クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ラヴェル:ツィガーヌ

(Vn)ルッジェーロ・リッチ:エルネスト・アンセルメ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団 1959年3月録音





Ravel:Tzigane


パガニーニよりも難しい音楽を書いてやる

ラヴェルという人は基本的に職人肌の人ですから、この作品もまたジプシーの音楽をもとにしたと言うだけでなく、ヴァイオリンという楽器の技巧を極限まで追求するような音楽に仕上がっています。ただ、彼の持ち味はピアノの方に相応しかったようで、例えば「夜のガスパール」のような具合に仕上がっているかと言われると少しばかり疑問は残ります。
聞いてみれば分かるとおり、ヴァイオリンのテクニックは存分に味わえるのですが、スイスの時計職人とも称されたラヴェルらしい味わいには乏しいような気がします。もう少し分かりやすく言えば、何となくラヴェルらしくない音楽に仕上がってしまってるのです。

ただし、冒頭の長いヴァイオリン独奏なんかを聴くと、ヴァイオリニストにとっては怖い音楽だろうな・・・とは思います。
ここで外したら目も当てられません。
その後は重音奏法は言うに及ばず、重音トレモロ、ハーモニクス(フラジオレット)等のオンパレードです。

おそらくこういう音楽を書こうとした背景には、パガニーニの影響(おそらく、カプリッチョ)があるだろうと推測されます。
そう言えば、「夜のガスパール」はバラキレフの「イスメライ」に対抗して、より華やかでより難しい音楽を書こうとしたものだと言われています。
ただ少しばかり違うのは。「夜のガスパール」がラヴェルの分身のような音楽になっているに対して、ツジガーヌの方は何となくラヴェルらしくないと思ってしまうのです。

なお、この作品は、本来はヴァイオリンとピアノ・リュテラルというジプシー音楽のための楽器で演奏されます。ピアノ・リュテラルは、どちらかと言えばチェンバロに似た音色を持っているので、これをピアノで伴奏すると少しばかり雰囲気が違ってしまうようです。
ただし、ピアノ・リュテラルなんて言う楽器は簡単には用意できませんから、一般的にはピアノで伴奏されます。

さすがにそれでは不味いとラヴェルも思ったのか、その後彼自身の手によって管弦楽伴奏にも編曲されています。そこでは、ピアノ・リュテラルのアルペッジョがハープに、同音の連打がピッコロなどのトリルなどに置き換えられていて、さすがラヴェルは上手いもんだと感心させられます。

研ぎ澄まされたスタイルではなくて、どこか人肌に触れる情感が前面に出ている演奏


リッチと言えば神童としてもてはやされ(1928年にわずか10歳でデビュー)、その後は難曲として有名なパガニーニの「24のカプリース(奇想曲)」を初録音して、パガニーニのスペシャリストとして名を馳せました。そして、驚くべき事に2003年まで第一線の演奏家として活躍を続け、2012年にこの世を去りました。
最晩年はまさに生ける「音楽史」とも言うべき存在でした。

何しろ、世界大恐慌の前年に演奏家としてのデビューを果たし、その後世界大戦と朝鮮・ベトナムの両戦争のみならず、湾岸戦争からリーマン・ショックまで経験をしたというのですから、凄いものです。
ウィキペディアによると、その間に「65カ国において6000回以上の演奏会と、さまざまなレーベルから500点以上の録音を制作してきた」らしいです。

しかし、リッチの不幸は、そんな彼の少し前をハイフェッツという巨人が歩いていたことでしょう。
ハイフェッツは「7歳でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏し、デビューを果たした」というリッチ以上に早熟の天才であり、わずか16歳の年(1917年)にアメリカデビューを果たし、さらにはロシア革命に伴って1925年にはアメリカの市民権を得て活動の本拠地とします。
リッチは、まさにそんなハイフェッツの背中を見ながら音楽活動を展開しなければならなかったのです。

確かにリッチは、パガニーニのスペシャリストとして評価されました。
しかし、例えば、同時代に録音されたブルッフの第1番の協奏曲などを聞き比べてみれば、残念ながらリッチにはハイフェッツの凄味はありません。リッチが得意としたサラサーテやサン=サーンスの小品でも、その他大勢のヴァイオリニストと比べれば素晴らしい技巧の冴えを感じさせてくれますが、悲しいことに、その土俵こそはハイフェッツの独擅場でした。

そこで、おそらく、この頃からリッチは己の方向性を変え始めたのではないかと思います。
ハイフェッツのような技巧の冴えを前面に押し出し、強い緊張感をもって作品を構築していくのではなくて、独特の歌い回しで深い情感を描き出していく方向への転換です。
そして、その事は成功していると思います。

シュトラウスのヴァイオリン・ソナタやヒンデミット、プロコフィエフの無伴奏ソナタなどを聞くと、かつてのような研ぎ澄まされたスタイルではなくて、どこか人肌に触れる情感が前面に出てきています。
また、ラロのスペイン交響曲やラヴェルのツィガーヌなどでは、その方向転換は実に上手く言っているように聞こえます。

スペイン交響曲ではアンセルメの伴奏はかなりソリッドな方向にふれているのですが、リッチはそれに煽られることなく、確かなテクニックに裏打ちされながらも情感豊かに歌い上げています。ツィガーヌの前半で、延々と続くヴァイオリンのソロにおいても、やろうと思えなもっと切れ味鋭く演奏できると思うのですが、それはもう封印したよという雰囲気が伝わってくるのです。

ですから、ハイフェッツの録音を聞いた後に、同じ作品をリッチのヴァイオリンで聴き直すと、そう言う人肌に触れる情感が非常に好ましく心に届いてきます。
しかしながら、2012年まで長生きしたにもかかわらずリッチは多くの人の記憶から消え去りつつあるのに、ハイフェッツは亡くなってから30年もの時間が流れ去ったにもかかわらず、未だに巨人としての姿を誇示しています。

確かにリッチの演奏は好ましく思えます。
確かなテクニックに裏打ちされた上で深くて豊かな情感にあふれたヴァイオリンの響きは非常に魅力的です。
しかし、私たちは、その後の50年において、これにかわる多くのヴァイオリニストと出会うことができました。かわりうる存在があれば、古いものは忘れ去られていくのはやむを得ないことなのです。

しかし、ハイフェッツは未だに孤高の存在です。
音楽教育が高度に発展し、幼少期からのエリート教育が充実して演奏家のテクニックは飛躍的に向上しました。
しかし、それでもなお、ハイフェッツは特別な存在です。
おかしな話ですが、リッチという鏡に映してみることでハイフェッツという存在の大きさを知るのです。

しかしながら、ここで聴くことのできるリッチの録音は、そう言うハイフェッツの重圧を克服していったもう一人の不幸な天才の苦闘の歴史とも言えるのです。
そして、この時代に、彼なりのやり方でハイフェッツと言う特別な存在に絡め取られることなくやり過ごしたことで、「生ける音楽史」と言えるほどの長い活動ができたのです。

この時代に、それをやり過ごすことが出来ず、そのキャリアを絶ってしまった数多くの若き天才ヴァイオリニストを思い出せば、やはりリッチは偉大な存在だったのです。

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