クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ベートーベン:交響曲第9番 ニ短調 「合唱付き」作品125

エーリヒ・クライバー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ウィーン楽友協会合唱団 (S)ヒルデ・ギューデン (A)ジークリンデ・ワーグナ (T)アントン・デルモータ (Bs)ルートヴィヒ・ウェーバー 1952年6月録音



Beethoven:Symphony No.9 in D minor, Op.125 Choral [1.Allegro Ma Non Troppo, Un Poco Maestoso]

Beethoven:Symphony No.9 in D minor, Op.125 Choral [2.Molto Vivace]

Beethoven:Symphony No.9 in D minor, Op.125 Choral [3.Adagio Molto E Cantabile; Andante; Adagio]

Beethoven:Symphony No.9 in D minor, Op.125 Choral [4.Presto; Allegro molto assai (Alla marcia); Andante maestoso;Allegro energico, sempre ben marcato]


何かと問題の多い作品です。

ベートーベンの第9と言えば、世間的にはベートーベンの最高傑作とされ、同時にクラシック音楽の最高峰と目されています。そのために、日頃はあまりクラシック音楽には興味のないような方でも、年の暮れになると合唱団に参加している友人から誘われたりして、コンサートなどに出かけたりします。

しかし、その実態はベートーベンの最高傑作からはほど遠い作品であるどころか、9曲ある交響曲の中でも一番問題の多い作品なのです。さらに悪いことに、その問題点はこの作品の「命」とも言うべき第4楽章に集中しています。
そして、その様な問題を生み出して原因は、この作品の創作過程にあります。

この第9番の交響曲はイギリスのフィルハーモニア協会からの依頼を受けて創作されました。しかし、作品の構想はそれよりも前から暖められていたことが残されたスケッチ帳などから明らかになっています。
当初、ベートーベンは二つの交響曲を予定していました。
一つは、純器楽による今までの延長線上に位置する作品であり、もう一つは合唱を加えるというまったく斬新なアイデアに基づく作品でした。後者はベートーベンの中では「ドイツ交響曲」と命名されており、シラーの「歓喜によせる」に基づいたドイツの民族意識を高揚させるような作品として計画されていました。
ところが、何があったのかは不明ですが、ベートーベンはまったく異なる構想のもとにスケッチをすすめていた二つの作品を、何故か突然に、一つの作品としてドッキングさせてフィルハーモニア協会に提出したのです。
そして出来上がった作品が「第九」です

交響曲のような作品形式においては、論理的な一貫性は必要不可欠の要素であり、異質なものを接ぎ木のようにくっつけたのでは座り心地の悪さが生まれるのは当然です。もちろん、そんなことはベートーベン自身が百も承知のことなのですが、何故かその様な座り心地の悪さを無視してでも、強引に一つの作品にしてしまったのです。

年末の第九のコンサートに行くと、友人に誘われてきたような人たちは音楽が始めると眠り込んでしまう光景をよく目にします。そして、いよいよ本番の(?)第4楽章が始まるとムクリと起きあがってきます。
でも、それは決して不自然なことではないのかもしれません。
ある意味で接ぎ木のようなこの作品においては、前半の三楽章を眠り込んでいたとしても、最終楽章を鑑賞するにはそれほどの不自由さも不自然さもないからです。
極端な話前半の三楽章はカットして、一種のカンタータのように独立した作品として第四楽章だけ演奏してもそれほどの不自然さは感じません。そして、「逆もまた真」であって、第3楽章まで演奏してコンサートを終了したとしても、聴衆からは大ブーイングでしょうが・・・、これもまた、音楽的にはそれほど不自然さを感じません。

ですから、一時このようなコンサートを想像したことがあります。
それは、第3楽章と第4楽章の間に休憩を入れるのです。

前半に興味のない人は、それまではロビーでゆっくりとくつろいでから休憩時間に入場すればいいし、合唱を聴きたくない人は家路を急げばいいし、とにかくベートーベンに敬意を表して全曲を聴こうという人は通して聞けばいいと言うわけです。
これが決して暴論とは言いきれないところに(言い切れるという人もいるでしょうが・・・^^;)、この作品の持つ問題点が浮き彫りになっています

あと一歩というところで!!


こうしてエーリッヒの残した録音を聞き直してみると、その速すぎた「死」が残念でなりません。
振り返ってみれば、戦前のドイツではフルトヴェングラー、ワルター、クレンペラーとならんで4大巨匠とされたのがエーリッヒ・クライバーでした。そして、フルトヴェングラーだけがナチス・ドイツに残り、残りの3人はナチスを嫌って亡命しました。

戦争が終わってからはフルトヴェングラーは戦犯容疑が晴れて再びドイツで活動をはじめ、ワルターは亡命先のアメリカに腰を下ろし、狷介なクレンペラーは様々な悶着を引き起こしながらもレッグに拾われてイギリスで活躍をはじめました。
しかし、南米のアルゼンチンに亡命したエーリッヒは、その様な本流への復帰に手間取りました。

この遅れた理由がよく分かりません。

46年から2シーズンにわたってNBC響を指揮して素晴らしい演奏を披露していますし、48年からはDECCAでベートーベンの交響曲を録音しています。見る目(聞く耳)があればその実力は明らかですから、すぐにでも活躍できそうなものです。
しかしながら、そうならなかった背景にはおそらくエーリッヒの中に何らかのわだかまりみたいなものがあったのかもしれません。

その意味では、このウィーンフィルとの録音は貴重です。
嘘か本当かは分かりませんが、彼がほしかったポストはウィーンの歌劇場の芸術監督だったようです。その意味では、歌劇場のそうそうたるソリストを登用したこの録音は、ウィーンの側からしても「品定め」という意味合いがあったのかもしれませんし、エーリッヒの側からすれば「勝負」の掛かった録音だったのかもしれません。
そして、結果として素晴らしい録音が残ることになりました。

誰かさんのように意味ありげな「間合い」や「ため」は一切使っていませんし、意味ありげな「テンポの揺れ」もほとんど使っていません。
所々にその時代特有の表情付けがあらわれることはありますが、基本的には早めのテンポで引き締まったベートーベン像を提示しています。
ですから、フルトヴェングラーの演奏のような魔力的な凄みはありませんが、今聞いても「古さ」というものをほとんど感じないのが凄いことです。

ただし、エーリッヒの魅力はそう言う直線的な造形と推進力だけでなく、歌うべきところは歌うと言うことです。その特徴がもっともよくあらわれているのが第3楽章でしょう。
また、多くの人が指摘していることですが、フレーズとフレーズのつなぎ目の処理の仕方が独特で(終わりを少し伸ばし気味にして、次のフレーズに滑らかに繋いでいく)、それが直線的でありながらある種の心地よい自然さを生み出しています。

そして、多くの人は、もしも息子のクライバーが第9の録音を残していれば、きっとこんな感じになったんだろうなと想像することでしょう。
エーリッヒの録音を聞けば聞くほど、あのクライバーのお里がここにあったのかと気づかされるはずです。

そして、56年にはウィーンフィルのアメリカツアーの指揮者に指名されるのですが、彼の急逝でそれは幻となってしまいました。
おそらく、彼が願っていたと言われるウィーンの歌劇場のポストは手の届くところにあったのだと思うのですが、結果としてカラヤンがベームの後継者になってしまいます。

歴史にイフがないとはよく言われるのですが、少なくともカラヤンがウィーンに君臨した10年近くの時間がエーリッヒにゆだねられていれば、ヨーロッパの景色は随分と変わっていたことでしょう。

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