クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番ハ短調 , K.491

(P)ラルフ・カークパトリック:ジェレイント・ジョーンズ指揮 ジェレイント・ジョーンズ管弦楽団 1956年8月7日~9日録音





Mozart:Concerto No.24 In C Minor For Piano And Orchestra, K.491 [1.Allegro]

Mozart:Concerto No.24 In C Minor For Piano And Orchestra, K.491 [2.Larghetto]

Mozart:Concerto No.24 In C Minor For Piano And Orchestra, K.491 [3.(Allegretto)]


今まで聞いたことがないような深遠な美しさ

モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番ハ短調 , K.491
モーツァルトのピアノ協奏曲の中では、この作品だけは特別な位置を占めています。同じ短調で書かれたコンチェルトと言うことで、この作品は K.466のニ短調ソナタとセットで語られることが多いのですが、その中味は全く異なります。
確かに、ニ短調のコンチェルトではモーツァルトは大きな飛躍を果たすのですが、その飛躍は結果として最終楽章のアレグロのロンドによって今までの約束事の範疇に押し返されます。つまりは、それは結果として「短調でコンチェルトを書いてみる」という趣向の枠の中に押し込まれてしまったのです。

そして、その後もモーツァルトは緩徐楽章を短調で書くという試みを22番や23番のコンチェルトでも行っているのですが、それもまた一つの「趣向」の域を出る者ではありませんでした。
ところが、このハ短調のコンチェルトにおいては、モーツァルトは何かの情動に突き動かされるように、聞き手への慰めなどは捨て去った短調の世界を最後まで貫いてしまうのです。しかし、この作品はウィーンのプルク劇場において、モーツァルトが収入を得るために開いた演奏会で演奏された事はほぼ間違いなく、この嵐のような激情の世界を多くの聞き手は受け入れたようなのです。

それから、この作品のオーケストラの編成はモーツァルトの協奏曲の中では最も規模の大きなものとなっています。それは、見方を変えればピアノ独奏付きの交響曲のような外観を呈しています。

第1楽章の嵐のような激情はニ短調のコンチェルトのように最後は美しい青空に向かって走り抜けることはなく、続く緩徐楽章でも木管楽器を中心として愁いの影を消すことはないのです。そして、聞き手の多くは最終楽章でこそは気分を一新してくれることを期待したのでしょうが、始まるのは再び重々しいハ短調による変奏曲だったのです。
おそらく、耳の肥えた「身分の高い人たち」の中には、そこに今まで聞いたことがないような深遠な美しさを感じた人もいたでしょうが、さすがにこれにはつき合いきれないと劇場をあとにした人もいたことは否定できないでしょう。

それにしても、不思議に思うのは「何」がモーツァルトを突き動かしてこのような作品が生まれ出たのでしょうか。
モーツァルトのような作曲にとって実生活のあれこれの出来事と作品を結びつけるのは全くもって正しくありません。しかし、おそらくは、そう言う生活における「具体」的な出来事ではなくて、例えば芥川龍之介が「漠然とした不安」に駆られて自殺をしたような感情に近いものがあったのかもしれません。
それは、おそらくは政治的なことに関してはまったく疎いモーツァルトだったと思うのですが、その鋭敏な感性は時代が大きく動こうとしていることを深く感じとっていたのかもしれません。そして、その鋭敏な感性が感じとったある種の「不安」のような者を五線譜に向かって書き込んでいく内にこのような世界が立ちあらわれたのではないでしょうか。

最近の研究によると、この自筆スコアにはモーツァルトとは思えないような苦闘のあとが刻み込まれていることが分かってきました。それは、自筆譜と言っても殆ど浄書されたような外観を呈するモーツァルトにしては極めて珍しいことであり、とりわけ最終楽章の第3変奏では幾つかの草稿譜が書き並べられているだけで決定稿には達していないのです。その創作に苦闘する姿は、彼に続くベートーベンの作曲スタイルを想起させるものです。

そして、それ故に、19世紀にはいるとこの作品だけが大きく評価され、そのロマン主義好みの評価軸によって彼の協奏曲全体が次第に評価されることに事につながっていくのです。
確かに、モーツァルトの協奏曲の中で1曲選べと言われれば多くの人はこのハ短調コンチェルトを選ぶでしょう。しかし、それを基準とすることで、取り分け初期、中期の作品群を軽視する誤りは避けなければならないでしょう。
今回、クラウスの演奏で彼のコンチェルトを少年時代の作品から順番に聞き通すことでその事強く感じることが出来たのは、私にとっては大きな収穫でした。

ウィーン時代後半のピアノコンチェルト



  1. 第20番 ニ短調 K.466:1785年2月10日完成

  2. 第21番 ハ長調 K.467:1785年3月9日完成

  3. 第22番 変ホ長調 K.482:1785年12月16日完成

  4. 第23番 イ長調 K.488:1786年3月2日完成

  5. 第24番 ハ短調 K.491:1786年3月24日完成

  6. 第25番 ハ長調 K.503:1786年12月4日完成


9番「ジュノーム」で一瞬顔をのぞかせた「断絶」がはっきりと姿を現し、それが拡大していきます。それが20番以降のいわゆる「ウィーン時代後半」のコンチェルトの特徴です。
そして、その拡大は24番のハ短調のコンチェルトで行き着くところまで行き着きます。
そして、このような断絶が当時の軽佻浮薄なウィーンの聴衆に受け入れられずモーツァルトの人生は転落していったのだと解説されてきました。

