クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ショパン:バラード第2番ヘ長調 作品38

(P)ゲイリー・グラフマン 1958年4月14日録音



Chopin:Ballade for piano in F major No2, Op.38


ピアノによる物語

バラードというのは物語のことですから、これは基本的にピアノという「言語」を使った物語だと思います。
しかし、どういうわけか、音楽に物語性を持ち込むことは一段レベルが低くなると思う風潮がこの国にはあるようで、どの解説書を読んでも創作の動機となった物語の内容とこの作品の結びつきをできる限り過小に評価しようという記述が目立ちます。
とは言え、ショパンの研究家の間ではポーランドの詩人アダム・ミツキェヴィッチのどの作品と結びつきがあるのかという研究は熱心されてきましたので、今日ではおおよそ以下のような対応関係が確定されているようです。

バラード第1番ト短調 作品23→→→「コンラード・ヴァーレンロッド」
バラード第2番ヘ長調 作品38→→→「魔の湖」
バラード第3番変イ長調 作品47→→→「水の精」
バラード第4番ヘ短調 作品42→→→どうもこれだけがミツキェヴィッチの詩とは関係ないらしい

もちろん、それぞれの作品がそっくりそのままミツキェヴィッチの詩と対応しているという事はありません。そういう意味では、R.シュトラウスの交響詩などのような「標題音楽」とは異なります。
しかし、優れたピアニストによる演奏でこの作品を聞くと、明らかに一つの物語を聞かされたような「納得感」みたいなものを感じ取ることができます。昨今の、指だけがよく回る若手ピアニストによる演奏を聴かされて何がつまらないからと言うと、この「納得感」みたいなものが希薄なことです。ピアノだけは派手に鳴り響くのですが、聞き終わった後に何とも言えない取り留めの無さしか残らないのは実に虚しいのです。

あまり専門的なことは分からないのですが、「スケルツォ」や「バラード」のような作品は、明らかに始まりの時点から終わりが意識されています。それは、「ノクターン」などにおいて、いろいろなフレーズが取り留めもなく流れくるような雰囲気とは大きく異なります。
たとえば、バラードの1番で冒頭のユニゾンを鳴り響かせたときに、それはコーダの「Presto con fuoco」に向けた明確な一本の線で結びついていなければいけません。
ある方は、こんな風に書かれていました。

「各動機、各音は前後のしがらみに囚われており、逸脱を許されない。沈鬱な主題が次々と現われ、それらは鬱積して怒濤をなし、ついには破滅的な終末を迎える。」

なんと上手いこと表現するのでしょう。
明らかに、この作品を生み出す原動力となったのはミツキェヴィッチの詩によって喚起されたショパンの内なるイメージです。しかし、作品というものはそれが生み出され発表されてしまえば、それは作曲家の手を離れて一人歩きします。
即物主義は、一人歩きを始めた作品の恣意的解釈を戒めて、作曲家の内なるイメージに迫ることを要求しました。しかし、このような作品ならば、演奏家はスコアから喚起された己のイメージに忠実に演奏することも許されるでしょう。少なくとも、お約束ごとの上に胡座をかいて、ひたすらスコアを正確に音に変換する作業を聞かされるよりは百倍は幸福なはずです。

バラード第2番ヘ長調 作品38

最初は牧歌的で伸びやかな音楽が奏され、それがやがて静かに幕が閉じられます。なんだこれは?とてもショパンの作品とは思えないような退屈で陳腐な作品じゃないか!!と思ったとたんに「Presto con fuoco」でピアノが爆発します。後は聞いてのお楽しみ・・・です。

シューマンは手紙の中で「その熱狂的なエピソードはあとから挿入されたものらしい。ショパンがこのバラードをここで演奏してくれたとき、曲がヘ長調で終わっていたのを思い出す。ところが今度はイ短調に変わっている。彼はそのとき、このバラードを書くためにミツキェヴィチのある詩(=「魔の湖」)から感銘を受けたと言っていた。しかし他面彼の音楽は詩人をしてそれに歌詞をつけさすような感銘を与えるだろう。」と書いています。

こうやって若き才能は研かれ、育っていく


以下述べることはリストを愛する人にとっては「それは偏見だ!」と言われそうなのですが、それでもそれが私の率直な感想なので正直に書き付けておきます。
グラフマンのリスト演奏として、既に「パガニーニによる大練習曲 (1851年版)」と「The Virtuoso Liszt」という小品集をアップしてあります。そして、そこで「ショパンのような音楽だといささか違和感を感じる若き日のグラフマン直進性と鳴らしっぷりも、リストではそれほど気にはなりません。」と簡単に感想を書き付けておきました。

ただし、この感想はかなり昔に聞いたときの記憶をもとにしたものだったので、あらためて彼のショパンをじっくりと聞き直してみました。そして、聞き直してみて昔の記憶がはっきりと蘇ってきました。
そうです、ここで聞くことのできる若き日のグラフマンのショパンこそは、昨今あちこちで嫌になるほど聞かされた、ひたすら指だけ回る馬鹿ウマ若手のショパンの嚆矢でした。

ショパンという音楽は、このようなひたすらな直進性だけではどうにもならない部分があります。ショパンにあってリストに欠けていたもの、それは、おそらく音楽が持つ繊細さであり、その繊細さが醸し出す味わいでした。
そう言えばショパンはリストを恩人として尊敬しながらも、この天才はリストの音楽に関しては「味わいに欠ける」と切って捨てています。そして、リストが偉いのは、そう言う傲慢で青白い若者の言葉であっても、それが一定の真実を含んでいると思えば受け入れるべきところは受け入れて己の作風を変えていったことです。
それでもなお、リストの音楽は名人芸による直進性だけで勝負できる側面を色濃く持っています。

しかし、ショパンの音楽はそう言う指が回るだけの才能だけではどうしようもありません。
その辺りのことをメニューヒンは実に上手いこと表現して見せました。

「ショパンを一つの画期としてピアノは文学的な楽器になった。」

そう思ってグラフマンの手になるバラードなどを聴くとき、そこには欠落しているものの大きさに誰もが気がつくはずです。(気にならない人もいるかな・・・^^;)
ところが面白いなと思うのが、独奏曲ではその様な不満を強く感じたのに対して、それがコンチェルトになるとその様な不満は随分と緩和されるのです。
何故だろう、と考えてすぐに気がつくのは、サポートする指揮者の「偉さ」です。

「シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団 1960年3月14日録音」

なるほど、こうやって若き才能は研かれ、育っていくのでしょう。

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