ベートーベン:ピアノ三重奏曲第6番 変ホ長調 Op.70-2
ボザール・トリオ 1964年録音
Beethoven:Piano Trio No.6, Op.70 No.2 in E-flat major [1.Poco sostenuto - Allegro ma non troppo]
Beethoven:Piano Trio No.6, Op.70 No.2 in E-flat major [2.Allegretto]
Beethoven:Piano Trio No.6, Op.70 No.2 in E-flat major [3.Allegretto ma non troppo]
Beethoven:Piano Trio No.6, Op.70 No.2 in E-flat major [4.Finale: Allegro]
中期の「傑作の森」に属する時期の作品なのですが・・・。
「作品70」としてまとめられている2つのピアノ・トリオは1808年に作曲されました。時期にて見れば、まさに中期ベートーベンの絶頂期とも言うべき時期で、交響曲で言えば5番と6番、協奏曲で言えばヴァオリン協奏曲や4番や5番のピアノ協奏曲が生み出された時期です。それに連れて、室内楽作品の比重は小さくなっていく時期なのですが、それでもラズモフスキー四重奏曲などが生み出された時期なのですから、まさに気力・体力ともに充実しきった時期だったと言えます。
にもかかわらず、この2曲のピアノ・トリオの評判はあまりよろしくありません。
特に第6番とナンバリングされる変ホ長調のトリオは明るい感じで全体が統一された軽い感じの音楽になっています。それは、冒頭はやや緩やかで長めの序奏で始まるものの、主部にはいると音楽はアレグロに変わり、第2楽章以降もアレグレット-アレグレット-アレグロと続くからでしょう。それでいながら、ベートーベンらしい盛り上がりにも乏しいので、結果としては「軽い」感じになってしまっています。
それと比べると、「幽霊」というあだ名が付いているニ長調のトリオの方は、第2楽章のラルゴが特徴的です。憂鬱であり不安定な気分が続くのですが、その奥にはどこか神秘的な雰囲気も漂う音楽は極めて独創的です。この楽章の不思議な雰囲気ゆえにこの作品には「幽霊」というあだ名が付いたのですが、その両端楽章は変ホ長調のトリオほどではないにしても、その明るさには軽さがつきまといます。
この原因としては、この2つの作品はもともとがピアノソナタとして計画されたことと、さらにはもとは1曲であったピアノソナタを2つのピアノ・トリオに仕立て直したためだと言われています。
ベートーベンの作品であれば全てが傑作ではないというのは当然のことなのですが、それでも第5番のトリオにはこの時期のベートーベンらしい独創性が表れているのも事実です。
ピアノ三重奏曲第5番 ニ長調 「幽霊」 Op.70-1
- 第1楽章:Allegro vivace e con brio
- 第2楽章:Largo assai ed espressivo
- 第3楽章:Presto
ピアノ三重奏曲第6番 変ホ長調 Op.70-2
- 第1楽章:Poco sostenuto - Allegro ma non troppo
- 第2楽章:Allegretto
- 第3楽章:Allegretto ma non troppo
- 第4楽章:Finale: Allegro
一つの公理系と言える演奏
ボザール・トリオはピアノのメナヘム・プレスラーが中心となって1955年に結成されました。設立当初のメンバーはヴァイオリンにダニエル・ギレ、チェロにバーナード・グリーンハウスでした。その後、ヴァイオリンはイシドア・コーエン(1968年~)、イダ・カヴァフィアン(1992年~)、ユンウク・キム(1998年~)、ダニエル・ホープ(2002年~)と交代し、チェロに関してもピーター・ワイリー(1987年~)、アントニオ・メネセス(1998年~)と入れ替わっています。
