クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

モーツァルト:交響曲第35番 ニ長調 "ハフナー" K.385

フリッチャイ指揮 RIAS交響楽団 1952年9月12日録音



Mozart:Symphony No.35 in D major, K.385 "Haffner" [1.Allegro con spirito]

Mozart:Symphony No.35 in D major, K.385 "Haffner" [2.Andante]

Mozart:Symphony No.35 in D major, K.385 "Haffner" [3.Menuetto]

Mozart:Symphony No.35 in D major, K.385 "Haffner" [4.Presto]


悩ましい問題の多い作品です。

一般的に後期六大交響曲と言われる作品の中で、一番問題が多いのがこの35番「ハフナー」です。

よく知られているように、この作品はザルツブルグの元市長の息子であり、モーツァルト自身にとっても幼なじみであったジークムント・ハフナーが貴族に列せられるに際して注文を受けたことが作曲のきっかけとなっています。
ただし、ウィーンにおいて「後宮からの誘拐」の改訂作業に没頭していた時期であり、また爵位授与式までの日数もあまりなかったこともあり、モーツァルトといえどもかなり厳しい仕事ではあったようです。そして、モーツァルトは一つの楽章が完成する度に馬車でザルツブルグに送ったようですが、かんじんの授与式にはどうやら間に合わなかったようです。(授与式は7月29日だが、最後の発送は8月6日となっている)

それでも、最終楽章が到着するとザルツブルグにおいて初演が行われたようで、作品は好評を持って迎えられました。
さて問題はここからです。
よく知られているように、ハフナー家に納品(?)した作品は純粋な交響曲ではなく7楽章+行進曲からなる祝典音楽でした。その事を持って、この作品を「ハフナーセレナード」と呼ぶこともあります。しかし、モーツァルト自身はこの作品を「シンフォニー」と呼んでいますから、祝典用の特殊な交響曲ととらえた方が実態に近いのかもしれません。実際、初演後日をおかずして、この中から3楽章を選んで交響曲として演奏された形跡があります。

そして、このあとウィーンでの演奏会において交響曲を用意する必要が生じ、そのためにこの作品を再利用したことが問題をややこしくしました。
馬車でザルツブルグに送り届けた楽譜を、今度は馬車でウィーンに送り返してもらうことになります。しかし、楽譜は既にハフナー家に納められているので、レオポルドはそれを取り戻してくるのにかなりの苦労をしたようです。さらに、7楽章の中から交響曲に必要な4楽章を選択したのはどうやら父であるレオポルドのようです。

こうしてレオポルドのチョイスによる4楽章で交響曲として仕立て直しを行ってウィーンでのコンサートで演奏されました。ところが、後になって楽器編成にフルートとクラリネットを追加された形での注文が入ったようで、時期は不明ですがさらなる改訂が行われ、これが現在のハフナー交響曲の最終の形となっています。
つまりこの作品は一つの素材を元にして4通りの形(7楽章+行進曲・3楽章の交響曲・4楽章の交響曲・フルート・クラリネットが追加された4楽章の交響曲)を持っているわけす。
一昔前なら、最後の形式で演奏することに何の躊躇もなかったでしょうが、古楽器ムーブメントの中で、このような問題はきわめてデリケートな問題となってきています。とりわけ、フルートとクラリネットを含まない方に「この曲にぼくは全く興奮させられました。それでぼくは、これについてなんら言う言葉も知りません。」と言うコメントをモーツァルト自身が残しているのに対して、フルートとクラリネットありの方には何のコメントも残っていないことがこの問題をさらにデリケートにしています。

やはり今後はフルートとクラリネットを入れることにはためらいが出てくるかもしれません。

もっとゆっくり成熟する時間があれば


フリッチャイの音楽を「病」を分岐点として云々するのはいささか一面的にすぎる気もするのですが、それでも大きな要因になっていることは間違いありません。
ですから、取りあえず、モーツァルトの録音もそのラインで仕分けると以下のようになります。フリッチャイにとってモーツァルトは、バルトークと並んで大切にしていた存在です。