しかし、事実は少し違うようです。

たとえば、有名なニ短調の協奏曲が初演された演奏会には、たまたまウィーンを訪れていた父のレオポルドも参加しています。そして娘のナンネルにその演奏会がいかに素晴らしく成功したものだったかを手紙で伝えています。
これに続く21番のハ長調協奏曲が初演された演奏会でも客は大入り満員であり、その一夜で普通の人の一年分の年収に当たるお金を稼ぎ出していることもレオポルドは手紙の中に驚きを持ってしたためています。

この状況は1786年においても大きな違いはないようなのです。
ですから、ニ短調協奏曲以後の世界にウィーンの聴衆がついてこれなかったというのは事実に照らしてみれば少し異なるといわざるをえません。

ただし、作品の方は14番から19番の世界とはがらりと変わります。
それは、おそらくは23番、25番というおそらくは85年に着手されたと思われる作品でも、それがこの時代に完成されることによって前者の作品群とはがらりと風貌を異にしていることでも分かります。
それが、この時代に着手されこの時代に完成された作品であるならば、その違いは一目瞭然です。

とりわけ24番のハ短調協奏曲は第1楽章の主題は12音のすべてがつかわれているという異形のスタイルであり、「12音技法の先駆け」といわれるほどの前衛性を持っています。
また、第3楽章の巨大な変奏曲形式も聞くものの心に深く刻み込まれる偉大さを持っています。

それ以外にも、一瞬地獄のそこをのぞき込むようなニ短調協奏曲の出だしのシンコペーションといい、21番のハ長調協奏曲第2楽章の天国的な美しさといい、どれをとっても他に比べるもののない独自性を誇っています。
これ以後、ベートーベンを初めとして多くの作曲家がこのジャンルの作品に挑戦をしてきますが、本質的な部分においてこのモーツァルトの作品をこえていないようにさえ見えます。

非常に珍しいピアノを演奏するカークパトリック


これは実に珍しい録音です。
何故ならば、カークパトリックがチェンバロではなくてピアノを演奏して録音しているからです。考えてみれば、モーツァルトはピアノのための協奏曲を書いたのですから、それをわざわざチェンバロで演奏するのはおかしな話なのですから、彼がピアノを使って演奏しているのは当然と言えば当然のことです。
ですから、私が不思議に思ったのは、どうして師であるランドフスカの遺志を引き継いでチェンバロの復興にその人生を捧げた人物が、どうしてピアノで演奏することを前提としたモーツァルトの作品を取り上げて録音までしたのかと言うことです。

そう言えば、指揮を務めているジェレイント・ジョーンズと言う人物についても全く知識がなかったのですが、調べてみると彼ももとはチェンバロ奏者であり、その後自らの楽団を組織して指揮活動も行うようになった人物のようです。最初はバロック音楽を中心とした指揮活動を行い、フラグスタートやシュヴァルツコップなどとグルックやパーセルなどの優れたバロック・オペラの録音などを残しています。

そして、その後は次第に時代を遡っていったのはもしかしたらリヒターなどと同じかもしれませんが、60年代にはスティーヴン・ビショップとモーツァルトのピアノ協奏曲の全曲演奏会なども行っています。

おそらく、カークパトリックにしてもジェレイント・ジョーンズにしても、チェンバロ演奏というムーブメントの中においてみれば、荒野に道を切り開いていったランドフスカたちの世代と、後のピリオド演奏へとつながっていく60年代以降の新しい世代とのつなぎ目に位置する存在です。
それは、ランドフスカなどには未だ残っていた19世紀的なロマン主義とは完全に手は切っていたものの、使用する楽器の問題で試行錯誤を繰り返さざるを得ない時期でした。
そして、世間的に言えば、未だにチェンバロ奏者というのはピアニストになり損なった鍵盤楽器奏者という偏見が色濃く残っていました。

穿った見方かもしれませんが、この二つのモーツァルト録音は少なくとも「ピアニストになり損なった鍵盤楽器奏者」という偏見を打ち破るための行為だったのかもしれないと感じてしまいます。
実際、カークパトリックはその様な存在ではありませんでしたし、楽曲を深く研究し解釈する能力においては飛び抜けた能力を持っていました。そして、その能力を技術面においても作品解釈の面においても、凡百のピアニストとと較べればはるかに勝っていることを一度は証明しておこうとして、ともにチェンバロ奏者だったジェレイント・ジョーンズと組んでものモーツァルトを録音したのかもしれません。

そして、もしかしたらこの録音が一つの切っ掛けとなって、ジェレイント・ジョーンズ自身にとっても後のピアノ協奏曲の全曲演奏につながっていったのかもしれません。
ただし、ピアノ演奏ならばわざわざカークパトリックを選ぶ必要はないこともまた事実であることもこの録音ははっきりと証明しています。
このモーツァルト演奏は決して悪い演奏ではありません。もしかしら、例えば24番の協奏曲などはあ。この間紹介してきた最晩年のリリー・クラウスの録音よりも魅力的かもしれません。しかし、言うまでもないことですが、ピアノを使ったモーツァルト演奏ならば光り輝く録音は数多存在する事も事実なのです。

それに対して、チェンバロのための作品をチェンバロで演奏したカークパトリックの演奏と録音は唯一無二のものです。
まあ、それでも、ピアノでも演奏できることを示したかったのでしょうね。おそらくは、そう言う時代だったと言うことでしょうか。

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