クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ベートーベン:ピアノ・ソナタ第14番「月光」 嬰ハ短調 Op.27-2

(P)クラウディオ・アラウ 1962年6月録音





Beethoven:Piano Sonata No.14 in C-sharp minor, Op.27-2 "Moonlight" [1.Adagio sostenuto]

Beethoven:Piano Sonata No.14 in C-sharp minor, Op.27-2 "Moonlight" [2.Allegretto - Trio ]

Beethoven:Piano Sonata No.14 in C-sharp minor, Op.27-2 "Moonlight" [3.Presto agitato]


クラシック音楽における数あるピアノ音楽の中でももっとも有名な作品

「フォルテピアノ」は1700年にパドヴァのバルトロメオ・クリストファニなるチェンバロ職人によって発明されたとされています。そして、この楽器は長い時間をかけて改良が加えられ、概ね20世紀の初頭には現在のフルコンサートグランドピアノにまで至ります。
その改良点のポイントは、音域の拡大と音量の拡大です。

発明当初は4オクターブにすぎなかった音域は現在のフルコンサートグランドピアノでは倍の8オクターブ近くににまで拡大されています。ちなみに、モーツァルトが使っていた「フォルテピアノ」は5オクターブ、ベートーベンの場合は6オクターブだったと伝えられています。しかし、それに物足りなかったベートーベンは、自分の「フォルテピアノ」では出ない音をしばしば作品の中で使っています。

そんなベートーベンが「フォルテピアノ」の可能性を求めて様々なチャレンジを繰り返している時期に生み出された作品の一つが「ピアノソナタ第14番 嬰ハ短調 作品27-2」、通称「月光ソナタ」です。
ベートーベンの数あるピアノ作品の中でもっとも有名な作品であり、さらに言えばクラシック音楽における数あるピアノ音楽の中でももっとも有名な作品だと言い切っていいでしょう。

  1. 第1楽章:アダージョ・ソステヌート
    左手が執拗に繰り返す3連符は聞き手に催眠効果を与えます。
    演奏する側にとっては、この3連符を安定したリズムで絶え間なく、しかし表に出ることなく控えめに表現し続けることはかなり難しいようです。
    ほんの少しでも右手の幻想的なセンチメンタリズムに影響されてその規則正しい動きが滞ると、音楽はとたんに損なわれてしまいます。譜面づらは非常に優しいのですが、この楽章を正確に演奏できるアマチュアのピアニストは滅多にいません。

    ですから、あなたの友人、もしくは恋人が「月光ソナタ」を弾いてあげると言えば、適当な理由を見つけてお断りすることが賢明です。

  2. 第2楽章:アレグレット
    前の楽章から「アタッカ(楽章/各曲の境目を切れ目なく演奏すること)」で演奏されるべきですが、そうしないピアニストもいます。
    ベートーベンがこの楽章に対して「アレグレット」と指示していて、さらには弟子であったチェルニーも活発な演奏をするようにと主張していたので、その気分転換を聞き手に分かりやすく伝えるためにここで少し間を開けるピにストが少なくないのです。

    しかし、ベートーベンは明確に「アタッカ」でこの楽章にはいるように指示しています。こういう事が起こる背景には、ベートーベンの時代の「アレグレット」が今の時代にイメージされる「アレグレット」よりもかなり遅かったという事実があります。

    音楽は、ここでも依然として憂愁の風情をたたえています。
    ですから、第1楽章のセンチメンタルで幻想的な雰囲気から少し表情を変えてアッタカで入るべきなのです。

  3. 第3楽章:プレスト・アジタート
    「アジタート」とは「激して。興奮して。せき込んで。」という意味です。
    友人はこの楽章のことを「月を見て狂った」と言いました。
    言い得て妙です。

    普通のピアノソナタは第1楽章にソナタ形式の音楽を持ってくるのですが、この「月光ソナタ」では最後の楽章にソナタ形式の音楽が配置されています。
    ですから、このソナタの重点は明らかにこの最終楽章に置かれています。

    ベートーベンの特長は「驀進」です。そして、ピアノソナタの分野ではじめて驀進したのが、意外な感があるかもしれませんが、この「月光ソナタ」においてなのです。
    そして、第1楽章の幻想性と最終楽章の凶暴なまでの驀進とのコントラストにこそ、ベートーベンの凄さを見るべきです。



アラウという人はドイツの「型」を色濃く「伝承」しているピアニストと言えそうです


日本の伝統芸能の世界には「芸養子」なる制度があります。能や歌舞伎の役者に子供がいない場合には、能力がある弟子を実際の子供(養子)として認めて育てていくシステムのことです。
芸事というのは、大人になってから学びはじめては遅い世界なので、芸事の家に生まれた子供は物心が付く前から徹底的に仕込まれることでその芸の世界を次に繋いでいきます。ですから、伝えるべき子供がいないときには、「芸養子」を迎えてその芸を継がせるのです。