<病以前>

  1. モーツァルト:交響曲第35番 ニ長調 "ハフナー" K.385:RIAS交響楽団 1952年9月12日録音

  2. モーツァルト:交響曲第41番 ハ長調 "Jupiter" K.551:RIAS交響楽団 1953年9月9日~12日録音

  3. モーツァルト:交響曲第29番 イ長調 K.201 (186a):RIAS交響楽団 1955年9月30日&10月1日録音


<病以後>

  1. モーツァルト:交響曲第39番 変ホ長調 K.543:ウィーン交響楽団 1959年11月26日&29日録音

  2. モーツァルト:交響曲第40番 ト短調 K.550:ウィーン交響楽団 1959年11月26日&29日録音

  3. モーツァルト:交響曲第29番 イ長調 K.201 (186a):ウィーン交響楽団 1961年3月12日~25日録音

  4. モーツァルト:交響曲第41番 ハ長調 "Jupiter" K.551:ウィーン交響楽団 1961年3月21日~25日録音



彼はバルトークとモーツァルトの親近性について語っています。バルトークの音楽が数学的な精緻さで構成されていることは今さら指摘するまでもないことですが、それと同じ事がモーツァルトにも言えるようなのです。
モーツァルトの音楽はスコアを見る限りはきわめてシンプルです。ですから、それを「現実の音」に変化するだけならいとも容易いことですが、怖ろしいことに、それだけでは全く「音楽」にはならないことは誰もが知りすぎるほどに知り尽くしています。言葉をかえれば、スコアを音にするだけなら実に簡単なのですが、それが音楽になるためのストライクゾーンが驚くほどに狭いのがモーツァルトなのです。

そして、そのアプローチは必ずしも一通りでないのですが、その数少ない有効なアプローチとして、バルトークの音楽のような数学的精緻さで音楽を構築するというやり方があります。
このやり方の雄は言うまでもなくセルです。そしてライナーもその一人かもしれません。

ワルターなどとは全く異なるアプローチなのですが、何故かモーツァルトには精緻がよく似合います。
そして、フリッチャイもまたその様な精緻派の一人でした。そして、そのアプローチの仕方は白血病という病によっても全くぶれることはありませんでした。

ただ、59年に録音されたト短調シンフォニーだけは異常です。
彼は、この美しい音楽を前にして明らかに前に進むことを拒んでいます。しかし、全く同じ時期に録音された39番のホ短調シンフォニーではその様な「停滞」は起こっていませんから、おそらくは音楽そのものが内包している悲劇性の違いなのでしょう。

面白いのは、異なる時期に録音された29番と41番の相貌の違いです。
61年に録音された方は、59年に感じられたような「停滞感」は全く姿を消してしまい、その精緻にして透明感のある世界はセル&クリーブランド管と十分に肩を並べます。

それに対して、50年代の前半に録音された29番と41番の弾むような勢いに満ちた活きの良さは、10年と隔たっていない同一人物の手になるものとはにわかには信じがたいほどです。
さらに、それよりも前の52年に録音されたハフナーに至っては、これが同一人物による音楽とはにわかに信じがたいほどの強烈な推進力に貫かれています。

しかし、その様な勢いが前面に飛び出てくる音楽ではあるのですが、よく聞いてみればその底に精緻さへの執念が貫かれていることに気づかされて、なるほど、これもまたフリッチャイの音楽だと納得するのです。
そして、この二つの音楽を聞き比べていると、もしも彼にもっとゆっくり成熟する時間があれば、どれほど大きな音楽を聴かせてくれただろうなどと、詮無きことを考えてしまうのです。

