスカウトされてでベルリン・フィルのコンサートマスターに就任するのです。しかし、ナチスが台頭してくると1934年にはそのベルリン・フィルから追い出され、その後はソリストとして活躍していくことになります。
そして、1942年にはアジアへの演奏旅行の途中で日本軍の捕虜となってインドネシアで抑留されてしまいます。
まさに、戦争に翻弄された前半生でした。

しかし、抑留生活で衰えた演奏技術を回復するために1年間のブランクが必要だったものの1947年の秋からソリストとしての活動を再開します。そして、その活動は世界中に広がるのですが、ドイツでの演奏活動だけは最後まで拒否し続けました。
そんなゴールドベルグに一つの転機となったのが、オランダ政府から要請されてオランダ室内楽団の音楽監督としての役割を引き受けたことでした。
一般的に、ソリストが指揮者に転向すると言うことはよくある話なのですが、そう言うときはほとんどソリストとしての活動を止めてしまうことが多いのです。口の悪い連中になると、例えばウィーン・フィル史上最高のコンサート・マスターと讃えられたワルター・ヴェラーが指揮者に転向したときなどは、オケの団員達から「毎日ヴァイオリンの練習をするのが嫌になったのだろう」とか「楽して音楽家人生を送ろうとしたんじゃないか」などと陰口をたたかれたらしいです。

話はいささか横道にそれますが、このヴェラーがヴァイオリン奏者としての役割を投げ出したことはウィーン・フィルのみならず、とりわけ室内楽を中心としたウィーンの音楽的な伝統を継承していく上で埋めがたい穴を生じさせた事は事実です。そして、指揮者に転向してからの活動も今ひとつパッとしなかっただけに、結果としては実に残念なことになってしまったようです。

それに対して、ゴールドベルクはオランダ室内楽団の音楽監督という重職を担いながらも、ヴァイオリニストとしての活動をやめることはありませんでした。そして、その活動を停止することになったのは長年連れ添った妻が病に倒れてその介護に専念するためでした。
それは彼の音楽を愛するものたちにとってはこの上もなく残念なことだったのですが、理由がそう言うことであれば誰もが納得をしないわけにはいかず、逆にその潔さに多くの人は感動したのでした。

しかし、その妻が亡くなると彼は再び音楽家としての活動を再開し、晩年は日本人のピアニストだった山根美代子と1988年に再婚し、さらには居を日本に据えて日本での音楽活動を亡くなる1992年まで続けることになります。
ゴールドベルク自身は山根美代子との再婚を「私は日本人に生涯2度、つかまった」と語っていたようです。いわゆる、ブラック・ジョークという奴でしょう。

と言うことで、いささか駆け足ながらゴールドベルグの生涯を概観したのですが、その概略を眺めるだけで、彼が音楽においても、そして人間としても20世紀を代表する「巨人」であったことが分かります。
そして、そんな彼の音楽的業績の中でも、オランダ室内楽団での指揮者としての活動があまり光が当てられていないことに気づかされました。彼は、この楽団の音楽監督を22年間にわたって務めたのですが、その録音を耳にする機会はそれほど多くはありません。
私たちにとって、ゴールドベルクは何処までいっても偉大なヴァイオリニストであり、指揮者としてのイメージはあまりわいてこないのです。さらに言えば、ゴールドベルクは録音という行為はあまり好きではなかったようで、この指揮者としての録音もそれほど多くないようです。
ですから、こういうサイトの役割としては、そう言う光のあまり当たっていないところに注目するのは大切なことではないかと思い、まずは彼が最も得意としていたバッハの作品から紹介することにしました。

しかしながら、このゴールドベルクとオランダ室内楽団との録音はあまり知名度は高くないようです。
おそらく、その理由として、ほぼ同時期にカール・リヒターによる録音がリリースされたことが考えられます。

この両者の演奏を較べるとその違いは際だっています。
リヒターの方は今さら言うまでもなくポリフォニックな人だったバッハの特長を徹底的に追求した演奏であり、ブランデンブルグ協奏曲のような作品であっても「峻厳なバッハ」の姿が刻み込まれています。
それに対して、ゴールドベルクの演奏はかつての巨匠達のような「大トロ」のバッハではありませんが、それでもリヒターと比べればより愉悦感に満ちたバッハの姿を描き出しています。

そして、時代は明らかに「峻厳なバッハ」を求めていました。とりわけ、リヒターを中心とした「新しいバッハ像」の提示はその時代の人々に大きな驚きと喜びをもたらし、かつての巨匠達の手になるバッハは過去のものとなっていきました。そう言う時代状況の中にこのゴールドベルクの演奏をおいてみれば、当時の人々はこの演奏をどっちつかずの中途半端な演奏と感じたとしても仕方がありません。

しかしながら、それから時代は流れて、様々なバッハ演奏が展開されていきました。その様な多様なバッハ解釈の洗礼を受けた耳からこのゴールドベルクの演奏を聴き直してみれば、それぞれの楽曲で活躍するソロ楽器に最大限に配慮し、その魅力を積極的に引き出そうとするゴールドベルクの解釈は、峻厳さだけでないバッハの姿として十分すぎるほどに説得力を持つものになっています。
そして、それは自らもヴァイオリニストとしての活動をやめなかったが故に、そう言うソリストの腕前と魅力が十分に発揮できるような配慮がごく自然に出来たのかもしれません。

ただし、そうだからと言って、この演奏はうわべの美しさだけを狙ったものではなくて、その底にはゴールドベルクならではのバッハ像が貫かれています。
このブランデンブルグ協奏曲というのは譜面面だけを追った演奏だと、それはどこか「BGM」のような音楽に聞こえてしまうと言う性格を持っています。このゴールドベルクによるバッハはそういう「BGM」的な音楽からはリヒターと同じくらいに離れた位置にあることは聞けば誰でも分かるはずです。

そう言えば、晩年にNHKからのインタビューの答えて次のようなことを語っていました。
教会の建設に携わる石工の意識には2通りある。「石を積んでいる」と「大聖堂を建てている」。音楽家はもちろん、後者であるべきだ。

クラシック音楽の衰退が嘆かれる昨今ですが、多くの音楽家はこの言葉をもう一度噛みしめる必要があるのかもしれません。

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