つまりは、非常に珍しい「常設のピアノ・トリオ」と呼ばれる「ボザール・トリオ」の実態は、ピアニストであるメナヘム・プレスラーの努力によって維持されてきた団体だと言えるのです。
しかし、このトリオにはどこか「風当たり」が強い様な雰囲気を私は感じます。
それは、このメナヘム・プレスラーというピアニストがソロ活動は一切行わずに、このピアノ・トリオの活動に全力を傾注してきたことに原因があったのかもしれません。
下世話な話ですが、貧しい若者が結婚するときに昔は「一人口では食えなくても、二人口なら食える」と言ったものです。一人の稼ぎでは食っていけなくても、貧しい二人が寄り添って家庭を築けば何とか食っていけるという現実を表した言葉なのですが、ボザール・トリオもまた、「ソロでは食ってはいけなくても、室内楽の団体なら食っていける」みたいな見方がされていたのかもしれません。
それに、ピアノ・トリオというジャンルはただでさえクラシック音楽の「裏街道」である室内楽の世界においても、さらに「裏街道」の世界です。そう言う「裏街道」の世界で唯一「エリート的な立場」にいるのが「賢者の対話」と呼ばれることもある弦楽四重奏曲の世界なので、「弦楽四重奏団」はそれなりに「尊敬」はうけるのですが、裏街道のさらに裏を行く「ピアノ・トリオ」となるとどこか見る目もよそよそしくなります。
さらに言えば、そんな裏街道でも時々素敵な花が咲いているときがあります。
ところが、そんな花(例えば「大公トリオ」)が咲いていると、急にカザルスやハイフェッツみたいな連中がやってきて摘んでいってしまうのです。
今さら、ボザール・トリオがそんな花を摘んでいっても誰も見向きもしてくれないので、仕方なくそんな裏街道に咲く雑草みたいな地味な花(失礼^^;)をせっせと摘んでくるしかないのです。
そんな労多くして報われることの少ない仕事をプレスラーは半世紀以上も続けてきたのですが、ついに2008年9月6日のルツェルン音楽祭でのコンサートをもってこのトリオを解散します。この時プレスラーは既に80才を超えていたのですから(1923年生まれ)、これで彼も長い芸歴にピリオドを打って引退かと思ったのですが、何とその後、彼はソロ活動を解禁するのです。
そして、ベルリンフィルやコンセルトヘボウ、パリ管などとも共演をするようになり、現在も活動を続けているようです。亡くなったという情報は聞いていないのですが、2015年の来日公演は健康上の理由できゃんせるになったようですから、もしかしたら第一線からは引退したのかもしれません。
彼は、あるインタビューの中で次のように語っていました。
「ピアノ協奏曲を弾く際、ピアニストは技巧を披瀝して、賞賛を勝ち得たいと思うものです。」
「私だって、他の人と同じでした。他の誰よりも綺麗で大きな音を出し、早いパッセージを華麗に弾きたいと思ったのです。」
「しかし私は、トリオに加わることになりました。そこで音楽そのものに奉仕することを学んだのです。」
なるほど、「音楽に奉仕」することを学ばなければ、こんなにも報われることの少ない仕事を半世紀も続けられるはずはありません。
確かに、「大公トリオ」のような作品ならば、3つの楽器が独奏楽器であるかのように演奏しても様になります。しかし、ほとんどのピアノ・トリオは「バランス」こそが大切です。とりわけ、ピアノはその気になればいとも容易く他の楽器を圧倒することができるのですから、ピアニストには音楽に献身する心構えがなければその「バランス」を維持することはできません。
そして、その様な「バランス」はにわか仕立てのソリストの寄せ集めでは、お互いの「我」が出過ぎて実現不可能です。
ピアノ・トリオという音楽ジャンルのあるべき姿をあるべき様に演奏するには、どうしてもこのような長きにわたって活動を続ける団体が不可欠なのです。
その意味では、一つ一つ取り上げれば物足りなく思える部分があったとしても、このトリオによるベートーベンのトリオ・ソナタはその様な良し悪しの判断や評価を超えたところに存在する一つの公理系と言える演奏かもしれません。
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