<追記:オーケストラの名称について>


オケとしての実態は全く変わらないのに、経営母体が変わったりすることで名称だけが変更になることがよくあります。普通はそう言う変更は滅多に起こらず、あったとしても一回くらい変わるだけなのでそれほど混乱は起こりません。
ところが、フリッチャイが初代の首席指揮者を務めた「RIAS交響楽団(RIAS-Symphonie-Orchester Berlin)」はその後とんでもない有為転変を経験して、名前をみるだけではわけが分からなくなってしまっていますので、少しばかり補足しておきます。

まず、このオケは1946年に、連合軍の占領下にあった西ベルリンで、アメリカ軍占領地区放送局(Radio In the American Sector)のオーケストラとして創設されました。初代の首席指揮者がフリッチャイで、彼は白血病から復活した1959年から死の直前まで、もう一度このオケを率いて言います。
しかし、1952年に西側諸国が「対ドイツ一般条約」を締結することで西ドイツの主権が回復されるとRIAS放送協会はRIAS交響楽団との契約を打ち切ります。そして、1954年に自由ベルリン放送協会(SFB)が設立されるとRIAS交響楽団はこの放送局と演奏録音契約を結びます。
しかし、RIAS放送協会との契約が切れた後もしばらくは「RIAS交響楽団」の名前を使っていたようです。
そして、正式に名称を変更したのは1956年のことのようで、それ以後の録音のクレジットを調べてみると「Radio-Symphonie-Orchester Berlin」となっています。

この「Radio-Symphonie-Orchester Berlin」を日本語訳すると「ベルリン放送交響楽団」となるのですが、ここで一つ困った問題が発生しました。それは、東ドイツには1923年に創設された伝統あるオーケストラ「Berlin Radio Symphony Orchestra」が存在したことで、こちらも日本語訳すると「ベルリン放送交響楽団」となってしまうのです。
もちろん、こういう混同が起こるのは日本だけなのですが、それでもまさかレコードのクレジット欄に「Radio-Symphonie-Orchester Berlin」とか「Berlin Radio Symphony Orchestra」と記すわけにもいかないので、結局は全く異なるオーケストラであるにもかかわらず名前は同じという奇妙な状態がこの後長く続くことになったのです。

そして、話がここまででも十分にややこしいのに、さらにややこしくなったのは1990年のドイツの再統一で、それをきっかけに契約先である自由ベルリン放送協会やRIAS放送協会が統廃合されてしまったことです。
西側の「ベルリン放送交響楽団」は、名前は「「放送交響楽団」であっても専属契約ではなかったので、これを契機として1993年に「Deutsches Symphonie-Orchester Berlin(ベルリン・ドイツ交響楽団)」と名前を変更することになったのです。

さらに、この翌年の1994年にはベルリン市やドイツ政府、ドイツラジオなどが共同出資して会社を作り、RIAS室内合唱団、ベルリン放送合唱団、ベルリン放送交響楽団、ベルリン・ドイツ交響楽団を管轄するようになります。
つまりは、東西の「ベルリン放送交響楽団」は同じ経営母体の中に吸収されることになるのです。
そして、こういう流れの中で、2009年には「ベルリン放送交響楽団」に「ベルリン・ドイツ交響楽団」を吸収合併するという案が出されることになるのですが、さすがにこの統廃合案は強い反対にあって頓挫してしまいました。

ですから、整理すると以下のようになります。

西側の「ベルリン放送交響楽団」


  1. 1946年~1955年:RIAS交響楽団(RIAS-Symphonie-Orchester Berlin)

  2. 1956年~1992年:ベルリン放送交響楽団(Radio-Symphonie-Orchester Berlin)

  3. 1993年~:ベルリン・ドイツ交響楽団(Deutsches Symphonie-Orchester Berlin)



東側の「ベルリン放送交響楽団」


  1. 戦前:ベルリン帝国放送管弦楽団(Rundfunk-Sinfonieorchester Berlin)

  2. 戦後:ベルリン放送交響楽団(Radio-Symphonie-Orchester Berlin)


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