アラウという人の出自を見てみると、彼もまた「芸養子」みたいな存在だと思わせられました。
彼は幼くしてリストの弟子であったクラウゼの家に住み込み、そのクラウゼからドイツ的な伝統の全てを注ぎ込まれて養成されたピアニストです。ですから、出身はアルゼンチンですが、ピアニストとしての系譜は誰よりも純粋に培養されたドイツ的なピアニストでした。

まるでドイツという国の「芸養子」みたいな存在です。
彼の中には、良くも悪くも、「伝統的なドイツ」が誰よりも色濃く住み着いています。

言うまでもないことですが、楽譜に忠実な即物主義的な演奏はドイツの伝統ではありません。ですから、アラウの立ち位置はそんなところにはありません。
おそらく、伝統的なドイツから離れて、そう言う新しい波に即応していったのはどちらかと言えばバックハウスの方でした。

こんな事を書けば、バックハウスやケンプこそがドイツ的な伝統を受け継いだ正統派だと見なされてきたので、お前気は確かか?と言われそうです。
しかし、60年代の初頭に一気に録音されたアラウのベートーベン、ピアノソナタ全集をじっくり聞いてみて、なるほど伝統的なドイツが息づいているのはバックハウスではなくてアラウなんだと言うことに気づかされるのです。

言うまでもないことですが、芸事の伝統というのは学校の勉強のようなスタイルで伝わるものではありません。そうではなくて、そう言う伝統というのは劇場における継承として役者から役者へ、もしくは演奏家から演奏家へと引き継がれるものです。
そして、その継承される内容は理屈ではなくて一つの「型」として継承されていきます。そして、その継承される「型」には「Why」もなければ「Because」もないのが一般的です。

特に、その芸事の世界が「伝承芸能」ならば、「Why」という問いかけ自体が「悪」です。何故ならば、「伝承芸能」の世界において重要なことは「型」を「伝承」していくことであって、その「型」に自分なりのオリジナリティを加味するなどと言うことは「悪」でしかないからです。
それに対して、「伝統芸能」であるならば、取りあえずは「Why」という問いかけは封印した上で「型」を習得し、その習得した上で自分のオリジナリティを追求していくことが求められます。

「伝統芸能」と「伝承芸能」はよく同一視されるのですが、本質的には全く異なる世界です。
そして、西洋のクラシック音楽は言うまでもなく「伝統芸能」の世界ですから、「型」は大事ですが「型」からでることが最終的には求められます。

しかし、「伝承」の色合いが濃い演奏家というのもいます。
そう言う色分けで言えば、アラウという人はドイツの「型」を色濃く「伝承」しているピアニスト言えそうなのです。

この事に気づいたのは、チャールズ・ローゼンの「ベートーベンを読む」を見たことがきっかけでした。
このローゼン先生の本はピアノを実際に演奏しないものにとってはかなり難しいのですが、丹念に楽譜を追いながらあれこれの録音を聞いてみるといろいろな気づきがあって、なかなかに刺激的な一冊です。
そして、ローゼン先生はその著の中で、何カ所も「~という誘惑を演奏者にもたらす」という表現を使っています。

そして、そう言う誘惑にかられる部分でアラウはほとんど躊躇うことなく誘惑にかられています。

例えば、短い終止が要求されている場面では音を伸ばしたい要求にとらわれます。そうした方が、明らかに聞き手にとっては「終わった」と言うことが分かりやすいので親切ですし、演奏効果も上がるからです。
アラウもまた、そういう場面では、基本的に音を長めに伸ばして演奏を終えています。
例えば、緩徐楽章では、その悲劇性をはっきりさせるために必要以上に遅めのテンポを取る誘惑にかられるともローゼン先生は書いています。その方が悲劇性が高まり演奏効果が上がるからです。
アラウもまた、そう言う場面ではたっぷりとしたテンポでこの上もなく悲劇的な音楽に仕立てています。

そして、そうやってあれこれ聞いていてみて、そう言う誘惑にかられる場面でバックハウスは常に禁欲的なので驚かされました。
そして、なるほど、これが戦後のクラシック音楽を席巻した即物主義というものか、と再認識した次第です。

逆に言えば、そう言う演奏効果が上がる部分では、「楽譜はこうなっていても実際にはこういう風に演奏するモンなんだよ」というのが劇場で継承されてきた「型」、つまりは「伝統」なのだとこれまた再認識した次第なのです。

そして、バックハウスは「型」を捨ててスコアだけを便りにベートーベンを構築したのだとすれば、アラウは明らかに伝統に対して忠実な人だったと言わざるを得ないようなのです。

そして、クラシック音楽の演奏という行為は「伝承芸能」ではないのですから、そう言う「型」を守ることはマーラーが言ったような「怠惰の別名」になる危険性と背中合わせになります。
このアラウの全集録音が、そう言う危険性と背中合わせになりながらもギリギリのところで身をかわしているのか、それともかわしきれていないのかは聞き手にゆだねるしかありません。

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