クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ドヴォルザーク:4つのロマンティックな小品 Op.75

(Vn)ヴァーシャ・プシホダ:(P)オットー・アルフォンス・グレーフ 1954年録音





Dvarak;Four Romantic Pieces in G minor, Op.75 [1.Allegro moderato]

Dvarak;Four Romantic Pieces in G minor, Op.75 [2.Allegro maestoso]

Dvarak;Four Romantic Pieces in G minor, Op.75 [3.llegro appassionato]

Dvarak;Four Romantic Pieces in G minor, Op.75 [4.Larghetto]


天性のメロディー・メーカーの本領が発揮された作品

ドヴォルザークが精力的に作曲活動を行っていた時期の作品である「弦楽三重奏曲第1番」を、ピアノとヴァイオリンのための二重奏曲に編曲したのがこの「4つのロマンティックな小品 Op.75」です。
弦楽三重奏曲の方は1887年の1月のはじめに完成させ、その月の中旬にアマチュアのカルテットによって初演されたのですが、そのすぐあとの25日にはこの二重奏曲に編曲しています。そして、今ではもとの三重奏曲の方はほとんど演奏される機会はないのですが、この編曲の方は、ドヴォルザークのヴァイオリン曲の中では最も取り上げられる機会の多い作品になっています。

言ってみれば本家は廃れたものの、分家の方は栄えたみたいな感じでしょうか。そして、その背景には、ヴァイオリンの歌う楽器としての特徴を最大限に発揮させながら、それぞれの4曲の性格が分かりやすいと言うことが上げられるでしょう。
ドヴォルザークは、この編曲版に関しては以下のようなタイトルをつけるつもりでした・

  1. 第1曲;「カヴァティーナ」

  2. 第2曲;「カプリッチョ」

  3. 第3曲;「ロマンス」

  4. 第4曲;「ラルゴ」もしくは「エレジー」


しかし、出版に際しては、最終的にそのタイトルは破棄され、「Allegro moderato」のような速度指定だけしか記しませんでした。

その理由は本人が何も語っていないので想像するしかないのですが、実際にこの作品を聞いてみれば、最初にドヴォルザークがつけたタイトルは、第4曲を「エレジー」とすれば見事なまでにツボにはまったタイトルになっています。もしかしたら、そのあまりの分かりやすさをが演奏者の手を逆に縛ってしまうことを懸念したのかもしれません。
第1曲と第3曲はその美しい旋律が魅力的ですし、まさにヴァイオリンの歌う特徴が存分に発揮できます。第2楽章は奔放さが溢れた舞曲になっていますし、最後の締めくくりは哀愁に満ちたヴァイオリンを繊細なアルペッジョが見事な彩りをそえています。

小品ではあるのですが、創作力に溢れていた時期の天性のメロディー・メーカーの本領が発揮された作品だといえます。

妖艶な響きが魅力的


プシホダは50年代にはいると急激に衰えたと言われています。しかし、こういう録音を聞いてみると、事はそれほど単純ではないように思います。
あれこれ聞いていて気づいたのは、50年代における変化というのは技術的な衰えが大きな原因ではなくて、演奏家としてどういう方向を目指すのかという根本的なところで迷いが生じたのが最大の原因だったように思えるからです。

その背景には「天性の芸人」であったプシホダが、やがて大きな演奏会場で上品な人たちを相手に演奏会を行うようになるにつれて、彼自身が「変わらなければいけない」と思うようになったことが原因だったのかもしれません。そして、そう言う傾向はすでに30年代頃から見え隠れしていました。
典型的なのは35年に録音したサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」です。そこでは、20年代の奔放な芸人魂は後退して、何処か作品をスッキリと整理しようとする意識がはっきりと表れていました。そして、それと同じくしてプシホダの人気は凋落していくことになります。

もっとも、それだけでなく、妻のアルマ・ロゼ(マーラーの姪)を離婚したことが「プシホダはナチに魂を売って離婚した」と噂されたことも大きく影響したのかもしれません。どう考えても、この35年の「ツィゴイネルワイゼン」はプシホダにとっては不本意な演奏であることは間違いありません。

しかし、戦後にはいると、彼は己の芸人としての持ち味も生かしながら、それなりの芸術家として認められるような地点を探るようになります。そう言うときに、彼にとってピッタリだったドイツ・オーストリア系のクラシックではなくて、その周辺に位置するドヴォルザークやチャイコフスキーのような作曲家が持つロマンティシズム溢れる作品でした。

そして、そこでは芸人魂が炸裂した「麻薬」的な魅力は失ったものの、そこにいささかの芸術的なロマンティシズムを持ち込むことで「妖艶」な響きを手に入れることが出来ました。そして、そう言う響きで演奏されるドヴォルザークやチャイコフスキーの音楽は、他に変わるものを見いだすのが難しいほどの独自の魅力を放つことになります。

おそらく、これに近い魅力を放つヴァイオリニストはイダ・ヘンデルあたりでしょうか。
ミルシテインやオイストラフも、さらにはフランチェスカッティなども「美音系」のヴァイオリニストですが、プシホダはそう言う「美音系」とは全く異なるヴァイオリニストでした。もっとも、ミルシテインもオイストラフもフランテェスカッティにもそれぞれの個性があって、それらを「美音系」などと言う言葉では一括りに出来ないのは当然なのですが、プシホダの「美音」はそう言う「美音」とも隔たりがより大きいと言うことです。

そう言うプシホダの魅力が一番表れているのがドヴォルザークやチャイコフスキーの協奏曲であり、さらにドヴォルザークで言えば「ソナチネ」や「4つの小品」、チャイコフスキーで言えば「憂鬱なセレナード」あたりがあげられるでしょう。おそらく、プシホダはそのあたりの周辺部分の音楽から「芸人」から「芸術家」への道を探ろうとしたのかもしれませんし、それは賢明な選択肢であったともいえます。
それほどに、それらの演奏は他にかえがたい「妖艶」さが漂っていました。

しかし、プシホダにとって不幸だったのは、時代はそう言う「妖艶」な音楽から「即物的」な音楽が評価される時代に変わりつつあったことです。
本当のところは本人に聞いてみなければ分からないのでしょうが、そこでまた彼はもう一歩踏み出そうとしたのかもしれません。
それが、彼のプログラムにバッハやモーツァルトのようなドイツ・オーストリア系の音楽を選びはじめ事に表れていることは間違いありません。
そして、ヴァイオリンの音色もそれに合わせて変えていこうとしたのか、それとも多くの人が指摘するように彼の技量が急激に落ちていったのかは分かりませんが、結果として芳しいものにはなりませんでした。

しかし、そのあたりのことは、バッハやモーツァルトの録音を取り上げるときにじっくりと考えてみたいと思います。

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